ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き)6~8

2017年06月08日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008




第一の手記

I. ジャシンタの性格



6 小さい羊飼いのジャシンタ

私は羊のお世話する年になりました。うちの母は子供たちが私と同じ年頃になると、みんなに羊の番をさせました。姉カロリナ[注9] は、もう13歳になったので、外へ働きに行く年齢でした。 それで母は、私に群れの世話をする責任を負わせました。私はこの知らせを私の二人の友だちに告げ、もう一緒に遊ぶことができないと言いました。しかし二人は私から離れることができず、自分達も私と一緒に羊の所へ行かせてほしいとすぐに願いに行きましたが、彼らの母親は許しませんでした。
私たちは仕方がなく、別れねばなりませんでした。その時から、彼らは毎晩、私が家に帰る時迎えに行きました。私たちは、ちょっとの間一緒に走ってから、聖母と天使たちのランプが大空に現れるまで待って、その明かりが私たちを照らすように窓の上に置きましょうと言い合いました。月の出ない夜は、マリア様のランプのために油がないんだと言い合いました。

[注9] カロリナは1994年に死去した。

ジャシンタとフランシスコは、私が一緒にいないのに慣れることが出来ませんでした。そこで何度も私の手伝いをすることを許してくれるように母にねだりました。ふたりはまだ小さかったのに、私の叔母(彼らの母親)は、二人の子供があまりにもうるさく願ったので、彼らがあまりにも幼かったにもかかわらず、自分たちの羊の群れの世話をとうとう許しました。ふたりは晴れやかな顔をして、良いニュースを知らせに走って来て、毎日どこで羊を一緒に牧することができるかを相談しました。
それがどこであろうと彼らの母親が決めたところで、私たちはそれぞれ自分の群れの囲いを開き、バレイロに最初に着いた子が誰でも別の群れが来るのを待つことになっていました。バレイロというのは、丘の麓にあった沼の名前です。私たちがこの沼で会うと、その日、どこで一緒に羊を牧するかを決めました。そこで私たちはそこに出かけるのですが、あたかもお祭りに行くかのように嬉しく喜んで行きました。

では司教様、これからジャシンタの羊飼いとしての新しい生活を書きます。私たちは羊たちと私たちのお昼のお弁当を分けて羊の友達になりました。
これが意味することは、私たちは牧場に着くと、好きなように遊ぶことができたということです。何故なら、羊たちが私たちから離れて迷子にならないことが確かだったからです。
ジャシンタは自分の声のこだまを谷間で聞くのが好きでした。そのため、私たちの最も好きな遊びは、岡のいただきに登り、私たちが見つけることが出来る大きな岩の上に座って、色々な名前を声高く叫ぶことでした。一番良く反響した名前は「マリア」でした。
時々ジャシンタは天使祝詞をこんなふうに全部唱えていました。まず初めの言葉を言って、その反響を聞いてそれが響きやむと次の言葉を叫んで、天使祝詞を全部唱えました。私たちは歌うことも好きでした。
私たちは、なんと言うことでしょうか!、たくさんの世俗の歌を知っていました。そのなかで、ジャシンタのお気に入りだった歌は、‘Salve Nobre Padroeira’ (めでたし、高貴な保護の聖女よ), ‘Virgem Pura’, (清き童貞女), ‘Anjos, Cantai Comigo’, (天使たちよ、私と一緒に歌え)などでした。
また私たちはダンスをすることも好きでした。他の羊飼いたちが演奏するどんな楽器の音を聞いてでもすぐに踊りました。ジャシンタはあんなに小さかったのにダンスをする特別な才能を持っていました。
昼食を食べてから、ロザリオを唱えるように命令されていましたが、私たちの遊びのために時間が足りませんから、すぐにロザリオを唱えてしまう方法を考えました。それは「めでたし聖寵」とだけ言って、ロザリオの珠をくるのです。一連が終わったら、ちょっと黙って、「天にまします」と言うと、瞬く間に終わります。
ジャシンタはまた幼い白い子羊を抱くのが好きでした。座ってその膝の上に置き、また膝の上に乗せ、ほおずりをしてかわいがりました。夜になると子羊を肩に乗せて家まで連れて行きました。それは子羊が疲れないようにするためです。ある日彼女は家に帰るとき羊の群れの中に入って歩きました。
「ジャシンタ、羊たちの中で何をしているの?」と聞くと、
「頂いた御影のイエズス様のようにしたいの。イエズス様はこのように羊の真ん中にいて、一匹をその胸に抱いていたのよ」と答えました。


