ハイデルベルグ城は1300年ころ、
プファルツ選帝侯の居城として建造されました。
5世紀にもわたる破壊と、さまざまな建築様式をとりいれた再建を繰り返し、
最後には30年戦争で破壊されてしまいました。
廃墟となったまま残されている姿は、たび重なる戦禍とともに、
時代のエポックとしてドイツロマン派文学に何度もうたわれたこの城の
栄華をほこった時代をしのばせます。
城の入り口からネッカー川・カール・テオドール橋をのぞむ
1689年、ルイ14世の軍によって破壊され、
廃墟のような姿になりました。
フリードリヒ館は1607年に建築されました。
マンハイムの創始者、選帝侯フリードリヒ4世にちなんで名づけられました。
*22万リットル!以上もあるワイン貯蔵用の大樽が展示されています。
現在の樽は4代目とか…残念ながら時間の都合でみられませんでした。
城のテラスから、ネッカー川沿いにひろがるハイデルベルグの街並みの美しさ
ハイデルベルグのシンボル。カール・テオドール橋
橋に鎮座するのはサルかネコか…
う~ん、やっぱりサルですか…
手にしている鏡は偽善者の姿を映すとか
その足元にはねずみがいました!
誰がうつっているのかなぁ
1788年に選帝侯カール・テオドールにより建設された街のシンボル的な橋。
別名「アンテ・ブリュッケ」(古い橋)とも呼ばれています。
長さは約200メートル
車道にも石畳が使われているのです
ハイデルベルグ城の高台から望むネッカー川とカール・テオドール橋
ハイデルベルグ大学です
選帝候アルブレヒト1世が1386年に創設したドイツ最古の大学
7人のノーベル賞受賞者を出した名門です。
旧校舎がゴシック様式の尖塔と重厚なレンガの建物です
日本の大学のイメージは東大の赤門に象徴されるように
立派な門構えに重厚な研究棟、広いキャンパスですが、
街なかにごく普通に、存在していました。
世界で最初の大学ーチェコのカレル大学もしかり
万人を受け入れる
学問に壁はない
との思想でしょうか
権威の象徴
学生牢もありました
逃げられないように鉄格子が窓にはめられています
今では、たしかレストランか生協か・・・
敷地に入るとお金がいるので、ドアから覗き込んでみました
曇り空の中をバスはひたすら走り、あこがれのハイデルベルグへ~
*「ロマンティック街道」はフランクフルトの南東、ビュルツブルグを北の起点にローテンブルグ、アウグスブルグを通り、
ノイシュバンシュタイン城のふもとの町、フュッセン(南の起点)までの約350キロにわたる街道を指します。
フランクフルトの西、マインツを西の起点にハイデルベルグ、ニュルンンベルグを通り、チェコのプラハまで1000キロを
「古城街道」とよびます。
日本人観光客向けにダイジェストで組み込まれているのはハイデルベルグの人気の高さでしょう。
聖霊教会から市庁舎広場へ
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ハイデルベルグはドイツ最古の大学が創設された地です
ゲーテやショパンなど多くの詩人や芸術家が訪れたことでも有名です。
私がハイデルベルグの名を初めて知ったのは
大学を舞台にした小説「アルト・ハイデルベルグ」を読んだときです。
ハイデルベルグ大学に留学した王子と酒場の娘の切ない恋物語
「時が人と町を変えても変わらないのは君と君の思い出だけだ」
~というような台詞でThe endだったような~
ハイデルベルグ市庁舎前広場
市庁舎前に自転車をおいて・・・
レンガ色の落ち着いた町並みです
夏休みでにぎわう町並みを抜けて、レストランでランチは鶏肉でした
聖霊教会
1544年に完成したプファルツ選帝侯領内最大のゴシック様式教会。
ドーム型の建物が特徴で、ステンドグラスは必見とのことでしたが、
外側を通っただけでした。
ライン川クルーズもいよいよ下船に・・・
右舷に見えてきた大きな岩がローレライです
「ローレライ」は岸にたたずむ水の精の伝説で、クレメンスによる小説(以下)でも有名です。
美しい歌声で通りがかった船を沈めたといわれるローレライの魔女伝説。
ライン川でもっとも川幅が狭く、難所であった岩山で多くの船が転覆した
悲劇から生まれた物語です。古典ドイツ語でLuen(潜む)、Ley(岩)とい
う言葉から生まれました。「父なる大河」と言われるライン川の恐ろしさと
美しさを象徴しています。
「ローレライ」:クレメンス・ブレンタ―ノ作:昔、バッハラッハに多くの男性から求愛を受ける
ローレライという美女がいました。彼女はある若い騎士をあいしていました
が、聖職者までが彼女のとりことなり、激しい嫉妬から彼女は魔女として
訴えられてしましました。裁判で修道院での生活を言い渡され、移動して
