元国鉄本社で営業畑の部長を務められ、旧名古屋鉄道管理局長、JR東海初代社長並びに会長、晩年には鉄道友の会会長も歴任された須田寛さんが先日、老衰で他界されました。享年93。京都市出身。
須田寛さんは洋画家・須田剋太さんの長男。本当は画家になりたかったとか。
しかしながら、この父親からは「お前に画家なんかやれる筈がない!」と厳しく一喝されたらしく断念か。
京都大学法学部を進学、卒業し、旧国鉄に就職されましたね。
しかしながら、国鉄に就職されても夢とか遊び心、真の鉄道ファンへの思いやりは一時も忘れず、大したものでしたよ。
中堅の幹部の時代には在来線特急の大衆化を促進。いわゆるエル特急を確立され、昔ながらの敷居が高かった国鉄の特別急行から脱皮を図りましたね。
また、特急車両を活用したホームライナーの生みの親でもありました。これまでの縦割り行政的な当時の国鉄経営に一石を投じた経営哲学者の一人とも言えます。ファンサイドから見れば、まさしく鉄道芸術家だね。
寝台特急のブルートレインについても、一つの生活文化だとして可能な限り運行や通過を大切に考えておられたようだ。
ワイドビューひだ・南紀(キハ85系)とかワイドビューしなの(383系)の車両設計に当たっては折角、景色が良い路線で使うから、ぜひとも展望車的な要素を……との強い信念を持っていたそうな。
画像のキハ85系は既に全廃されましたが、今後デビューする予定の385系特急“しなの”には、その考えがきちんと踏襲されよう。
飯田線でのトロッコ客車列車の実現にも寄与されたし、愛知万博2005の誘致にも貢献されました。
ここに慎んで、ご冥福をお祈りし合掌と献杯。
JR東海だけでなく、良きライバルの名鉄や近鉄を含めた日本全体の鉄軌道の活性化や振興をありがとう。
・追伸………私自身が生前の須田寛さんをテレビ番組で最後に見たのは、もう何年も前だったかな。確か、エル特急の解消宣言をした時。最後まで残されていたエル特急は既に全国でも“しなの”“ひだ”“しらさぎ”だけに。
その時の語録は「エル特急の役目は終わった。これからはリニアのエルだ!!」。これが彼の実質的な遺言だったのかもしれませんね。うん。
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