~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

丹波にいます。

2016-07-16 17:32:17 | Saranyaのひとり言

病み上がりですが母が心配をするので顔を見せに金曜日の夜から来ています。

野菜作りにいきずまりを感じています。二週間に一回は野菜たちに気の毒ですね。

以前は母が草引きや世話をしてくれましたが年のせいか動けなくなりました。

東大阪の茄子やゴーヤは良く育ちますが、丹波の畑は手が入っていないだけ気の毒です。

何でも、その物に集中して心を添えていかないと健全に育ちませんね。

子育てもそうです。仕事だから仕方がない、病気だから仕方がない、子どもには関係のないことです。母がいないその事実は子にとっては寂しいさには変わりません。消極的ネグレクトというそうです。

かつて、私も夫、その両親、弟、妹そして我が子5歳と3歳が一緒に暮らす大家族でした。姑が急死したため、家業を手伝うことになりました。3歳の子は公園も行く時間がありませんでした。芯から優しい子どもでしたから、母の側でゴザを引いてひとり遊びをしてくれる良い子でした。私も家業と職人さんたちへの配慮など、そして家事といっぱいいっぱいでした。仕方がないと思っていました。しかし、我が子はひたむきに自分を出せない子になっていました。その結果が現れたのが中学2年生でした。高校に入学するまで続きました。何がそんなに腹が立ち、やる気も起こらず、何もしようとしないのかと、尋ねました。「僕もわかへんのや」と答えました。この答えはせいっぱいの訴えだったのでしょう。辛かったやなと感じましたが、すでに手遅れですよね。しかし、彼なりにどんどん自らの思いを整理していきました。そして希望の高校に入学できました。それで何とかなった訳ではありません。長い間に培われた性格、思考傾向は変われるものではありません。それでも、彼自らが克服していくしかないのです。もがく、我が子の姿を静かに見守るしかありませんでした。私の忍耐力が養われた時でした。したがって、子育ては自分(母自身)育てだと確信しています。


本当の幸せ探し!

2016-07-16 08:21:42 | Saranyaのひとり言

http://hukumusume.com/douwa/betu/world/03/01.htm引用させていただきました。

青い鳥

 



青い鳥
メーテリンクの童話

 むかしむかし、あるところに、まずしい二人の子どもがいました。
 お兄さんの名前はチルチル、妹の名前はミチルと言いました。
 クリスマスの前の夜のことです。
 二人のへやに、魔法使いのおばあさんがやってきて言いました。
「わたしの孫が、今、病気でな。しあわせの青い鳥を見つければ病気はなおるんじゃ。どうか二人で、青い鳥を見つけてきておくれ」
「うん、わかった」
 チルチルとミチルは鳥カゴを持って、青い鳥を探しに旅に出ました。
 チルチルとミチルがはじめに行った国は、『思い出の国』でした。
 二人はこの国で、死んだはずのおじいさんとおばあさんに出会いました。
「人は死んでも、みんなが心の中で思い出してくれたなら、いつでもあうことができるんだよ」
 おじいさんは、そう言いました。
 そして、チルチルとミチルに、この国に青い鳥がいることを教えてくれました。
 ところが、『思い出の国』を出たとたん、青い鳥は黒い鳥に変わってしまいました。
 チルチルとミチルは、つぎに病気や戦争など、いやなものがいっぱいある『夜のごてん』に行きました。
 ここにも、青い鳥はいました。
 でも、つかまえて『夜のご殿』を出たとたん、青い鳥はみんな死んでしまいました。
 それから二人は『ぜいたくのごてん』や、これから生まれてくる赤ちゃんがいる『未来の国』に行きました。
 どこにも青い鳥はいましたが、持ち帰ろうとすると、みんなだめになってしまうのです。
「さあ、起きなさい。今日はクリスマスですよ」
 お母さんのよぶ声が聞こえました。
 目を覚ますと、二人は自分たちの部屋のベッドの中にいました。
 青い鳥を探す旅は、終わったのです。
 チルチルとミチルは、とうとう青い鳥をつかまえることが出来ませんでした。
 でも、チルチルとミチルが、ふと鳥カゴを見ると、中に青い羽根が入っているではありませんか。
「そうか、ぼくたちの飼っていたハトが、ほんとうの青い鳥だったんだ。しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね」
 二人はお互いに顔を見合わせて、ニッコリしました。
 魔法使いのおばあさんは二人に、しあわせはすぐそばにあっても、なかなか気がつかないものだと教えてくれたのです。

おしまい

 

この童話を読まれて何を感じました。

昔話は何かを知らせる、何かを感じ取る。そんなお話が多いように思います。

夏休みに入ります。忙しいとは思いますがお子さまとひと時、童話を読み、お話をして、すこしの時間を静かに主人公になって感じてみてはいかがでしょうか。これも子どもと行なう瞑想のような気がします。

夏の夜長…お楽しみください。


子育てに何が必要!!

2016-07-14 08:32:42 | Saranyaのひとり言

私は子育て…何が必要なのかと考えました。

子どもは何者…男の子、女の子、これらは私のものか?では絶対的に子どもに対して全責任をとれるのか?私は子どものすべてを知っているか?

