とても嬉しいことがありました。
田原は「お子さんが二ヵ月頃から参加していると、成長とともに勝手に遊ぶようになりますよ」と伝えました。
ふたり目のママ「本当にそうなりました」「ヨーガでママが集中していくことでこの様になるのですね」と、ママは笑顔でした。
私は常々、「子どもはママがいい顔をして側にいるだけでいい」と言ってきました。
ヨーガの実践を通して、ママ自らは身体を使い呼吸を丁寧におこなう。
そして我が心と対話します。その繰り返しが自らの癖(傾向)を感じ取ります。理屈ではない領域です。
自分で何とかしようと思えば思うほど上手くいきません。正そうとしても難しいことです。楽しそうなイベントに参加しても心が一時的に高揚するに過ぎません。心はもっともっと楽しいことを望むようになり、かえって、楽しいことを望むが得られないことに苦しみます。
ヨーガの実践は、アーサナをすることで自然に呼吸が調い、集中が高まります。すると不思議で心も何となく穏やかになります。自らの力です。どんどん、心が純粋になり心を超えた深い空間から「本当の私」現れます。
すでに、私たちには「本当の私」存在しています。あらゆる習慣性の癖(性格)本当の私を覆い隠しているのです。
この覆いは、自らが取り除くしかないのです。その方法がヨーガです。
群れて一緒にヨーガの実践をしていると、ママの心は静かになります。そして子は自然にひとり遊びを行ないます。
興味がある物体に向かってハイハイは早くなり、また次へと身体を動かします。
結局、自由な行為が他の仲間たちの存在を感じ取り、共に遊ぶようになります。
大人が教える訳でもないのですが彼女、彼たちは自らの真実をつかみ取ります。
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この間の話です。
「良心」という言葉は字面を見れば「良い心」と読めます。本来は「良いこと」と「悪いこと」を見極める心の働きを意味しているそうです。また、そういった内面に存在する「本当の私」を共に知る・探求するという意味もあるようです。
ママたちは日々の生活の中での状況は、一般に説かれているような単純なものではなく、いろんな諸事情が複雑に絡み合っています。
そのため、ある空間では「良いこと」とされることが別の空間では「悪いこと」とされる場合もあリ、結局は「良いこと」と「悪いこと」を区別しているのは、私達各々の「心のものさし」によるものだともいえます。
ヨーガの教えにはヤマ・ニヤマという生活の中で守るべき他者への行為・自己への行為があります。
すべては尊い、だから傷をつけてはいけない。また嘘をつかないで正直に行為する。今を一生懸命生きる。そのように思い、語り、行為することが大事であると教えます。
また、仏陀の教えには「真理」を実現するための八つの道が示されています。これらはここでの「良いこと」と「悪いこと」といった区別や価値観を超えたところにある絶対的な「真理」であると言われています。心の明確な方向性を知ることも自己の内面を識別していく上での大きな手助けになるのです。
話し合いの中では、他者(特にそばにいるパートナー)との価値観の違いにこちらまで気分が落ち込んだり、負の雰囲気に飲まれてしまいそうになるというお話も出ました。共に考えを共有しても理解してもらえない、相手が変わることを願ってみても難しいことが多々あります。
解決策は他者や環境の中にあるのではなく自己の心の中にある。そう考えるとまずは自己の内面を見つめ、自分がそれらに振り回されない心を整理整頓していくことが大事になります。そして如何なる時も真理をあてがえ、心を正していくのです。それは何時しか、心は軽やかになり苦痛のない生活ができるようになります。
大変なことですが一歩一歩進むしかありません。