尻別川のイトウを守れ! 絶滅危機から復活させたオビラメの会の30年の闘い(産経新聞) - goo ニュース
日本では北海道にだけ生息する魚にイトウがある。サケ科の淡水魚で、体長は1メートルを超えるものもある釣り人にとってはあこがれの大物だが、その南限とされる尻別(しりべつ)川でイトウを絶滅の危機から守ろうと活動しているグループが今年、世界で初めて復元に成功。11月には自然環境分野における業績を顕彰している民間団体から表彰も受けた。30年かけて取り組もうという尻別川のイトウ復活の道のりとは-。(札幌支局 藤井克郎)
11月18日、札幌市のホテルポールスター札幌で行われた第30回前田一歩園(いっぽえん)賞表彰式。阿寒湖周辺の環境保全に取り組んでいる一般財団法人「前田一歩園財団」が、北海道の自然環境の保全に関して活躍している団体、個人を顕彰する賞で、今年は前田一歩園賞に2団体、小中学生の活動を顕彰する一歩園ジュニア自然環境賞に2団体が選ばれた。
このうち前田一歩園賞を受賞した「尻別川の未来を考えるオビラメの会」は、倶知安(くっちゃん)町やニセコ町などを流れる尻別川で絶滅の危機にあるイトウを復活させようと活動している団体で、今年5月には、7、8年前に放流した人工孵化(ふか)の稚魚が成魚となって帰ってきて産卵を行ったことを確認。イトウの再導入実験に成功した例は世界初とあって話題を呼んだ。オビラメとはアイヌの言葉でイトウを意味する。
表彰式で、審査委員長の北海学園北東アジア研究交流センター特任教授の松江昭夫さんから「恐らくこれから尻別川のイトウが発展していく、その道をつけた大きな成果だと思う」と評価された「オビラメの会」の草島清作会長は「復活には30年計画で臨んでいる。尻別川のイトウの種はもう絶えることはないと思いますが、この受賞をきっかけに後継者の育成など活動をさらに続け、流域に貢献できたらと思っています」と喜びを語った。
☆ ☆ ☆
後日、オビラメの会の活動を取材させてもらおうと事務局に連絡すると、「会員には地元の人がほとんどいなくて、札幌とか東京とかが多いんですが」と意外な答えが返ってきた。でも現地を見たいから、とお願いしたところ、事務局長の吉岡俊彦さん(65)がJR倶知安駅まで出迎えてくれた。ニセコ町でアウトドアサービスの会社やそば店などを経営している吉岡さんは、平成8年にオビラメの会が設立された当初からのメンバーだ。6人からスタートして、現在は88人の会員がいるという。
「そもそもは尻別川で釣りを楽しんでいた人が、1メートル級の大きなイトウしか釣れないことに気づいたのがきっかけでした。小さい魚が捕れないということは稚魚が育っていないんじゃないか、と。原因は水害を防ぐための工事のせいで、生態系のことも研究しながら開発してほしいと行政に働きかける一方、イトウをよみがえらせるための活動を始めることにしたんです」と吉岡さんは振り返る。
イトウはほかにも猿払(さるふつ)川や朱鞠内(しゅまりない)湖など道内数カ所に生息するが、尻別川はその南限とされている。行政面では、砂防ダムで遮断されている川をイトウが遡上(そじょう)できるよう魚道をつくってもらうことを提案。倶知安町内の支流に5カ所の魚道が設置された。
さらにイトウの稚魚を放流して繁殖しようとしたのだが、吉岡さんは当初、簡単に考えていた。「イトウがたくさん生息する猿払川で釣ってきて持ってくればいいと思ったら、専門家に言わせるとそれはギャング放流と言って再生じゃないという。尻別川の個体じゃないと種を守ることにはならないんです。何回も勉強会を重ね、誰からも後ろ指を指されないことをやろうじゃないか、と方針が固まったのが30年計画でした」と吉岡さん。それが平成13年のことだった。
まずは尻別川の個体を確保して、人工授精で稚魚を得る必要がある。全長126キロの尻別川に、220~230本ある支流も含めてイトウの捕獲を試みたが、なかなか見つからない。やっと洪水の後に7匹のオスが固まっているところを発見して飼育池で保管。さらにメスを釣り上げた釣り人がいると聞きつけて譲ってもらい、ようやく人工孵化を実施することができた。
こうして生まれた稚魚を平成16、17年と放流。その成魚が自力で母川回帰し、産卵行動を行ったことが確認されたのが、今年5月のことだった。
「世界で初めてのことですからね。魚道を通してくれた道の後志(しりべし)総合振興局もものすごく喜んでくれた。これで次の段階に進めるかなと思いましたね」と吉岡さんもうれしそうに語る。
☆ ☆ ☆
