「大政奉還」建白書の写し…千葉で発見(読売新聞) - goo ニュース
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が慶応3年(1867年)10月14日に、政権を朝廷に返す「大政奉還」を申し出た時の建白書の写しが千葉県の松戸市 戸定 ( とじょう ) 歴史館の調査で見つかった。
公家の日記への引用から、建白文の内容は知られていたが、写しの発見は初めて。確認されていない原本の形式を知るうえでの貴重な手がかりとして注目される。
写しは縦21・5センチ、横73・9センチ。表側端に「十月十四日御建白」、裏側に「慶応三年卯十月十四日 朝廷へ大樹公(将軍)御建白うつし」と書かれており、同市内の個人宅で昨年11月に確認され、同館に寄贈された。
本文は「臣慶喜謹而」で始まり、「従来之旧習を改メ、政権を朝廷ニ奉帰」することや、協力して日本を守っていく決意を記している。「大政奉還」の言葉を使っていないなど、文はこれまで知られていた史料とほとんど相違なかったが、皇室への敬意を表すため、天皇に関係する言葉の前で改行し、文字を一段高くして書き始める「 擡頭 ( たいとう ) 」の敬意表現が使われている。
写しではあっても、その時代の雰囲気をよく伝える貴重な資料には違いないですね。
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が慶応3年(1867年)10月14日に、政権を朝廷に返す「大政奉還」を申し出た時の建白書の写しが千葉県の松戸市 戸定 ( とじょう ) 歴史館の調査で見つかった。
公家の日記への引用から、建白文の内容は知られていたが、写しの発見は初めて。確認されていない原本の形式を知るうえでの貴重な手がかりとして注目される。
写しは縦21・5センチ、横73・9センチ。表側端に「十月十四日御建白」、裏側に「慶応三年卯十月十四日 朝廷へ大樹公(将軍)御建白うつし」と書かれており、同市内の個人宅で昨年11月に確認され、同館に寄贈された。
本文は「臣慶喜謹而」で始まり、「従来之旧習を改メ、政権を朝廷ニ奉帰」することや、協力して日本を守っていく決意を記している。「大政奉還」の言葉を使っていないなど、文はこれまで知られていた史料とほとんど相違なかったが、皇室への敬意を表すため、天皇に関係する言葉の前で改行し、文字を一段高くして書き始める「 擡頭 ( たいとう ) 」の敬意表現が使われている。
写しではあっても、その時代の雰囲気をよく伝える貴重な資料には違いないですね。