いるかくらぶで開催されているいるか広場では
ヨーガをベースとした日常のあり方などを紹介していただき、
「心」や「私」のエッセンスに触れながら共に学んでいます。
いるか広場で話し合ったテーマをご紹介します。
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テーマ(幸せですか、幸せをみつけませんか)
いるか広場(2007年1月29日11時より)
自分自身を信じていますか。
あなたの心はいつも何を願っていますか。
いつもあなたを守りたいと心の奥にもう一人の私がいるのです。
もう一人の私はいつも悲しい私、辛い私、嬉しい私、優しい私、頑張る私、
私全部をいつも見守っています。
だから、信じて任せて楽しく生きるのです。
一日一回はほんとうの私と語り合ってみましょう。
もう一人の私を宗教では仏性と言ったり、神さんだったり、
まごころと言ったりします。
ヨーガでは真我(アートマン)と言います。
あなたが街角で素敵な服を見つけました。欲しくてたまりません。
もうすぐボーナス、ボーナスが入るとすぐに買いました。
暫くは鏡の前で服着たり脱いだり楽しい日々が続きます。
しかし、また,街角で素敵な服に出会いました。
もうボーナスも無くなり、買うお金がありません。
何故私にはお金がないのかと悔やみ、もっと沢山のお金が貰える仕事に
変わる事にしました。そのお金で服が買えました。
また、ある日素敵な服がありました。
ただ繰り返すだけなのです。
このような事があなたにはありませんか。
止めどなく続く欲望、そして、欲しいものを渇望する自我、
手にいれた物への執着、それを失いたくない、
失う不安から来る憎悪、死に対しての恐れが身体への固執、
いつまでも生きていたい生命欲。これらはすべて無知故におこります。
すべての原因は無知にあります。
無知はこの果物は知っていますかと、ドラゴンフルーツを見せましたが、
日本本土にはない果物でした。知らないし見たこともないと答えました。
これは無知でしょうか、
これは普通のその果物知らないということで、ここで言う無知ではありません。
仏教では、諸行無常と言いますが諸々の行いに常が無いということです
ですから、綺麗な花もいつしか枯れて、綺麗な花の形は無くなります。
また、私たちも老いていきます。
気持ちはどうでしょうか、
先に述べたように次々と服の好みが変化し、更にいい服を渇望していましたね。
こころ、感情も、肉体と同じように変化しているのです。
そのことに気づかない、これが無常を常と思う無知。
不浄を浄と思う無知。
苦を楽と思う無知、
自己ならざるものを自己(ほんとうの自己は奥に在る優しい私なのに、
自我の私を自己と勘違いする)と思う無知、
四つの無知は私たちを惑わし苦をつくり、日々知らないこと(無知)が
幸せになりたいと思い続けることになります。
子どもの幸せを願わないお母さんはいないと思います。
だから、悩み心配して、あれこれと取り乱していませんか。
無知なる自己を知り、赤ちゃんは何を欲しいと懇願していますか、
お母さんの自我の自己で観ないで、優しい自己(アートマン)で観てあげませんか。
一緒に育ち合いましょう。
見つめて、触れて、撫でて、抱っこして赤ちゃんを感じて、
赤ちゃんが懇願していることに気づきましょう。あなたの無知は浄化されるでしょう。
子育ても生きることもすべて同じです。
優しい自己を感じて信じて生きれば幸せは自分自身の中にあるのですから、
すべての答えは、あなたの奥にあるほんとうの私(アートマン)にあります。