白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
ミサ聖祭の構成
Gabriel Billecocq神父
以前に、ミサ聖祭の定義を示して、聖なる生贄、聖なる犠牲だと紹介しました。今回はミサ聖祭の構成をご紹介したいと思います。
ここでいうミサ聖祭はいつものミサ聖祭です。通常「聖ピオ五世のミサ」と呼ばれることが多くて、あるいは「聖伝ミサ」とも呼ばれています。その通り、聖伝のミサですが、なぜ聖伝であるか後ではなします。現在、聖伝ミサを指して「特別形式」と呼ばれることもありますが、特別でも何でもなく、通常の形式であり、ごく普通の形式であるというべきです。
さて、ではなぜ「聖ピオ五世ミサ」と呼ばれるのでしょうか?聖伝ミサの典礼を最終的に確定させて編纂したのが聖ピオ五世だからです。聖ピオ五世は16世紀の教皇であり、在位は1566年から1572年までです。当時の状況からするとルター改革、ひいてはプロテスタント主義の台頭による弊害に立ち向かわざるを得なかった教皇でした。ご存じのように、ルター改革とプロテスタント主義は根本的にミサ聖祭を破壊するのです。プロテスタント主義を踏襲する形で、第二ヴァチカン公会議もミサ聖祭を破壊しています。
このように、プロテスタント主義に対して抵抗するために、聖ピオ五世はミサ聖祭の典礼を決定的に確定させました。なぜでしょうか?ミサ聖祭をプロテスタント主義の攻撃から守るためであり、プロテスタント主義からの防御対策のためです。
しかしながら、大事なのは、聖ピオ五世による典礼の編纂はあくまでも既存の典礼、すでに執り行われていたミサ聖祭の典礼を整理し、典礼書の形にしたにすぎません。言いかえると、新しいこともなく、構成も以前を踏襲したにすぎません。
後ではなしますが、特に、ミサ聖祭の中心部分であるカノン、ミサの典文の奉献の部と聖変化の部はつまるところ使徒時代のままです。
この意味でこそ、「聖伝ミサ」といえます。つまり、使徒たちからそのままの形で、受け継がれたミサ聖祭だという意味です。福音書の最後の晩餐のところの我らの主、イエズス・キリストの御言葉を読んでみると明らかですし、また、聖パウロの手紙においてもミサ聖祭の中心部分の祈祷はそのままに記されています。
これが、聖なる生贄であるミサ聖祭の核心の祈祷が、使徒時代に制定されたと言われる所以です。そして、イエズス・キリストによって制定されて、使徒たちがミサ聖祭の核心部分を制定して、現代にいたるまで受け継がれてきました。
もちろん、だからといって、現代の典礼は使徒時代のミサだけではありません。カトリック教会の叡智とその成熟のお陰で、ミサ聖祭の典礼は増やされていき、新しい付属の儀礼が追加されたり、より拡張され、また少しずつ典礼も編纂されてきました。なぜこのような追加などがあったでしょうか?犠牲を捧げるに際して、心構えができるため、生贄を準備するため、また相応しい心境でミサ聖祭に臨むためです。
カトリック教会は、カトリック信徒が良い相応しい内面的な心境で臨むための儀式であることも、犠牲のあと、良き天主に感謝を捧げることも大事ですから、そうするための儀式も追加されたりしました。
要するに、このような追加は時代につれて少しずつ行われてきました。ところが、大事なのは、これらはあくまでも追加に過ぎなくて、ミサ聖祭の核心を変えることもなく、ミサ聖祭の本質を変質することもなく、逆に、かえって、ミサ聖祭の本質をより綺麗に忠実にするための付属儀式が加わったということです。
つまり、ミサ聖祭の本質はそのままに使徒時代から伝わっていたその本質をより大切にするために、核心の周辺、本質ではない部分あたりに多くの儀式と祈祷が少しずつ、少しずつ、それぞれの時代の叡智に従って、またそれぞれの時代の状況に応じて、追加されてきたのです。その理由は、司祭も信徒もこの上なく素晴らしい執り行いであるミサ聖祭に、よりよく与ることができるように、天主と一体となることができるような助けを得るためです。つまり、宗教中の宗教行為をより善くできるようにするためです。
このようにして、使徒時代のミサから、時代が下ってくると、少しずつ豊かになってゆき、そして聖ピオ五世は一旦、典礼を最終的に確定させました。プロテスタント主義の攻撃から防御するためです。