いる途中、愛する騎士が乗った船が通り、思わず駆け寄ると、岸から落ち
て、川に消えてしましました。
ザンクト・ゴアールでは家族でサイクリングの旅を楽しむ多くのドイツ人がいました。
素敵な街並みをサイクリストがゆきます
<⑪猫城>1317年に築城、城主のカッツェン伯爵(Katze カッツェはドイツ語で猫)
に由来しています。難攻不落の強さを誇りました。
さて、ザンクト・ゴアールで下船してからバスに乗り、次の訪問地、ハイデルベルグへ~
マインツ川沿いの車窓の風景は、曇り空のもとでも素敵なリゾート地の風景が続きます。
<⑨プファルツ城>川の中州にあるのは行き交う船から通行税を徴収するため。
14世紀頃に建てられた真っ白な美しい城です。
現在は資料館として見学可能です。
<⑩シェーンブルク城>「美しい城」という意味の名前。200年近く廃墟だったものを19世紀に再建。
現在はホテルとして営業しているそうです☆
*オーバーヴェーゼル駅から車で5分。Sは95ユーロ~、D170ユーロ~
オーバーヴェーゼル:ドイツの国旗は船着き場のデッキを帆船に見立てたマストに翻っていました。
さて、いよいよローレライの岩が右手に見え始めます。
サンクトゴアールまでもうすぐです。
ライン川クルーズでは4カ国語で解説が放送されています。
ドイツ語、英語、日本語、そして中国語です。
なるほど・・・と思うほど中国人観光客の多いこと、インド人も大勢いました。
でもパリに行ってもっと驚きましたよ・・・**;
さて、クルーずもやっと半分きました。
<⑧シュタールエック城> 山上のしゃれたお城からの眺望はライン川流域で
1,2を争うほどすばらしいと評判です。
格安料金で古城ステイが楽しめるユースホステルになっています。
*バッハラッハ駅から徒歩30分。料金はドーミトリーで20ユーロ程度、
ツインは23ユーロとなっていました。(ガイドブックによる)
バッハラッハの乗船場です。左上の小高い丘の上にシェタールエック城が見えます。
ワイン畑にオーナーの名前が記されています。中央の白い文字です。
今にも泣き出しそうなどんよりとした雲に覆われていましたが、広大な川の景色とワイン畑、そしておとぎの国のような街並みに癒されます。
クルーズは上り・下りの両方がありますが、下りの際は左岸に多くの城を望めます。
もっとも船室からより、デッキの方がクルーズのだいご味を楽しめるのでおすすめです。
ニーダーハイムバッハ周辺には流域でもっとも多くのお城があります
<⑦フュルステンベルク城〉 17世紀にスペイン軍などに占領され、破壊されて以来廃墟のまま。
現在は塔だけが残っています。見学はできないそうです。
お城が残っているということはそれだけ多くの戦いがあったということですね。
素敵な街並みが残っていること自体、幾多の戦乱を生き抜いてきた
市民たちの無言の闘いの証―なのでしょう。
おとぎの国のような家並が沿岸に続きます。
<⑤ライヒェンシュタイン城>11世紀に建設されましたが、盗賊の巣窟になった!
時代もあるという波乱万丈のお城。
現在はレストラン・博物館としてオープンしています。
きれいに整理されたぶどう畑…
<⑥ゾーンエック城> ライン川で最も美しい城として有名です。
19世紀初頭には王家の狩猟城として使用されていました。
現在もガイドツアーで見学可能です。
ライン川の豊かな水量を生かし、運搬用の船が行き交います
遊覧船と異なり、細長い船体です。
山が削り取られて、ベルトコンベアで運ばれた土砂がそのまま輸送船に積み込まれていました。
ドイツでも世界遺産の地域でこんな風景があるのかとお城と一緒に写真におさめました。
廃墟となっているものもあれば、宿泊施設になっているお城もあります
*・*・*・・廃虚となったお城でしょうか…
<①クロップ城> 出発地に登場するお城です。周辺のお城とほぼ同じくローマ時代に建設され、
マインツ大司教の指揮下にありました。
1713年に撃破されましたが、その後修復され、現在は町役場として利用されています。
修復中の網がかかっていました。
<②ブレムザー城> リューデスハイムの市内にありますが、クルーズでは発見できませんでした。
マインツ大司教の本拠地として12世紀に建設され、現在はボトルやグラスなど
約2000点を展示するワイン博物館になっています。
<③ねずみ塔> 船から通行税を徴収する税関だった塔とのことです。
幽閉されていた悪名高き大司教を、ネズミが食い殺したという
伝説も残っているそうです。
<④ラインシュタイン城> 左岸に見えてきたのは最も美しい城のひとつ。
900年ころに完成し、税関所として使われていたもの。
19世紀に再建されたとのことですが、通行する船から
厳しい徴税が行われていたのでしょうね。