白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、クロゾンヌ神父様(B. MARTIN de CLAUSONNE)のお説教をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
ああ、聖なる宴かな!
クロゾンヌ神父様(B. MARTIN de CLAUSONNE)の説教
2022年06月19日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン。このミサ聖祭をカレドニアの信徒たちのためにお捧げします。
親愛なる信徒の皆様、本日、御聖体の祝日を祝っております。先週の木曜日の祝日ですが、主日へ移動されたので、今日、お祝いしております。本日の祝日はいつも大変に喜ばしい大祝日でございます。ミサ聖祭と並んで、御聖体はこの地上での最高の御宝であるからです。我々の霊魂の中に天国を垣間見えさせてくれる御宝です。天主の柔和、神聖さ、愛徳に満ちた御宝です。そして、我々の霊魂に与えられている宝であり、このように毎日、天主の御命の内に生きていけるために与え給うた御宝です。ですから、このような至上の喜びは我々が死んだときに愛徳によって生きている状態だったら、永遠に続く喜びとなっていきます。
これは我々の信仰の玄義の内でも一番驚くべき御宝でしょう。イエズスは死んでまで我々を愛し給い、天に昇り給いながら、引き続きご現存を通じて我々と一緒におられるようになさったこの至上の秘跡であります。
2日目の説教の際、御聖体の秘跡の立派な効果や、それに織り込まれている至上の真理などを話しました。御聖体に関する真理を改めて味わうために、本日のミサの続誦、ラウダ・シオンをよく読んで黙想しましょう。
ホスチアはパンと葡萄酒の形色の下、我らの主、イエズス・キリストのまことの御体、御血、ご霊魂とご神性であります。また常なる天主による奇跡であり、我々と一緒におられて、そして私たちを慰め給い、助け給い、傍にいてくださいます。
さて、御聖体拝領の効果についてちょっとお話したいと思います。
第一に、聖体拝領のお陰で、我々はイエズス・キリストと密接に一致するようになり、大変多くの恩寵を受けることになります。いや、それ以上です。あらゆる恩寵の起源、源泉なる天主、我らの主、イエズス・キリストを拝領することになります。
このように、聖体拝領を行うことによって天主の御心と人の心は密接に一体となり、この一体化によって、我々は天主の生命によって活かされて、我々の霊魂をどんどん聖化されるのです。御聖体拝領による一体化のお陰で、我々の霊魂における成聖の恩寵は増やされて、天主自らの生命の内にどんどん生きていけるようになります。
この一体化ほどに密接なことはありません。このようにイエズスは次のように仰せになったほどです。「私の肉を食べ私の血を飲む者は、永遠の命を有し、終わりの日にその人々を私は復活させる」(ヨハネ、6,54)
このように御聖体を拝領することによって、イエズスの御血はまことに我々の体に流されて、イエズスの御体は我々の肉体とまざることになります。このように聖パウロは記しました。「私は生きているが、もう私はなく、キリストが私の内に生き給うのである。」(ガラツィア人への手紙、2,20)。
イエズス・キリストの生命によって活かされるというのは愛徳の内に生きているという意味なのです。つまり、天主のみ旨のままに、イエズス・キリストに倣って、天主が働くように、我々も愛徳を実践して、言動していくという意味です。
また、我々は我らの主の御受難とも密接に一体化しているという意味でもあります。このように日常の生活で、イエズスへ自分を捧げして、すべての苦しみにおいて、苦しみを受け入れて主へお捧げするということです。我々は天主を愛するゆえに、十字架を愛します。
聖体拝領はまた、恩寵の働きを我々の霊魂において増やす効果があります。イエズス・キリストとの一体化のお陰で、我々の霊魂は聖化していきまして、天主と一体化していきます。イエズスを拝領する時、天のことについて更なる関心が自然に生じると同時に、地上の事に対する軽蔑も改めて生じます。
御聖体拝領のお陰で、我々の信仰は再生されて、活かされて、強化されて、我々のすべての言動においての我々の意図はより清くなり、我々の愛徳は燃えていきます。
一般的な食べ物は身体の生命力を増やすと同じように、御聖体拝領は我々の霊魂の生命力ひいてより多くの恩寵をもたらしてくださいます。このように、我々は天主への愛と隣人への愛の内に霊的に成長させてくださいます。死ぬ時まで天主への愛はどんどん強くなり、純粋になっていきます。
我らの主を拝領すると、我々の霊魂をエゴイズムから救い出し給い、その代わりに愛徳を注ぎ給うのです。このように、御聖体拝領すると、永遠への旅を歩んでいきます。