また今度詳しくご紹介しますが、残念ながら、第二ヴァチカン公会議の際、以上のような長い歴史から生まれた叡智とミサ聖祭の鎧はパウロ6世の改革によって新しいミサが制定されて、急に正面から否定される羽目になりました。この新しいミサは完全にプロテスタント的でありますが、これについては今度の話に譲ります。
しかしながら、以前からご紹介しているミサ聖祭は言うまでもなく、聖伝ミサのことです。なぜでしょうか。聖伝ミサこそが最も明らかに十字架上の犠牲の再現を示しているからです。思い出しましょう。ミサ聖祭は秘跡であると同時に犠牲でもあります。
そして、聖ピオ五世によって典礼化された聖伝ミサ、そして現代に至って今でも捧げている聖伝ミサこそが、ミサの幾つかの形式の内、一番「秘跡的」な典礼となっています。いいかえると、最も明らかに十字架上の犠牲とは何であるかを示して、具現化しているのです。ですから、聖伝ミサこそが最も象徴的というか、十字架上の犠牲を最も明らかに示して、ミサ形式中の最も明白にミサ聖祭を具現化して、十字架上の犠牲をはっきりと示しているのです。
新しいミサの根本的な問題は(無効にならないとしても)十字架上の犠牲を示さなくなっていることにあります。決定的な弱点です。
さて、今日でも使っている聖伝ミサの典礼は聖ピオ五世によって編纂されました。
大きく言うと、この典礼は二つに分けられています。カトリック教会の初期から、使徒時代から、大きくミサ聖祭を二つに分ける伝統がありました。
つまり、「求道者のミサ」と「洗礼者のミサ」という二つの部分です。「求道者、つまり洗礼志願者のミサ」とは最初の部分ですが、信者や求道者に教えるためにあります。そして、「洗礼者のミサ」とは犠牲そのものです。言いかえると、「心構えをするための部」と「犠牲を捧げる部」という構成になります。
そして、最初の数世紀の間、求道者たちは「教えの部」に参列していましたが、「犠牲の部」が始まると退場していて、洗礼者のみ臨んでいたことから、「求道者のミサ」と「洗礼者のミサ」と呼ばれています。
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要約すると、ミサ聖祭の構成には二つの部分からなっています。第一部は「準備の部」、第二部は「生贄を執り行う部」という構成です。
時には、第三部という区切りもあって、つまり「感謝の部」、犠牲をささげた後に天主に感謝するという部分です。基本的に、第二部の付属部分として区別されています。
まず、ミサ聖祭の第一部は「教育の部」です。この第一の部の中心の目的は、ミサ聖祭という生贄に、相応しい心構えで、相応しい心境で、良い内面的な状態で臨めるようにするための部分です。言いかえると、カトリック教会は霊魂たちの黙想を助け、霊魂の静謐を助け、つまり、天主に向かわせるための状況を唱え、この世の雑音や騒音などを亡くす環境を作るための部分です。
このように、霊魂は少しずつ、一心に、天主を中心に集中することができて、外の世から一旦去るような心境を作ることを助ける部分です。このようにして、霊魂たちはなるべく天主と高度な一致の状態で、ミサ聖祭という十字架上の聖なる生贄に臨むための部分です。つまり、一人一人の霊魂が十字架上の犠牲となるべく現に一致できるようにされていく部分です。
さて、では、第一部の構成はどうなっています。小さい八つの部分からなっています。
第一、司祭は祭壇の下までいく「階段祈祷」があります。司祭は祭壇の下に向かいますが、祭壇の前の階段の下に止まって、祈祷を捧げます。通常、祭壇は高めに設置されており、祭壇まで上るために奇数の階段(一つあるいは三つ)があります。それはともかく、司祭は階段の下に止まります。そこで、「階段祈祷」を捧げます。その内の中心部分は告白の祈りです。つまり、司祭は自分が犯した罪を告白して、その赦しを希い、そうすることによって、良い生贄を捧げられるように心の準備をします。
これは当然のことです。ミサ聖祭を捧げる司祭はキリストにおいて執り行うことになりますので、出来るだけ、なるべく清い状態で捧げ、司祭の霊魂は最大になるべき我らの主と一体化している必要があります。そうすることによって、自分を一番従順な道具にさせ、イエズス・キリストの御手に道具たる自分を捧げるための準備を行います。「階段祈祷」はそのための準備です。
そのあと、祭壇まで上って、一心に接吻して、それから「入祭文」を唱えます。「入祭文」は当日の祝日に合わせた詩編の一句となっていて、ミサ聖祭に入るための祈祷です。
