原題は「Katyn」(カティン) ポーランド*アンジェイ・ワイダ監督(2007年)
あらすじ・・・1939年9月、ポーランドは西からドイツに攻められ、政府は亡命。東からはソ連が攻め込んできた。アンナは娘のヴェロニカを連れてクラクフから、夫のアンジェイ大尉を捜しに東部をめざした。夫とは出会えたものの、すでに友人の将校たちとともにソ連の捕虜となり、目の前で軍用列車で東へと運ばれていった。いつか家族のもとに帰る日を想い、アンジェイはすべてをメモにとることを決める。
いくつもの試練を経て、アンナはクラクフに戻り、娘とともにひたすら夫の帰りを待った。やがて、カティンで多くのポーランド将校が虐殺されたことがドイツ軍により明らかにされる。しかし、犠牲者にアンジェイの隊の大将や友人の名はあったが夫の名がないことを唯一の希望にアンナは生き続ける。
1945年、ドイツが敗退し、戦争は終結。自由を取り戻したかとに見えた時期もつかの間。ポーランドはソ連による支配下におかれ、カティンのことは語ることさえタブーになる。そして・・・
☆いわゆる「カチンの森事件」は、第二次世界大戦中、ソ連の捕虜となったポーランド将校12000人が1940年に虐殺されたというもの。(岩波ブックレットに取り上げられたことがあります)
ドイツの侵略とたたかいながら、社会主義国家としてソ連が参戦する間で生まれたポーランド国民の悲劇の象徴のような事件です。事件が発覚したのは、虐殺の3年後、1943年にドイツが事件現場を占領したことからです。しかしそれも戦争のための宣伝のため、そして大戦後も東西の冷戦構造のもと、ソ連支配下のポーランドではドイツによる虐殺だとプロパガンダに利用され、さらにソ連に対する忠誠心の踏み絵とされました。
ソ連政府は1990年、KGBの前身の犯罪であることを認め、1992年にはロシアのエリツィン大統領がスターリン直接署名の命令書によるものであることを言明しました。
☆カチンの森事件を正面から取り上げた初の、映画。アンジェイ・ワイダ監督のお父さんもこの事件の犠牲者とのこと。監督は80年代のポーランド民主化の運動にも力を発揮し、来日もしています。
映画中、捕虜として希望を失っていく将校たちを前に、クリスマスの夜、大将が演説をします。「徴兵されて運命を共にしたものに言いたい。君たちの大半だ。学者、教師、技師、弁護士そして画家。生き延びてくれ。君たちなしで自由な祖国はありえない。我々は欧州地図上にポーランドを取り戻す。君たちはそのポーランドを再建する」
-映画の魂がこめられたセリフだと思います。そして、ここに、ソ連がこの人々を虐殺した理由のひとつがあるのではないでしょうか。
「ベルリンの壁」崩壊ーという歴史的できごとに象徴される東欧諸国の民主化=ソ連による支配からの解放から20年が経過しましたが、ポーランドの民主化への道筋が確かなものであることを示した、監督ワイダ氏渾身の作品だと思います。
ドイツ統一が戦終結の象徴としてあまりにセンセーショナルで繰り返し報道され、記憶に刻印されたのでソ連崩壊と東欧諸国の劇的な変化ーなにより東欧諸国が小国であったこともありますが相対的に遠くに押しやられていたことを思わずにいられませんでした。
第二次世界大戦後の冷戦構造のもとで、この事件を踏み絵に、ポーランド国民の悲しみは続きます。
東京・岩波ホールにて公開中
チェコ映画の「ダーク・ブルー」(DVD・角川文庫)も是非ご覧ください。
-第二次世界大戦下、祖国と自由のためにたたかった戦士たちは、再び、民衆の自由のためにたたかうことができないように、その翼を奪われた-
振り返って日本は第二次世界大戦で犯した罪を本当にあがなっているでしょうか。そのことを深く考えずにはいられませんでした。