いるかくらぶで開催されているいるか広場では
ヨーガをベースとした日常のあり方などを紹介していただき、
「心」や「私」のエッセンスに触れながら共に学んでいます。
いるか広場で話し合ったテーマをご紹介します。
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テーマ(ストレスの原因は何処からくるのでしょうか)
いるか広場(2007年12月7日11時より)
何かが起きたとき誰かのせいにしてしまうこと、
誰かが何かをしてくれなかったから、
と思ってしまうことがあるかもしれません。
私は20代の中ごろまでいつも何かに追い立てられるように資格をとったり、
趣味に没頭したりしていました。
しかしどれも長く続かず、飽きては次のことへ・・・を繰り返していました。
ある時、きっかけはそれ程大きいことではなかったと今なら思えるのですが、
仕事のストレスからまるで電池が切れたように外に出ることも
人に会うことも嫌になり、会社も辞め家に引きこもりがちになりました。
その頃のしんどさは、まるで光の見えない海のそこを歩いているような気持ちでした。
そんな苦しいけど何をしていいかもわからない時に、
前に進む手助けをしてくれたのがそのとき通い始めた整体の先生でした。
(その頃の私はむくみが激しく、母にすすめられて整体に行くことにしたのです。)
そこから、私をそこまで追い詰めた本当の原因探しが始まりました。
何せ20年以上考えたこともありませんでしたから、簡単には見つかるはずもありません。
壁にぶち当たっては原因をほじくり、泣きわめいては進んでまた立ち止まりを繰り返し、
ようやくたどりついた答えが母へのコンプレックスでした。
母に誉められたい、注目されたいという思いです。
私を育てた頃の母はとても忙しく、ストレスも膨大で辛い状態にありました。
もちろん虐待を受けたことはありませんが、私にばかり集中している暇はなかったでしょう。
自然と私は母に迷惑をかけないよう顔色を見、聞き分けの良い子になりました。
しかし、誉められたい、注目されたいという思いを知らない間につのらせていたのでしょう。
何かに打ち込んで資格をとれば誉めてもらえるのでは?
活動的にしていれば(母は活動的な人だったので)誇らしく思ってもらえるのでは?
と特別したくもない事までしていたような気がします。
その事に気づいたとき私は自分自身の空っぽさに嘆き、
子どもの頃母がもっと私を見ていてくれればこうならなかったのでは?・・・
と母を責めました。
そんな私にその整体の先生は自分でそれに気づいたことを誉め、
しかし、母を責めるのではなく受け入れることを教えてくれました。
受け入れて、一から空っぽではない自分になるために歩き始めること、
母のせいではなく問題は自分の自信の無さだということを教えてくれました。
この経験から私が大事だと思うことは3つあります。
まずストレスや問題を放置せずその時に原因を探ること・・・
放置しても問題は消えないし、消えたように思えてもまた形を変えて出てくるから。
そして受け入れること・・・
その現実が認めたくないことでも受け入れるしかないのです、
受け入れないと前に進めないから。
最後に答えは自分自身の中にあるということ・・
結局は誰のせいでもなく、自分で考え自分で行動しなくては何も変わらないから。
今私には息子がいて毎日成長していく様子に日々幸せを感じています。
そんな今の私があるのは、整体の先生の助けを借りて
問題を探り・受け入れ・母のせいではなく
自分の中に答えを見つけたからだと思っています。
そして、これから息子が自分の力で自分らしさを見つけていけるよう、
見守っていければ・・・と思っています。