「階段祈祷」の延長線には、「求憐誦」(キリエ)という祈祷を唱えます。「主、憐み給え。キリスト、憐みたまえ。主、憐み給え。」と。
当初は連祷を唱えていた部分ですが、あとの時代に連祷は短くなって、キリエという形で残されました。そういえば、聖土曜日、復活前夜祭の時、連祷はそのままに全部唱えられています。
それはともかく、「求憐誦」(キリエ)とは天主の怒りを鎮めるための祈祷です。「主、憐み給え。」と。
それから、例外もありますが、殆どの場合、「栄光頌」(グロリア)を唱えます。感謝の讃美歌です。ご降誕の際(クリスマスの際)、天使たちが唱えた讃美歌です。「グロリア・イン・エクシェルシス・デオ」、「いと高き天においては、神に栄光あれ。」これはまさに賛美する祈祷です。そして「地上においては、善意の人々に平安あれ」「Et in terra pax hominibus」、これは我らの主が私たちに齎する(もたらす)宝です。平安、平和。十字架上の犠牲、我らの主、イエズス・キリストの犠牲こそが人類史上、過去・現在・将来も含めて、この上なく、天主に最高の栄光をもたらした出来事です。そして、栄光だけではなく、イエズス・キリストの犠牲のお陰で、地上における平安、平和ももたらされています。
言いかえると、ミサ聖祭の外に本物の平安、本物の平和はないということです。この意味でミサ聖祭は公けの執り行いでもあり、政治的な行為でもあるわけです。
「栄光頌」(グロリア)のあと、祭壇の右側へ移動して(祭壇に向かって考える)当日の「集祷文」を唱えます。「集祷文」において、特にどういった恩寵を受けたいか、どういった恩寵を霊魂たちに分配していきたいかを希います。
「集祷文」のあとは、「朗読」があります。基本的に、一つとなっています。例外的に、複数の朗読のミサもあります。「朗読」は一般的に「書簡」とよばれています。というのも、多くの場合、一人の使徒の書簡になっているからです。時には旧約聖書の朗読もあります。参列している信徒たちへの教えです。
「書簡」のあと、賛美する部分があります。「昇階誦」あるいは「詠誦」と「アレルヤ」と「小詩句」あるいは「続誦」などからなっています。ほとんどの場合、詩編からなっていて、それは主に感謝するためです。
そういえば、書簡の終わりに、参列者は「Deo Gratias」といい「天主に感謝」といいますが、この「天主に感謝」は「昇階誦」、「アレルヤ」と「続誦」という形で続きます。歌ミサの場合、賛歌隊が唱える讃美歌です。感謝するためです。
そのあと、司祭は祭壇の反対側へ移動します。つまり、右側から左側へ。そこで「聖福音」を朗読します。つまり、四つの福音からの一部を朗読します。言い換えると、我らの主、イエズス・キリストの人生の一つの場面です。
そのあと、「説教」があります。司祭が当日のミサの書簡と福音などを説きます。当初の時代、司教自身がやることが基本で、その時こそが、使徒に向けた、また洗礼志願者に向けての教育の場でした。
そのあと、「信経」が唱えられます。これは、この上なく、信仰的行為なのです。というのも、信経においてこそすべての真理が要約されているからです。そして、信徒たちは信教を唱えることによって、信仰の行為を果たしてから、当初の時代、求道者は教会から退場することになっていました。そして、信徒は残って、信仰的行為を果たしたおかげで、本物の生贄に臨むための準備がおわります。
これで、第一部、教育の部は終了します。
続いて、第二部に入ります。生贄の部です。
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さて、聖なる犠牲は三部からなっています。というのも、前回にも見た通り、すべての犠牲には三つの段階があるからです。第一、奉献の部です。つまり、お供えする部分。奉納する部分。奉献の部の際、司祭は予めパテナの上においてあるホスチア(パン)とカリスにある葡萄酒を天主に奉献します。目的は天主がこれらの犠牲を受け入れていただくためです。
奉献の部には奉献する祈祷がありますが、このなかで司祭は自分自身をも奉献することになります。そのなかで、「ラヴァボ(洗い)」という儀礼があります。手を洗う儀礼ですが、この儀礼は非常に古い儀礼です。このような外的な手洗いという行為によって、内面的な清めを表すのです。犠牲を捧げるために自分を清める儀式です。まとめると、犠牲の第一部は奉献の部ということになります。
