ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 16. 10月13日

2018年01月25日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記
II. 御出現



16. 10月13日

さて、司教様、私たちは10月13日になりました。司教様は、この日に起こった出来事を既に全部ご存知です。このご出現の時に、聖母がおっしゃった全ての言葉のうちで、私の心に深く刻みつけられたのは、私たちの天の母がなさったこのお願いの言葉でした。
「私たちの主なる天主をもはや侮辱してはなりません。何故なら、主はすでにあまりにも多く侮辱されているからです!」

それは、なんという愛に満ちた、なんと優しい懇願でしょうか!願わくは誰かが、私にこの言葉を全世界にこだまさせてくれることができますように!
それは天国の私たちの聖母の全ての子供たちが、聖母の声を聞くことができるためです!
あの噂が広がっていました。それによると、当局は私たちのすぐ近くで、御出現のその時に、爆弾を破裂させるとのことでした。これを私は恐ろしいと少しも思いませんでした。私はこのことを従姉妹たちに話しました。
「なんて、すてきなことでしょう!」と私たちは叫びました。
「あそこから、聖母マリアさまと一緒に天国に行くお恵みが私たちに与えられるなら、素晴らしい!」
両親は、しかしながら、非常に心配して、初めて私と一緒に行きたいと思いこう言いました。
「もしも娘が死ぬのならば、私たちも娘の側で死にたい」と。
父はそこで私の手を握って御出現のところまで連れて行きました。しかし、ご出現のその時から、私がその晩に家に戻って家族と一緒になるまで、私は父を一度も見ませんでした。

その日の午後は、私はジャシンタとフランシスコと一緒に過ごしました。私たちは、群衆が見て観察したいと思った見せもののようでした。その夜になると、たくさんの質問や尋問を受けて、本当に疲れました。

夜になっても、質問はまだ終わりませんでした。ある人は、私に質問することができなかったので、翌日まで、自分の順番を待っていました。その夜に私に話しかけようと試みた人々さえいました。しかし、私は疲労に負けて、床に眠り込んでしまいました。天主に感謝!まだその時分は、世間体とか自己愛というものを知りませんでした。そのために、私が両親と一緒にいたかのように、誰に対しても緊張することはありませんでした。

その翌日、いえ正確に言うと、その後数日も、人々の質問は続きました。ほとんど毎日、その時以来、人々はコヴァ・ダ・イリヤへ行き、私たちの天の母のご保護を乞い願いました。皆は聖母を見た者である私たちを、見たいと思いました。それは、彼らに質問をして、彼らと一緒にロザリオを唱えるためでした。あるときは、私は毎日、何度も何度も同じことを繰り返して話し、また祈るのに、とても疲れました。そこで、何かの良いわけを見つけて、お詫びして逃れようとしました。

けれども、これらの可哀想な方々は、あまりに願ったので、彼らを満足させるために努力をしなければなりませんでした。実に大変な努力をしなければなりませんでした。

そこで、私はいつもの祈りを心の奥底から繰り返し唱えました。「わが天主よ、御身を愛するため、聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うため、罪人の回心のため、教皇様のためにこれを捧げます!」と。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


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