また、御聖体拝領は悪への傾向を弱めてくださる効果もあります。我々の霊魂を強化して、天主のみ旨を果たすために助けてくださる上、聖体拝領は我々の激情をやわらげて、我々の悪習を弱めてくださいます。すべての罪の切っ掛けとなる現世欲という火を弱めてくださいます。
このように、聖ベルナルドは修道士たちに次のように話していました。
「愛する我が子よ、もしも善行をなすことがやりやすくて、悪行から遠ざかっているという時、イエズス・キリストに感謝せよ。彼こそは御聖体拝領によってその恩寵を与え給うたからだ。」
仕事と疲労などによって身体が失った体力などを回復することによって、物質的な食糧が身体を回復してくれるように、御聖体拝領も我々の不注意のせいに生じる霊的な疲労と弊害を治してくださいます。
トレント公会議が規定したように、「御聖体は我々を小罪から解放したまい、これらの小罪によって失っていた熱心を取り戻し給い、そして大罪から我々を守り給う」
われわれの血脈に流れてくるイエズス・キリストのいとも貴き御血と我々の身体と混ざっていく愛すべき御体は原罪に由来している我々にある悪への傾向を大きく弱め給い、時には破壊してくださいます。
ですから、われわれは聖体拝領をいとも貴重な宝だと評価しましょう。聖徳において進歩するための宝ではなく、過去に犯した罪を再び犯さないための宝でもあります。
病気の治療のための薬と病気を防ぐための薬は両方とも非常に貴重なのです。身体上の健康を取り戻し、あるいは保護してくれるからです。
食糧が身体上の生命を保護・維持してくれると同じように、聖体拝領という秘跡は霊魂の生命を保護してくださいます。
トレント公会議はまた、聖体拝領をさして、「解毒剤であり、これによって我々の日常の過失より解放され、大罪より守られている」と言います。
聖壇上の御聖体の秘跡はまた、誘惑からの薬でもあります。詩編22に次のことが書かれています。「あなたは敵の前に、私に食事を調え」とありますが、それは聖体拝領するための祭壇なのです。
このように、御聖体は最高の悪魔祓いだということになります。聖ヨアンネス・クリュソストモスは「イエズス・キリストの祭壇での拝領によって、我々は火を吐くライオンになったかのように悪魔が慄く存在となる。」と言いました。
イエズス・キリストは最後の晩餐の終わるときに、弟子たちへ「さあ立っていこう」(マテオ、26,46)と仰せになります。「もうあなたたちは聖体拝領したばかりなので、これから苦しみに行ってみよう」と言わんばかりです。
初期教会の数え切れないほどの殉教者は迫害者たちの激昂に抵抗して、勇敢にも自分の命をイエズスへの愛のために、信仰のためにお捧げしましたが、それは多くの場合、聖体拝領によってできたことです。
聖体拝領は永遠の命の担保なのです。聖トマス・アクイナスは言います。「イエズス・キリストの生贄は宇宙にもたらした効果が、この秘蹟をもって我々一人一人にもたらしてくださいます。」
我らの主は我々一人一人の個別の霊魂のために、拝領すると御受難の功徳をもたらして適用してくださいます。このように、御聖体拝領は天に行くための担保なのです。天国は我々のために用意してくださった前払金なのです。いずれか天国こそが我々の住いになるということを常に思い起こしさせ給うのです。
瀕死の人に御聖体を与える時、「臨終の聖体拝領」と称して、フランス語では「天国に行くための糧(かて)」という意味の「Viatique」と言います。
さらに我々の主、イエズス・キリストは我々の身体をも復活させたまうことになります。そして良い状態でイエズス・キリストを拝領してきた分に、復活された我々の身体は栄光に満ちることになります。
イエズスは仰せになります。「私は天から下った生きるパンである。このパンを食べる者は永遠に生きる。」(ヨハネ、6、51)
または、「私の肉を食べ私の血を飲む者は、永遠の命を有し、終わりの日にその人々を私は復活させる」(ヨハネ、6,54)
人生の間に良い状態で頻繁に聖体拝領をしてきた人々はどれほど栄光に満ちていくか!
聖体拝領の際に言われている祈りを理解しているキリスト教徒はどれほど幸せか!「キリストの御体は永遠の命のためにあなたの霊魂を守り給わんことを」という言葉です。
親愛なる信徒の皆様、以上、簡単に聖体拝領の主な効果をご紹介しました。
また御聖体の祝日の晩課のマグニフィカットの交唱においてこれらの効果はよく要約されています。「O Sacrum convivium…」「聖なる宴かな!キリストを拝領し、御受難の記念を改め、霊魂は御地に満ちて、我々に与えられた来世の栄光の担保なる聖なる宴かな!」
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
ああ、聖なる宴かな!