奉献の部は序誦で終了します。そして、「序誦」はその名前通り、ミサ典文に先立つ祈祷です。ミサ典文、カノンは供犠・生贄の部であって、ミサ聖祭の中心部分となります。ミサ聖祭の核心部分です。この犠牲の部は「序誦」のあとから始まり、「Pater主祷文」までです。
このミサ典文、カノンの部は供犠、生贄を捧げる中心部分となります。必ず、声を出さないで無言に唱える部分です。トレント公会議の際でも再確認されたように、なぜ声を出さないで唱えるかというと、聖なる執り行い中の聖なる執り行いであるほどに恐れ多いからです。また、その部分は司祭のみ執り行える生贄なので、信徒たちは司祭ではないので、カノン典文の際、信徒たちはなにも作用することはないのです。
カノンの間、司祭以外、皆、跪いた姿勢で沈黙の内に黙想します。そして、聖なる生贄となるべく一体化することに努めます。言いかえると、十字架上の生贄に一致する努力です。そうするための一つのコツというと、本当に十字架上の下にいると想像して、聖母マリアと同じように、十字架上の御子の生贄を一致して、その苦しみを共有したと同じように、私たちも、十字架上のイエズス・キリストとの一致を行うことです。
そして、司祭は聖変化を執り行うのです。これは言いかえると、生贄を捧げる行為そのものです。まず、パンの聖変化を執り行い、そのあと、御聖体となったパンを掲げます。この持ち上げの儀礼自体は10世紀に定着しました。Berangerによる異端に抵抗すべく、御聖体におけるご現存をより善く示すために御聖体を持ち上げる慣習が出来上がりました。
それはともかく、ご現存の実現は聖変化の時の御言葉を司祭が言う瞬間です。そして、同じようにカリスの葡萄酒の聖変化を執り行い、御血となり、御血を持ち上げる形で、よりよく信徒たちが礼拝できるようにします。
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以上が生贄の部でした。「主祷文」までです。そして犠牲の部の最後の部は、拝領の部です。奉献して、生贄を捧げて、最後に拝領します。
拝領の部もミサ聖祭の大事な一部です。犠牲が完全するためには必要不可欠の一部です。司祭が拝領しない限り、犠牲は完成されないのです。最低でも、司祭は拝領します。このとき、信徒たちも拝領することに越したことはありません。
このように、拝領の部に入ると、司祭は「主祷文」を唱えます。そのあと、パンを裂く儀式があります。この儀式も非常に古くて、当初の数世紀の間、そのパンは発酵のパンでしたが、奉献の部の時、信徒たちが行列しながらパンをお供えして、そして司祭によって聖変化されて、そしてパンは裂かれて御聖体を配っていたのです。聖パウロの書簡において、すでにパンを裂く儀式についての記述があります。そのあとの時代になっていくと、パンを裂く儀式は大きなホスチアを裂く儀式に縮小されるようになりました。
信徒たちのためのホスチアは小さな無酵母のパンです。種無しのパンです。聖変化の時、すべてのホスチアは聖変化されます。そして、そのあと、司祭はパンを裂いて、拝領して、次に司祭は信徒の拝領のため、ご聖体を配ります。以上が、ミサ聖祭の核心の部分です。
拝領がおわった後、短い感謝の部分があります。善き天主に感謝し奉るという部分です。聖体拝領誦があります。昔は聖体拝領の間に歌われていましたが、聖体拝領が終わってから司祭が唱える祈りです。それから、聖体拝領後の祈りがあります。この祈りは、捧げられた犠牲、それから頂いた拝領が霊魂たちの間に実るように希う祈祷です。
そして、最後の福音の朗読があります。御托身の玄義を想起するための福音です。というのも、御托身とミサ聖祭は密接につながっているからです。御托身がなければ、十字架上の犠牲もあり得なかったのです。御托身があるからこそ、我らの主、イエズス・キリストは本物の犠牲者、本物の司祭、本物の天主になっているからです。
最後の福音はミサ聖祭のすべてをもう一度要約するかのような部分です。ヨハネ福音書の冒頭です。イエズス・キリストの御托身を語って、御托身があって初めてミサ聖祭は成り立つということです。
以上がミサ聖祭の構成でした。ご覧のように、ミサ聖祭の構成は非常に完全であります。
また、ミサ聖祭の構成は時代に下って、成熟して、その完成度は高くなりました。カトリック教会は子供が大人になっていくと同じように、完成していきます。聖ピオ五世によって最高の完成度に達成したと言えましょう。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