7. 最初の御出現

これで司教様、かの1917年5月13日までジャシンタが最初の7年をどう過ごしたかを多かれ少なかれお知りになったことでしょう。かの日、もしも御摂理において偶然などと言うことがありうるのなら、偶然に、私たちは、コヴァ・ダ・イリヤ私の両親の土地で羊の群れを牧することを選びました。私たちは、バレイロでいつもするように牧することを選びました。これが意味することは、私たちはそこに行くには荒れ地を通り越していかなければならなかったということです。これは道のりを二倍に長くしました。私たちは羊たちが着いてくることができるようにゆっくり行かなければなりませんでした。そこで私たちが着いたときにはもうほとんどお昼でした。その日何があったのかをここで司教様にお話しして、話を長引かせるつもりはありません。何故なら司教様はそれを既によくご存じだからです。ですからそれは時間の無駄となるでしょう。ただし従順のためということを除いては、私がこれを書くのは私にとっても時間の無駄のように思えます。何故ならこれから司教様がどんな善を引き出すことができるのか私には分からないからです。ただし、これで司教様がジャシンタの罪のない生涯をよく知ることができるということを除いて。

司教様にジャシンタの生涯のこの新しい時期について覚えていることを書き始める前に、私はこのことを認めなければなりません。それは聖母の御出現のいくつかの観点は、私たちが誰にも知らせてはならないと同意したいくつかがあると言うことです。しかし、今、私は、それらについて私は話さなければなりません。それはジャシンタがイエズスに対する愛、苦しみに対する愛、罪人の改心のため、彼らの救いのために自分を寛大に献げたことを説明するためです。

司教様は、彼女がその喜びを抑えることが出来ずに、出現の沈黙を守る約束を破ったということをご存じありません。

その日の午後、私たちがまだ考え深く夢中になっていた時、ジャシンタは熱をこめて香叫び続けました。、
 「なんと美しい貴婦人でしょう」
 「私には一体何が起こるか分かるわ。あなたはこのことを誰かに言ってしまうでしょう」と言いますと、
 「いいえ、絶対話さない。心配しないで」と答えました。

翌日、フランシスコは私のところに走ってやって来て、妹のジャシンタがどうやって夕方に家でそれを全部話したかを、知らせてくれました。ジャシンタは一言も言わずに黙って、告発を聞いていました。私は彼女に
 「ほらね。やっぱり私が思った通りのことが起こっちゃった」と言いました。
彼女は涙を流しながら
 「私の心の中で何かがあって、静かにしていられなかったの」と答えました。
 「分かったわ、もう泣かないで。それから、貴婦人が私たちに言ったことを、誰にも言っちゃだめよ。」
 「でも、もう全部話しちゃったの。」
 「何って言ったの?」
 「貴婦人が、私たちを天国へ連れて行く約束をなさったって。」
 「そんなことまでも言っちゃったの?」
 「赦して。もう誰にも決して話さないわ。」


8. 地獄のことを考えて

あの日、私たちが牧場へ行った時、ジャシンタは、岩の上に座って深く考え込んでいました。
 「ジャシンタ、遊びに来なよ」と私は言いました。
 「今日は遊びたくない」
 「なぜ?」
 「何故って、私は考えることがあるのよ。あの貴婦人は、私たちにロザリオを唱えることと、罪人の回心の為に犠牲をすることをお願いしたわ。私たちは、これからはロザリオを唱える時、天使祝詞と主の祈りを全部唱えなければいけないのね。そして、どんな方法で、犠牲をしたらよいでしょう?」
すぐにフランシスコは、よい犠牲を思いつきました。
 「僕たちの弁当を羊にあげよう。そうすれば、空腹の犠牲を捧げることができるから」と。
数分の間で、弁当を羊にみなあげてしまいました。そこで、その日は、私たちはカルトゥジオ会の修道士たちの最も厳しい断食のように、断食を守りました。
ジャシンタは深い黙想をしながら、岩の上にまだ座って、こう尋ねました。
 「あの貴婦人は、多くの霊魂が地獄へ落ちるとおっしゃったけれど、地獄とはどんなところかしら?」
 「野獣が住む深い大きな穴のようで、その中に大きな火があり、 -- いつも母がそうやって地獄のことを私に説明してくれていました -- 罪を犯して告解しない人々がその中に落ちるのよ。落ちた罪人は、いつまでもその中で燃やされるのよ!」
 「そこから二度と出る事は出来ないの?」
 「できないの。」
 「長い長い年月の後でも出られない?」
 「出られないの、地獄は終わりがないから。」
 「天国も終わりがないの?」
 「天国へ行く人は、いつまでもそこにいるのよ。」
 「でも地獄に入った人は、もう出られないの?」
 「天国と地獄は、永遠なの。分からないの?終わりがないのよ。」

これが、私たちがどうやって初めて地獄と永遠について黙想したかでした。ジャシンタは永遠という考えに最も心を奪われたので、遊んでいる間でも、それをやめてこう尋ねました。
 「でもね、ちょっと!地獄って長い長い年月の後にも終わりがないの?」
あるいは、
「地獄で焼かれている人々は、死なないの? 灰にはなってしまわないの?
もし人々が罪人らのためにたくさん祈っても、私たちの主がかれらを彼らは地獄から出してくれないの?もしも犠牲をしてもダメ?
かわいそうな罪人たち。私たちは、彼らのために祈らなければならないし、たくさんの犠牲をしなければ。」
それから続いてこう言いました。
 「あの貴婦人は、なんと良いお方でしょう。私たちを天国へ連れて行くと既に約束をなさったのだから。」

(続く)

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