次の段階とは、こうして復活した尻別川のイトウを地域のみんなで守っていくという共通認識の確立だ。実は再導入の成功に先立つ平成22年、ある支流でこの流域としては約20年ぶりにイトウの自然産卵が見つかった。すぐに心ない釣り人が現れた。吉岡さんは監視小屋を建てて、オビラメの会のメンバーが約20日間、24時間態勢で見守った。
「日本の釣り人ってレベルが高くない。手段を選ばないんです。だから日本の釣りは育っていかない」と吉岡さん。できれば地域全体で相互監視するのが理想で、来年春ごろには倶知安町の倶知安風土館にイトウの展示スペースを設け、小中学生も含めて勉強できる場をつくりたいという。
こんな吉岡さんだが、高校を出た後、東京に出て都会暮らしをしていた吉岡さんがふるさとに帰るきっかけになったのは、実は釣りだった。
飲食店の店長をしていた吉岡さんが何気なく客の置いていった釣り雑誌を見ると、1メートル20センチのイトウが尻別川で上がったという記事が目に留まった。急に釣りをやりたいという衝動に駆られ、生まれ故郷のニセコに帰ってきた。イトウを求め、2年間で500回は釣りに出かけたが、1匹も釣れない。今日も釣れなければもうやめよう。ちょうど2年となるその日、丸1日かけて挑んだ末の真っ暗闇の中、生き餌のドジョウがポチャンと足下に落ちた。すると今まで経験したことのないすごい引きが来た。釣り上げたのは86センチのイトウだった。
「うれしくて、うれしくて…。目の前が昼間のように明るくなった気がしましたね」
以来、ますます釣りにのめり込み、釣り人だけが集まる飲食店も開いたが、オビラメの会の活動を始めてからはすっぱりと釣りをやめた。現在のそば店では、釣り人が来ても釣りの話は一切しない。
「この人は本物だなと思う釣り人は、これまでに2人くらいしか会ったことがない。でも最近は釣り人も変わってきていて、今の人はちゃんとリリースする。自然を大切にしようという人が増えています。オビラメの会の成果も出てきたことだし、そろそろ釣りをやってもいいかな、と思っているんですが…」と、吉岡さんはちょっと照れたような笑顔を見せた。
根気のいる素晴らしい取り組みですね。
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日本では北海道にだけ生息する魚にイトウがある。サケ科の淡水魚で、体長は1メートルを超えるものもある釣り人にとってはあこがれの大物だが、その南限とされる尻別(しりべつ)川でイトウを絶滅の危機から守ろうと活動しているグループが今年、世界で初めて復元に成功。11月には自然環境分野における業績を顕彰している民間団体から表彰も受けた。30年かけて取り組もうという尻別川のイトウ復活の道のりとは-。(札幌支局 藤井克郎)
11月18日、札幌市のホテルポールスター札幌で行われた第30回前田一歩園(いっぽえん)賞表彰式。阿寒湖周辺の環境保全に取り組んでいる一般財団法人「前田一歩園財団」が、北海道の自然環境の保全に関して活躍している団体、個人を顕彰する賞で、今年は前田一歩園賞に2団体、小中学生の活動を顕彰する一歩園ジュニア自然環境賞に2団体が選ばれた。
このうち前田一歩園賞を受賞した「尻別川の未来を考えるオビラメの会」は、倶知安(くっちゃん)町やニセコ町などを流れる尻別川で絶滅の危機にあるイトウを復活させようと活動している団体で、今年5月には、7、8年前に放流した人工孵化(ふか)の稚魚が成魚となって帰ってきて産卵を行ったことを確認。イトウの再導入実験に成功した例は世界初とあって話題を呼んだ。オビラメとはアイヌの言葉でイトウを意味する。
表彰式で、審査委員長の北海学園北東アジア研究交流センター特任教授の松江昭夫さんから「恐らくこれから尻別川のイトウが発展していく、その道をつけた大きな成果だと思う」と評価された「オビラメの会」の草島清作会長は「復活には30年計画で臨んでいる。尻別川のイトウの種はもう絶えることはないと思いますが、この受賞をきっかけに後継者の育成など活動をさらに続け、流域に貢献できたらと思っています」と喜びを語った。
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後日、オビラメの会の活動を取材させてもらおうと事務局に連絡すると、「会員には地元の人がほとんどいなくて、札幌とか東京とかが多いんですが」と意外な答えが返ってきた。でも現地を見たいから、とお願いしたところ、事務局長の吉岡俊彦さん(65)がJR倶知安駅まで出迎えてくれた。ニセコ町でアウトドアサービスの会社やそば店などを経営している吉岡さんは、平成8年にオビラメの会が設立された当初からのメンバーだ。6人からスタートして、現在は88人の会員がいるという。