公教要理 百十八講 ミサ聖祭の構成
ミサ聖祭の構成
Gabriel Billecocq神父
以前に、ミサ聖祭の定義を示して、聖なる生贄、聖なる犠牲だと紹介しました。今回はミサ聖祭の構成をご紹介したいと思います。
ここでいうミサ聖祭はいつものミサ聖祭です。通常「聖ピオ五世のミサ」と呼ばれることが多くて、あるいは「聖伝ミサ」とも呼ばれています。その通り、聖伝のミサですが、なぜ聖伝であるか後ではなします。現在、聖伝ミサを指して「特別形式」と呼ばれることもありますが、特別でも何でもなく、通常の形式であり、ごく普通の形式であるというべきです。
さて、ではなぜ「聖ピオ五世ミサ」と呼ばれるのでしょうか?聖伝ミサの典礼を最終的に確定させて編纂したのが聖ピオ五世だからです。聖ピオ五世は16世紀の教皇であり、在位は1566年から1572年までです。当時の状況からするとルター改革、ひいてはプロテスタント主義の台頭による弊害に立ち向かわざるを得なかった教皇でした。ご存じのように、ルター改革とプロテスタント主義は根本的にミサ聖祭を破壊するのです。プロテスタント主義を踏襲する形で、第二ヴァチカン公会議もミサ聖祭を破壊しています。
このように、プロテスタント主義に対して抵抗するために、聖ピオ五世はミサ聖祭の典礼を決定的に確定させました。なぜでしょうか?ミサ聖祭をプロテスタント主義の攻撃から守るためであり、プロテスタント主義からの防御対策のためです。
しかしながら、大事なのは、聖ピオ五世による典礼の編纂はあくまでも既存の典礼、すでに執り行われていたミサ聖祭の典礼を整理し、典礼書の形にしたにすぎません。言いかえると、新しいこともなく、構成も以前を踏襲したにすぎません。
後ではなしますが、特に、ミサ聖祭の中心部分であるカノン、ミサの典文の奉献の部と聖変化の部はつまるところ使徒時代のままです。
この意味でこそ、「聖伝ミサ」といえます。つまり、使徒たちからそのままの形で、受け継がれたミサ聖祭だという意味です。福音書の最後の晩餐のところの我らの主、イエズス・キリストの御言葉を読んでみると明らかですし、また、聖パウロの手紙においてもミサ聖祭の中心部分の祈祷はそのままに記されています。
これが、聖なる生贄であるミサ聖祭の核心の祈祷が、使徒時代に制定されたと言われる所以です。そして、イエズス・キリストによって制定されて、使徒たちがミサ聖祭の核心部分を制定して、現代にいたるまで受け継がれてきました。
もちろん、だからといって、現代の典礼は使徒時代のミサだけではありません。カトリック教会の叡智とその成熟のお陰で、ミサ聖祭の典礼は増やされていき、新しい付属の儀礼が追加されたり、より拡張され、また少しずつ典礼も編纂されてきました。なぜこのような追加などがあったでしょうか?犠牲を捧げるに際して、心構えができるため、生贄を準備するため、また相応しい心境でミサ聖祭に臨むためです。
カトリック教会は、カトリック信徒が良い相応しい内面的な心境で臨むための儀式であることも、犠牲のあと、良き天主に感謝を捧げることも大事ですから、そうするための儀式も追加されたりしました。
要するに、このような追加は時代につれて少しずつ行われてきました。ところが、大事なのは、これらはあくまでも追加に過ぎなくて、ミサ聖祭の核心を変えることもなく、ミサ聖祭の本質を変質することもなく、逆に、かえって、ミサ聖祭の本質をより綺麗に忠実にするための付属儀式が加わったということです。
つまり、ミサ聖祭の本質はそのままに使徒時代から伝わっていたその本質をより大切にするために、核心の周辺、本質ではない部分あたりに多くの儀式と祈祷が少しずつ、少しずつ、それぞれの時代の叡智に従って、またそれぞれの時代の状況に応じて、追加されてきたのです。その理由は、司祭も信徒もこの上なく素晴らしい執り行いであるミサ聖祭に、よりよく与ることができるように、天主と一体となることができるような助けを得るためです。つまり、宗教中の宗教行為をより善くできるようにするためです。
このようにして、使徒時代のミサから、時代が下ってくると、少しずつ豊かになってゆき、そして聖ピオ五世は一旦、典礼を最終的に確定させました。プロテスタント主義の攻撃から防御するためです。