クロゾンヌ神父様(B. MARTIN de CLAUSONNE)の説教
2022年06月19日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン。このミサ聖祭をカレドニアの信徒たちのためにお捧げします。
親愛なる信徒の皆様、本日、御聖体の祝日を祝っております。先週の木曜日の祝日ですが、主日へ移動されたので、今日、お祝いしております。本日の祝日はいつも大変に喜ばしい大祝日でございます。ミサ聖祭と並んで、御聖体はこの地上での最高の御宝であるからです。我々の霊魂の中に天国を垣間見えさせてくれる御宝です。天主の柔和、神聖さ、愛徳に満ちた御宝です。そして、我々の霊魂に与えられている宝であり、このように毎日、天主の御命の内に生きていけるために与え給うた御宝です。ですから、このような至上の喜びは我々が死んだときに愛徳によって生きている状態だったら、永遠に続く喜びとなっていきます。
これは我々の信仰の玄義の内でも一番驚くべき御宝でしょう。イエズスは死んでまで我々を愛し給い、天に昇り給いながら、引き続きご現存を通じて我々と一緒におられるようになさったこの至上の秘跡であります。
2日目の説教の際、御聖体の秘跡の立派な効果や、それに織り込まれている至上の真理などを話しました。御聖体に関する真理を改めて味わうために、本日のミサの続誦、ラウダ・シオンをよく読んで黙想しましょう。
ホスチアはパンと葡萄酒の形色の下、我らの主、イエズス・キリストのまことの御体、御血、ご霊魂とご神性であります。また常なる天主による奇跡であり、我々と一緒におられて、そして私たちを慰め給い、助け給い、傍にいてくださいます。
さて、御聖体拝領の効果についてちょっとお話したいと思います。
第一に、聖体拝領のお陰で、我々はイエズス・キリストと密接に一致するようになり、大変多くの恩寵を受けることになります。いや、それ以上です。あらゆる恩寵の起源、源泉なる天主、我らの主、イエズス・キリストを拝領することになります。
このように、聖体拝領を行うことによって天主の御心と人の心は密接に一体となり、この一体化によって、我々は天主の生命によって活かされて、我々の霊魂をどんどん聖化されるのです。御聖体拝領による一体化のお陰で、我々の霊魂における成聖の恩寵は増やされて、天主自らの生命の内にどんどん生きていけるようになります。
この一体化ほどに密接なことはありません。このようにイエズスは次のように仰せになったほどです。「私の肉を食べ私の血を飲む者は、永遠の命を有し、終わりの日にその人々を私は復活させる」(ヨハネ、6,54)
このように御聖体を拝領することによって、イエズスの御血はまことに我々の体に流されて、イエズスの御体は我々の肉体とまざることになります。このように聖パウロは記しました。「私は生きているが、もう私はなく、キリストが私の内に生き給うのである。」(ガラツィア人への手紙、2,20)。
イエズス・キリストの生命によって活かされるというのは愛徳の内に生きているという意味なのです。つまり、天主のみ旨のままに、イエズス・キリストに倣って、天主が働くように、我々も愛徳を実践して、言動していくという意味です。
また、我々は我らの主の御受難とも密接に一体化しているという意味でもあります。このように日常の生活で、イエズスへ自分を捧げして、すべての苦しみにおいて、苦しみを受け入れて主へお捧げするということです。我々は天主を愛するゆえに、十字架を愛します。
聖体拝領はまた、恩寵の働きを我々の霊魂において増やす効果があります。イエズス・キリストとの一体化のお陰で、我々の霊魂は聖化していきまして、天主と一体化していきます。イエズスを拝領する時、天のことについて更なる関心が自然に生じると同時に、地上の事に対する軽蔑も改めて生じます。
御聖体拝領のお陰で、我々の信仰は再生されて、活かされて、強化されて、我々のすべての言動においての我々の意図はより清くなり、我々の愛徳は燃えていきます。
一般的な食べ物は身体の生命力を増やすと同じように、御聖体拝領は我々の霊魂の生命力ひいてより多くの恩寵をもたらしてくださいます。このように、我々は天主への愛と隣人への愛の内に霊的に成長させてくださいます。死ぬ時まで天主への愛はどんどん強くなり、純粋になっていきます。
我らの主を拝領すると、我々の霊魂をエゴイズムから救い出し給い、その代わりに愛徳を注ぎ給うのです。このように、御聖体拝領すると、永遠への旅を歩んでいきます。
