病み上がりですが母が心配をするので顔を見せに金曜日の夜から来ています。
野菜作りにいきずまりを感じています。二週間に一回は野菜たちに気の毒ですね。
以前は母が草引きや世話をしてくれましたが年のせいか動けなくなりました。
東大阪の茄子やゴーヤは良く育ちますが、丹波の畑は手が入っていないだけ気の毒です。
何でも、その物に集中して心を添えていかないと健全に育ちませんね。
子育てもそうです。仕事だから仕方がない、病気だから仕方がない、子どもには関係のないことです。母がいないその事実は子にとっては寂しいさには変わりません。消極的ネグレクトというそうです。
かつて、私も夫、その両親、弟、妹そして我が子5歳と3歳が一緒に暮らす大家族でした。姑が急死したため、家業を手伝うことになりました。3歳の子は公園も行く時間がありませんでした。芯から優しい子どもでしたから、母の側でゴザを引いてひとり遊びをしてくれる良い子でした。私も家業と職人さんたちへの配慮など、そして家事といっぱいいっぱいでした。仕方がないと思っていました。しかし、我が子はひたむきに自分を出せない子になっていました。その結果が現れたのが中学2年生でした。高校に入学するまで続きました。何がそんなに腹が立ち、やる気も起こらず、何もしようとしないのかと、尋ねました。「僕もわかへんのや」と答えました。この答えはせいっぱいの訴えだったのでしょう。辛かったやなと感じましたが、すでに手遅れですよね。しかし、彼なりにどんどん自らの思いを整理していきました。そして希望の高校に入学できました。それで何とかなった訳ではありません。長い間に培われた性格、思考傾向は変われるものではありません。それでも、彼自らが克服していくしかないのです。もがく、我が子の姿を静かに見守るしかありませんでした。私の忍耐力が養われた時でした。したがって、子育ては自分(母自身)育てだと確信しています。