また今度詳しくご紹介しますが、残念ながら、第二ヴァチカン公会議の際、以上のような長い歴史から生まれた叡智とミサ聖祭の鎧はパウロ6世の改革によって新しいミサが制定されて、急に正面から否定される羽目になりました。この新しいミサは完全にプロテスタント的でありますが、これについては今度の話に譲ります。
しかしながら、以前からご紹介しているミサ聖祭は言うまでもなく、聖伝ミサのことです。なぜでしょうか。聖伝ミサこそが最も明らかに十字架上の犠牲の再現を示しているからです。思い出しましょう。ミサ聖祭は秘跡であると同時に犠牲でもあります。
そして、聖ピオ五世によって典礼化された聖伝ミサ、そして現代に至って今でも捧げている聖伝ミサこそが、ミサの幾つかの形式の内、一番「秘跡的」な典礼となっています。いいかえると、最も明らかに十字架上の犠牲とは何であるかを示して、具現化しているのです。ですから、聖伝ミサこそが最も象徴的というか、十字架上の犠牲を最も明らかに示して、ミサ形式中の最も明白にミサ聖祭を具現化して、十字架上の犠牲をはっきりと示しているのです。
新しいミサの根本的な問題は(無効にならないとしても)十字架上の犠牲を示さなくなっていることにあります。決定的な弱点です。
さて、今日でも使っている聖伝ミサの典礼は聖ピオ五世によって編纂されました。
大きく言うと、この典礼は二つに分けられています。カトリック教会の初期から、使徒時代から、大きくミサ聖祭を二つに分ける伝統がありました。
つまり、「求道者のミサ」と「洗礼者のミサ」という二つの部分です。「求道者、つまり洗礼志願者のミサ」とは最初の部分ですが、信者や求道者に教えるためにあります。そして、「洗礼者のミサ」とは犠牲そのものです。言いかえると、「心構えをするための部」と「犠牲を捧げる部」という構成になります。
そして、最初の数世紀の間、求道者たちは「教えの部」に参列していましたが、「犠牲の部」が始まると退場していて、洗礼者のみ臨んでいたことから、「求道者のミサ」と「洗礼者のミサ」と呼ばれています。
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要約すると、ミサ聖祭の構成には二つの部分からなっています。第一部は「準備の部」、第二部は「生贄を執り行う部」という構成です。
時には、第三部という区切りもあって、つまり「感謝の部」、犠牲をささげた後に天主に感謝するという部分です。基本的に、第二部の付属部分として区別されています。
まず、ミサ聖祭の第一部は「教育の部」です。この第一の部の中心の目的は、ミサ聖祭という生贄に、相応しい心構えで、相応しい心境で、良い内面的な状態で臨めるようにするための部分です。言いかえると、カトリック教会は霊魂たちの黙想を助け、霊魂の静謐を助け、つまり、天主に向かわせるための状況を唱え、この世の雑音や騒音などを亡くす環境を作るための部分です。
このように、霊魂は少しずつ、一心に、天主を中心に集中することができて、外の世から一旦去るような心境を作ることを助ける部分です。このようにして、霊魂たちはなるべく天主と高度な一致の状態で、ミサ聖祭という十字架上の聖なる生贄に臨むための部分です。つまり、一人一人の霊魂が十字架上の犠牲となるべく現に一致できるようにされていく部分です。
さて、では、第一部の構成はどうなっています。小さい八つの部分からなっています。
第一、司祭は祭壇の下までいく「階段祈祷」があります。司祭は祭壇の下に向かいますが、祭壇の前の階段の下に止まって、祈祷を捧げます。通常、祭壇は高めに設置されており、祭壇まで上るために奇数の階段(一つあるいは三つ)があります。それはともかく、司祭は階段の下に止まります。そこで、「階段祈祷」を捧げます。その内の中心部分は告白の祈りです。つまり、司祭は自分が犯した罪を告白して、その赦しを希い、そうすることによって、良い生贄を捧げられるように心の準備をします。
これは当然のことです。ミサ聖祭を捧げる司祭はキリストにおいて執り行うことになりますので、出来るだけ、なるべく清い状態で捧げ、司祭の霊魂は最大になるべき我らの主と一体化している必要があります。そうすることによって、自分を一番従順な道具にさせ、イエズス・キリストの御手に道具たる自分を捧げるための準備を行います。「階段祈祷」はそのための準備です。
そのあと、祭壇まで上って、一心に接吻して、それから「入祭文」を唱えます。「入祭文」は当日の祝日に合わせた詩編の一句となっていて、ミサ聖祭に入るための祈祷です。