また、御聖体拝領は悪への傾向を弱めてくださる効果もあります。我々の霊魂を強化して、天主のみ旨を果たすために助けてくださる上、聖体拝領は我々の激情をやわらげて、我々の悪習を弱めてくださいます。すべての罪の切っ掛けとなる現世欲という火を弱めてくださいます。
このように、聖ベルナルドは修道士たちに次のように話していました。
「愛する我が子よ、もしも善行をなすことがやりやすくて、悪行から遠ざかっているという時、イエズス・キリストに感謝せよ。彼こそは御聖体拝領によってその恩寵を与え給うたからだ。」
仕事と疲労などによって身体が失った体力などを回復することによって、物質的な食糧が身体を回復してくれるように、御聖体拝領も我々の不注意のせいに生じる霊的な疲労と弊害を治してくださいます。
トレント公会議が規定したように、「御聖体は我々を小罪から解放したまい、これらの小罪によって失っていた熱心を取り戻し給い、そして大罪から我々を守り給う」
われわれの血脈に流れてくるイエズス・キリストのいとも貴き御血と我々の身体と混ざっていく愛すべき御体は原罪に由来している我々にある悪への傾向を大きく弱め給い、時には破壊してくださいます。
ですから、われわれは聖体拝領をいとも貴重な宝だと評価しましょう。聖徳において進歩するための宝ではなく、過去に犯した罪を再び犯さないための宝でもあります。
病気の治療のための薬と病気を防ぐための薬は両方とも非常に貴重なのです。身体上の健康を取り戻し、あるいは保護してくれるからです。
食糧が身体上の生命を保護・維持してくれると同じように、聖体拝領という秘跡は霊魂の生命を保護してくださいます。
トレント公会議はまた、聖体拝領をさして、「解毒剤であり、これによって我々の日常の過失より解放され、大罪より守られている」と言います。
聖壇上の御聖体の秘跡はまた、誘惑からの薬でもあります。詩編22に次のことが書かれています。「あなたは敵の前に、私に食事を調え」とありますが、それは聖体拝領するための祭壇なのです。
このように、御聖体は最高の悪魔祓いだということになります。聖ヨアンネス・クリュソストモスは「イエズス・キリストの祭壇での拝領によって、我々は火を吐くライオンになったかのように悪魔が慄く存在となる。」と言いました。
イエズス・キリストは最後の晩餐の終わるときに、弟子たちへ「さあ立っていこう」(マテオ、26,46)と仰せになります。「もうあなたたちは聖体拝領したばかりなので、これから苦しみに行ってみよう」と言わんばかりです。
初期教会の数え切れないほどの殉教者は迫害者たちの激昂に抵抗して、勇敢にも自分の命をイエズスへの愛のために、信仰のためにお捧げしましたが、それは多くの場合、聖体拝領によってできたことです。
聖体拝領は永遠の命の担保なのです。聖トマス・アクイナスは言います。「イエズス・キリストの生贄は宇宙にもたらした効果が、この秘蹟をもって我々一人一人にもたらしてくださいます。」
我らの主は我々一人一人の個別の霊魂のために、拝領すると御受難の功徳をもたらして適用してくださいます。このように、御聖体拝領は天に行くための担保なのです。天国は我々のために用意してくださった前払金なのです。いずれか天国こそが我々の住いになるということを常に思い起こしさせ給うのです。
瀕死の人に御聖体を与える時、「臨終の聖体拝領」と称して、フランス語では「天国に行くための糧(かて)」という意味の「Viatique」と言います。
さらに我々の主、イエズス・キリストは我々の身体をも復活させたまうことになります。そして良い状態でイエズス・キリストを拝領してきた分に、復活された我々の身体は栄光に満ちることになります。
イエズスは仰せになります。「私は天から下った生きるパンである。このパンを食べる者は永遠に生きる。」(ヨハネ、6、51)
または、「私の肉を食べ私の血を飲む者は、永遠の命を有し、終わりの日にその人々を私は復活させる」(ヨハネ、6,54)
人生の間に良い状態で頻繁に聖体拝領をしてきた人々はどれほど栄光に満ちていくか!
聖体拝領の際に言われている祈りを理解しているキリスト教徒はどれほど幸せか!「キリストの御体は永遠の命のためにあなたの霊魂を守り給わんことを」という言葉です。
親愛なる信徒の皆様、以上、簡単に聖体拝領の主な効果をご紹介しました。
また御聖体の祝日の晩課のマグニフィカットの交唱においてこれらの効果はよく要約されています。「O Sacrum convivium…」「聖なる宴かな!キリストを拝領し、御受難の記念を改め、霊魂は御地に満ちて、我々に与えられた来世の栄光の担保なる聖なる宴かな!」
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン