Guapa

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ハイドリヒ暗殺の英雄たちの国民的記念碑―聖キリルとメソジウス教会 プラハ

2017-09-27 22:26:25 | チェコ

2002年、ハイドリヒ暗殺というチェコスロヴァキアのレジスタンス行動の60周年記念行事として

新しい国民的記念碑―和解の場として

聖キリルとメソジウス教会と関連施設が整備されました。

A Place of Reconciliation とは 「和解の場」という日本語のなるのでしょうか

どういった和解なのか、何を、そして誰とだれが和解するのかという疑問をぬぐいさることができなまま

年月だけが過ぎ去って行きましたが、

改めて歴史的できごとをどう理解するのかということだと思わされます。

教会を見学した際に、タイトルのパンフレットがあり、英語版をいただいてきました。

日本語で紹介されたものは某週刊誌の旅レポート者のコピーだったのとても残念に思いました。

そのパンフに掲載されていた資料や写真などは

プレートとなって展示室でみることができるようになっているようです。

プラハ城からみたブルタヴァ川とプラハ市街

この美しい街を守るための苦しく悲しいたたかいがあったことを

胸にきざみたい

 

                     〈表紙 p1〉

〈p2〉                  〈p3〉Table of Contents/ 目次  

 

〈p4〉A NEW NATIOAL MEMORIAL ーA PLACE OF RECONCILIATION

〈P6〉A GREAT ACT BY A SMALL CHURCH

〈P8〉                    〈P9〉

 

〈P10〉               〈P11〉

〈P12〉                         〈P13〉

 

*****************************************

 〈P14〉A HISTORY OF THE ORTHODOX CATHEDRAL    〈P15〉

〈P16〉                          〈P17〉

 

〈P18〉 THANKS TO ALL THE FOLLOWING・・・・・・

 

to be continued


ハイドリヒの暗殺 リディッツェ村の惨劇をおとずれる

2017-09-25 21:57:03 | チェコ

2004年夏 プラハからバスに乗り リディッツェ村へ

バスはガラガラ 降りたのは友人と2人

運転手のおじさんが、バスを降りたらあっちだよ

といってくれたらしい

その方向に歩いていくと

なだらかな丘の下からさわさわと風が上がってきて

なぜだか突然、全身に鳥肌がたちました

そしてその当時から村の再建・再現が試みられ

アウシュビッツに送られた子どもたちを偲ぶモニュメントが創られていました

 

一人ひとりの表情まで再現したいと時間をかけた製作が続きます。

Hiroshima City 大量殺戮の悲劇にみまわれた町として広島市と姉妹都市になっています。

                       帰りのバス停の傍には実りを迎えた麦畑が広がっていました。

                     友人と私は無言でその麦畑の前にたたずんでいたのです。

                                                 リディッツェ村

                                                                 to be continued


聖キリルとメソジウス教会 プラハ

2017-09-24 23:45:55 | チェコ

「ハイドリヒを撃て」を観た興奮から覚めることのできない自分がいます

私が友人とはじめてプラハを訪れたのはなんと2004年夏

すでに13年が経過しています。

しかし、その時に聖キリルとメソジウス教会をおとずれた衝撃は忘れ難く、

今を生きる私たちができること―平和な日本が平和であり続け、平和のリーダーとして世界で尊敬される地位を持つために頑張ります―みたいなメッセージを書いておいてきました。

  

 

2年後の冬に行ったときには、プラハはEUに加盟し、観光案内も整備されて街もきれいで明るくなっていました。

 

教会はクリスマスの礼拝が厳かに行われていました。

こうした年月を、監督はこの映画をつくるために専心していたのですね。

今ではツアーの観光地として大勢の人が訪れ、多くの写真がサイトにアップされています。

この出会いを今の私なりに向き合って考えを整理したいと考えます。

 

National Memorial to the Heroes of the Heydrich Terror

NATIONAL MEMORIAL TO THE HEROES OF THE hEYDRICH TERROR

 


「ハイドリヒを撃て」 ― Anthropoid  

2017-09-03 14:49:29 | 映画

ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦(邦題)

チェコ・イギリス・フランスの共同制作

原題「Anthropoid」(類人猿)はナチスの高官、プラハ総督(代理)であったハイドリヒ暗殺計画の作戦名

☆映画のストーリーにふれています(ご容赦ください)

チェコスロヴァキア(当時)は1938 年「ミュンヘン会談」でイギリス・フランスが

ナチスドイツの領土要求に譲歩したことによって事実上、解体された。

チェコは「ボヘミア・モラヴィア保護領」としてドイツの支配下におかれ

(スロヴァキアには傀儡政権が樹立された)

政府はイギリス・ロンドンに亡命した。

※チェコ空軍の闘いを描いた「ダーク・ブルー」ではヨーロッパ有数の空軍はたたかわずして翼をもがれた…とあります。

ナチスの高官、ラインハルト・ハイドリヒは、「ユダヤ人問題の最終的解決」=絶滅政策の主要な計画遂行者だった。

保護領監督代理としてプラハに赴任して以降、徹底的な弾圧による支配で「金髪の野獣」と呼ばれていた。

亡命政府からの指示でラインハルト・ハイドリヒの暗殺の使命をおび、

パラシュート部隊のメンバー(キリアン・マーフィー演じるヨゼフ・ガプチ―クとジェイミー・ドーナン演じるヤン・クビシュ)は国内にのこるレジスタンスのメンバーと連絡をとるべく、プラハ郊外に降り立った。

その壮絶なたたかいをショーン・エリス監督(脚本・撮影)がスクリーンに再生した。

15年間の歳月をかけて資料を読みこみ、当時の空気や息遣いまでも伝わってくる。

暗殺計画は失敗したが、ハイドリヒは重傷を負い1942年6月4日に死亡する。

そしてプラハ市民・レジスタンスへの徹底的な弾圧と拷問により、

隠れ家としていた聖キリルとメソジスト教会で最後を迎える。

ハインドリヒの死に怒り狂ったヒトラーはパラシュート部隊員の出身者を生んだ

プラハ郊外のリディッツエ村を絶滅させる。

16歳以上の男性は全員射殺され、女性と子どもたちは全員アウシュビッツに送り込まれた。

そして・・・・・・

ミュンヘン会談の協定は破棄され、イギリスは連合国として参戦する。

第二次世界大戦後、チェコスロヴァキアはヨーロッパに国を取り戻すが、

東西冷戦によりソ連の介入、プラハの春事件へと

チェコの人々の苦難は続いた。

暗殺事件、そしてリディッツエ村の悲劇から75年

この悲劇を生み出した背景について

深く考えざるをえなかった。

聖キリルとメソジスト教会、リディッツエ村に行った者として

改めて哀悼と敬意を表したい。

主人公を演じたキリアン・マーフィーがすばらしい。

「麦の穂をゆらす風」でアイルランド独立のたたかいに身を投じる青年を演じた。

ストイックな役柄に、透き通った瞳が意思の強さを表わしていて

今後も大いに活躍してほしい

ここまで読んでくださった方へ「ダーク・ブル―」も是非ご覧ください。

こちらは宮崎駿さんも推薦しており、ジブリからDVDが出ています。