2004年夏 プラハからバスに乗り リディッツェ村へ
バスはガラガラ 降りたのは友人と2人
運転手のおじさんが、バスを降りたらあっちだよ
といってくれたらしい
その方向に歩いていくと
なだらかな丘の下からさわさわと風が上がってきて
なぜだか突然、全身に鳥肌がたちました
そしてその当時から村の再建・再現が試みられ
アウシュビッツに送られた子どもたちを偲ぶモニュメントが創られていました
一人ひとりの表情まで再現したいと時間をかけた製作が続きます。
Hiroshima City 大量殺戮の悲劇にみまわれた町として広島市と姉妹都市になっています。
帰りのバス停の傍には実りを迎えた麦畑が広がっていました。
友人と私は無言でその麦畑の前にたたずんでいたのです。
to be continued
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