何も知らないことに気がつきました。責任は取れないかもしれないが寄り添い、心を感じることはできる。命が危うくなったとき我が身を差しだせる距離に居る。只、口にはしないが幸せであって欲しいと願う。そして素直に正直に生きて欲しいと日々願いもする。人として彼女、彼を護るだけ…。私の役目でもある。と覚る。

子どもは私の分身ではない、そして子どもの心の中は計り知れない。何を考え。何を思い。何がしたいのか。

あなたは分かりますか。

それよりも、子どもって2カ月からすでに母の口真似をします。仕草の真似、兄弟を叱り戒めている姿など…唖然としたことありませんか。ならば、母の真似をするのだから、母が素直で正直に生きればいいということになりませんか。

そして反抗期に備えて、義務と権利をしっかり区別して体で感じるような生活の営みが大事だと思えるのです。

思春期は口数減らず、いっちょまえに理屈を言います。そして権利を主張してきます。その時、母は毅然として義務を主張できるよう日々の生活を正しておきませんか。理屈は子どもの方が正しい時があります。世の中の汚れた計らいを知らないからです。大事にしてあげたい言い分です。頭ごなしに押さえつけても、後で母への風当たりが強くなるだけです。

母がしてあげられることは、母自身が純粋な心で生活ができることです。

かつて、お釈迦様は苦集滅道という教えを説かれました。苦集滅は日常生活に起きる苦の種を善悪で判断せず、真理をあてがえて判断し行為する、それも実践しながら「道」正しく見る…これがまず大事です。自我ではない純粋な意識が必要になります。言葉も思いも行為も正されるでしょう。そして5番目に「正命」正しい命と書きます。命は生きる人生を指します。人生は日々の営みです。生活を正すことです。ここでも義務と権利をどのように解釈し行為するかになります。

高校生になれば、このようなことについてしっかり話し合えるようになります。中学生でも母が実践してきていれば、噛み砕き優しい言葉で話し合えるでしょう。

情報を貪り、書物を読むだけでは?知ることと感じることは天と地ほどの違いがあります。その内容をよく考え、実践してみます。そして私の思いと行為にあてがえ、識別します。この繰り返しをしていきます。

妊娠中からお腹の子どもと語らいを初めてください。それが「安産のヨーガ」の醍醐味です。

 


これが双方の幸せとなることでしょう。

ご参考まで  右にブックマークがあります。その「読んで学ぶヨーガ」をご覧ください。

 

 

 

 


二つの道

2016-07-13 08:20:10 | Saranyaのひとり言

今幸せでないと思っている貴女。

運命だから仕方がない。それは運命ではありません。

貴女が選んできた道なのです。

私のヨーガの師は「ヨーガの道」「カルマの道」二つの道があるといわれます。

ヨーガの道は生まれてきた役割をしっかり考えて、損得じゃない方向を見つけていく道。真実に向かって生きる道。私の中に神を観る道。そして皆さんの中にすべての万物に神を観る道…。すべては自己放棄をし他者に献身奉仕をする道です。

もう一つの道はエゴの言いなりになり利得の道。神を見ない道になります。

(今、咲こうとしています。どちらの道を我が子に与えますか。)

貴女はどちらの道をえらびますか。

私はまだまだ不完全ですが「ヨーガの道」を選んでいます。

 

 


我が命何処へ

2016-07-12 09:16:34 | Saranyaのひとり言

暑中見舞い申し上げます。

7月3日から起き上がれない状態でした。現在は少し家事をしながら回復を待っています。
年に1回起こる症状です。

どうも、疲れによる血圧の低下のようです。毎年暑くなるこの時期に起こります。

脳に血液が循環していない状態です。故に三半規管の弱い私は、車酔いのような状態が起こります。吐き気、下痢、頭痛、これは想像を絶するような状態が現れます。便器を抱えて5分ほど、突き上げる吐き気で内蔵が口からでそうです。骨盤も割れそうです。しかし、その状態を客観的に見ている私がいます。自律神経系の乱れ、多分、薬を飲めば軽減するでしょう。皆さんにも迷惑をおかけすることはなかったでしょう。

しかし、今、病院に行けば、検査、まず血液検査、脳のMRI、胸部X線、あげくは胃カメラになるでしょう。まっぴらです。

昨年は、今の状態で活動を開始しました。そして回復を待ちながら活動の継続を行ないましたが、4月から若きスタッフにバトンを渡した今、徹底的に養生をしてみようと決心しました。今月の活動は皆さんに無理をお願いして、すべてキャンセルにいたしました。

あれから10日経ちました。昨夜は軽くヴリクシャ・アーサナ。マールジャーラ・アーサナ。ハラ・アーサナ。サルヴァーンガ・アーサナ。ブジャンガ・アーサナ。マッチャ・アーサナ。バッダコーナ・アーサナ。マッチェードラ・アーサナ。ヨーガ・ムドラとしました。シールシャ・アーサナも行ない瞑想入りました。瞑想は師とともに在ること、師に近づき心境を感じる瞑想に徹しています。暑くて夜中目が覚めると起き上がり、瞑想を30分間して今朝は軽やかに起床できました。私にはヨーガがお医者様だなと感じています。

以前、我が家にチロという犬がいました。
チロは具合が悪くなると、ただ、何も食べず、少しの水で体調が戻るまで、泣きもせず、イライラもせず、焦ることなく、じっと過ごしました。毎年この状態になりチロのことを思い出します。ただ、仰向けになり何も考えず、思わず、食べず安静で過ごします。そうしていると辛くないのです。根本的にどこかに病巣がある訳ではないなと感じます。
このようにして、我が肉体は枯れていくのでしょう。私はこのように過ごせますが人それぞれでしょう。2000年に乳癌を患ったからこそ、これが私のあるがままの生き方です。

この静寂な時を真我に留まり、師と話したりゆったりと過ごせることは幸いです。

今後の課題は、このような状態にならないように大切な道具である肉体を護ることかな?って…。

皆さま、暑い日々ご自愛ください。

そしてヨーガを学んでください。それはきっと貴女を自然に救ってくれるでしょう。