「そもそもは尻別川で釣りを楽しんでいた人が、1メートル級の大きなイトウしか釣れないことに気づいたのがきっかけでした。小さい魚が捕れないということは稚魚が育っていないんじゃないか、と。原因は水害を防ぐための工事のせいで、生態系のことも研究しながら開発してほしいと行政に働きかける一方、イトウをよみがえらせるための活動を始めることにしたんです」と吉岡さんは振り返る。
イトウはほかにも猿払(さるふつ)川や朱鞠内(しゅまりない)湖など道内数カ所に生息するが、尻別川はその南限とされている。行政面では、砂防ダムで遮断されている川をイトウが遡上(そじょう)できるよう魚道をつくってもらうことを提案。倶知安町内の支流に5カ所の魚道が設置された。
さらにイトウの稚魚を放流して繁殖しようとしたのだが、吉岡さんは当初、簡単に考えていた。「イトウがたくさん生息する猿払川で釣ってきて持ってくればいいと思ったら、専門家に言わせるとそれはギャング放流と言って再生じゃないという。尻別川の個体じゃないと種を守ることにはならないんです。何回も勉強会を重ね、誰からも後ろ指を指されないことをやろうじゃないか、と方針が固まったのが30年計画でした」と吉岡さん。それが平成13年のことだった。
まずは尻別川の個体を確保して、人工授精で稚魚を得る必要がある。全長126キロの尻別川に、220~230本ある支流も含めてイトウの捕獲を試みたが、なかなか見つからない。やっと洪水の後に7匹のオスが固まっているところを発見して飼育池で保管。さらにメスを釣り上げた釣り人がいると聞きつけて譲ってもらい、ようやく人工孵化を実施することができた。
こうして生まれた稚魚を平成16、17年と放流。その成魚が自力で母川回帰し、産卵行動を行ったことが確認されたのが、今年5月のことだった。
「世界で初めてのことですからね。魚道を通してくれた道の後志(しりべし)総合振興局もものすごく喜んでくれた。これで次の段階に進めるかなと思いましたね」と吉岡さんもうれしそうに語る。
☆ ☆ ☆
次の段階とは、こうして復活した尻別川のイトウを地域のみんなで守っていくという共通認識の確立だ。実は再導入の成功に先立つ平成22年、ある支流でこの流域としては約20年ぶりにイトウの自然産卵が見つかった。すぐに心ない釣り人が現れた。吉岡さんは監視小屋を建てて、オビラメの会のメンバーが約20日間、24時間態勢で見守った。
「日本の釣り人ってレベルが高くない。手段を選ばないんです。だから日本の釣りは育っていかない」と吉岡さん。できれば地域全体で相互監視するのが理想で、来年春ごろには倶知安町の倶知安風土館にイトウの展示スペースを設け、小中学生も含めて勉強できる場をつくりたいという。
こんな吉岡さんだが、高校を出た後、東京に出て都会暮らしをしていた吉岡さんがふるさとに帰るきっかけになったのは、実は釣りだった。
飲食店の店長をしていた吉岡さんが何気なく客の置いていった釣り雑誌を見ると、1メートル20センチのイトウが尻別川で上がったという記事が目に留まった。急に釣りをやりたいという衝動に駆られ、生まれ故郷のニセコに帰ってきた。イトウを求め、2年間で500回は釣りに出かけたが、1匹も釣れない。今日も釣れなければもうやめよう。ちょうど2年となるその日、丸1日かけて挑んだ末の真っ暗闇の中、生き餌のドジョウがポチャンと足下に落ちた。すると今まで経験したことのないすごい引きが来た。釣り上げたのは86センチのイトウだった。
「うれしくて、うれしくて…。目の前が昼間のように明るくなった気がしましたね」
以来、ますます釣りにのめり込み、釣り人だけが集まる飲食店も開いたが、オビラメの会の活動を始めてからはすっぱりと釣りをやめた。現在のそば店では、釣り人が来ても釣りの話は一切しない。
「この人は本物だなと思う釣り人は、これまでに2人くらいしか会ったことがない。でも最近は釣り人も変わってきていて、今の人はちゃんとリリースする。自然を大切にしようという人が増えています。オビラメの会の成果も出てきたことだし、そろそろ釣りをやってもいいかな、と思っているんですが…」と、吉岡さんはちょっと照れたような笑顔を見せた。
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