「階段祈祷」の延長線には、「求憐誦」(キリエ)という祈祷を唱えます。「主、憐み給え。キリスト、憐みたまえ。主、憐み給え。」と。
当初は連祷を唱えていた部分ですが、あとの時代に連祷は短くなって、キリエという形で残されました。そういえば、聖土曜日、復活前夜祭の時、連祷はそのままに全部唱えられています。
それはともかく、「求憐誦」(キリエ)とは天主の怒りを鎮めるための祈祷です。「主、憐み給え。」と。
それから、例外もありますが、殆どの場合、「栄光頌」(グロリア)を唱えます。感謝の讃美歌です。ご降誕の際(クリスマスの際)、天使たちが唱えた讃美歌です。「グロリア・イン・エクシェルシス・デオ」、「いと高き天においては、神に栄光あれ。」これはまさに賛美する祈祷です。そして「地上においては、善意の人々に平安あれ」「Et in terra pax hominibus」、これは我らの主が私たちに齎する(もたらす)宝です。平安、平和。十字架上の犠牲、我らの主、イエズス・キリストの犠牲こそが人類史上、過去・現在・将来も含めて、この上なく、天主に最高の栄光をもたらした出来事です。そして、栄光だけではなく、イエズス・キリストの犠牲のお陰で、地上における平安、平和ももたらされています。
言いかえると、ミサ聖祭の外に本物の平安、本物の平和はないということです。この意味でミサ聖祭は公けの執り行いでもあり、政治的な行為でもあるわけです。
「栄光頌」(グロリア)のあと、祭壇の右側へ移動して(祭壇に向かって考える)当日の「集祷文」を唱えます。「集祷文」において、特にどういった恩寵を受けたいか、どういった恩寵を霊魂たちに分配していきたいかを希います。
「集祷文」のあとは、「朗読」があります。基本的に、一つとなっています。例外的に、複数の朗読のミサもあります。「朗読」は一般的に「書簡」とよばれています。というのも、多くの場合、一人の使徒の書簡になっているからです。時には旧約聖書の朗読もあります。参列している信徒たちへの教えです。
「書簡」のあと、賛美する部分があります。「昇階誦」あるいは「詠誦」と「アレルヤ」と「小詩句」あるいは「続誦」などからなっています。ほとんどの場合、詩編からなっていて、それは主に感謝するためです。
そういえば、書簡の終わりに、参列者は「Deo Gratias」といい「天主に感謝」といいますが、この「天主に感謝」は「昇階誦」、「アレルヤ」と「続誦」という形で続きます。歌ミサの場合、賛歌隊が唱える讃美歌です。感謝するためです。
そのあと、司祭は祭壇の反対側へ移動します。つまり、右側から左側へ。そこで「聖福音」を朗読します。つまり、四つの福音からの一部を朗読します。言い換えると、我らの主、イエズス・キリストの人生の一つの場面です。
そのあと、「説教」があります。司祭が当日のミサの書簡と福音などを説きます。当初の時代、司教自身がやることが基本で、その時こそが、使徒に向けた、また洗礼志願者に向けての教育の場でした。
そのあと、「信経」が唱えられます。これは、この上なく、信仰的行為なのです。というのも、信経においてこそすべての真理が要約されているからです。そして、信徒たちは信教を唱えることによって、信仰の行為を果たしてから、当初の時代、求道者は教会から退場することになっていました。そして、信徒は残って、信仰的行為を果たしたおかげで、本物の生贄に臨むための準備がおわります。
これで、第一部、教育の部は終了します。
続いて、第二部に入ります。生贄の部です。
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さて、聖なる犠牲は三部からなっています。というのも、前回にも見た通り、すべての犠牲には三つの段階があるからです。第一、奉献の部です。つまり、お供えする部分。奉納する部分。奉献の部の際、司祭は予めパテナの上においてあるホスチア(パン)とカリスにある葡萄酒を天主に奉献します。目的は天主がこれらの犠牲を受け入れていただくためです。
奉献の部には奉献する祈祷がありますが、このなかで司祭は自分自身をも奉献することになります。そのなかで、「ラヴァボ(洗い)」という儀礼があります。手を洗う儀礼ですが、この儀礼は非常に古い儀礼です。このような外的な手洗いという行為によって、内面的な清めを表すのです。犠牲を捧げるために自分を清める儀式です。まとめると、犠牲の第一部は奉献の部ということになります。
奉献の部は序誦で終了します。そして、「序誦」はその名前通り、ミサ典文に先立つ祈祷です。ミサ典文、カノンは供犠・生贄の部であって、ミサ聖祭の中心部分となります。ミサ聖祭の核心部分です。この犠牲の部は「序誦」のあとから始まり、「Pater主祷文」までです。
このミサ典文、カノンの部は供犠、生贄を捧げる中心部分となります。必ず、声を出さないで無言に唱える部分です。トレント公会議の際でも再確認されたように、なぜ声を出さないで唱えるかというと、聖なる執り行い中の聖なる執り行いであるほどに恐れ多いからです。また、その部分は司祭のみ執り行える生贄なので、信徒たちは司祭ではないので、カノン典文の際、信徒たちはなにも作用することはないのです。
カノンの間、司祭以外、皆、跪いた姿勢で沈黙の内に黙想します。そして、聖なる生贄となるべく一体化することに努めます。言いかえると、十字架上の生贄に一致する努力です。そうするための一つのコツというと、本当に十字架上の下にいると想像して、聖母マリアと同じように、十字架上の御子の生贄を一致して、その苦しみを共有したと同じように、私たちも、十字架上のイエズス・キリストとの一致を行うことです。
そして、司祭は聖変化を執り行うのです。これは言いかえると、生贄を捧げる行為そのものです。まず、パンの聖変化を執り行い、そのあと、御聖体となったパンを掲げます。この持ち上げの儀礼自体は10世紀に定着しました。Berangerによる異端に抵抗すべく、御聖体におけるご現存をより善く示すために御聖体を持ち上げる慣習が出来上がりました。
それはともかく、ご現存の実現は聖変化の時の御言葉を司祭が言う瞬間です。そして、同じようにカリスの葡萄酒の聖変化を執り行い、御血となり、御血を持ち上げる形で、よりよく信徒たちが礼拝できるようにします。
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以上が生贄の部でした。「主祷文」までです。そして犠牲の部の最後の部は、拝領の部です。奉献して、生贄を捧げて、最後に拝領します。
拝領の部もミサ聖祭の大事な一部です。犠牲が完全するためには必要不可欠の一部です。司祭が拝領しない限り、犠牲は完成されないのです。最低でも、司祭は拝領します。このとき、信徒たちも拝領することに越したことはありません。
このように、拝領の部に入ると、司祭は「主祷文」を唱えます。そのあと、パンを裂く儀式があります。この儀式も非常に古くて、当初の数世紀の間、そのパンは発酵のパンでしたが、奉献の部の時、信徒たちが行列しながらパンをお供えして、そして司祭によって聖変化されて、そしてパンは裂かれて御聖体を配っていたのです。聖パウロの書簡において、すでにパンを裂く儀式についての記述があります。そのあとの時代になっていくと、パンを裂く儀式は大きなホスチアを裂く儀式に縮小されるようになりました。
信徒たちのためのホスチアは小さな無酵母のパンです。種無しのパンです。聖変化の時、すべてのホスチアは聖変化されます。そして、そのあと、司祭はパンを裂いて、拝領して、次に司祭は信徒の拝領のため、ご聖体を配ります。以上が、ミサ聖祭の核心の部分です。
拝領がおわった後、短い感謝の部分があります。善き天主に感謝し奉るという部分です。聖体拝領誦があります。昔は聖体拝領の間に歌われていましたが、聖体拝領が終わってから司祭が唱える祈りです。それから、聖体拝領後の祈りがあります。この祈りは、捧げられた犠牲、それから頂いた拝領が霊魂たちの間に実るように希う祈祷です。
そして、最後の福音の朗読があります。御托身の玄義を想起するための福音です。というのも、御托身とミサ聖祭は密接につながっているからです。御托身がなければ、十字架上の犠牲もあり得なかったのです。御托身があるからこそ、我らの主、イエズス・キリストは本物の犠牲者、本物の司祭、本物の天主になっているからです。
最後の福音はミサ聖祭のすべてをもう一度要約するかのような部分です。ヨハネ福音書の冒頭です。イエズス・キリストの御托身を語って、御托身があって初めてミサ聖祭は成り立つということです。
以上がミサ聖祭の構成でした。ご覧のように、ミサ聖祭の構成は非常に完全であります。
また、ミサ聖祭の構成は時代に下って、成熟して、その完成度は高くなりました。カトリック教会は子供が大人になっていくと同じように、完成していきます。聖ピオ五世によって最高の完成度に達成したと言えましょう。