脱同性愛者たちの証言 ブラザー・クリストファー・セールの記事を引用します。
CM: どのくらいの間、ゲイのライフスタイルに関わっていたのですか?
Br. Christopher Sale: 私はゲイのライフスタイルの中に43年間居ました。私は自分がゲイであることを22歳の時にカミングアウトし、25年間続くことになる一つの関係を始めました。25年後、私は一人になる決意をし、自分が若い頃に失ったものを探す旅に出ました。
2008年頃、私はエイズと薬物中毒になっていたのです。私は、自分がゲイのライフスタイルを生きていた年々にどれほど神を傷つけていたかに気づきましたが、それでもまだ、自分の行動をコントロールすることができませんでした。私は全く間違った状態にありました。
CM: そのライフスタイルからどうやって抜け出しましたか?
Br: 私は、自分がエイズにかかり、薬物中毒に陥らなかったならば(つまり、人生のどん底を舐めなければ)「自分は神なしではこの罪深いライフスタイルから逃れることは決してできない」と悟ることはできなかっただろうと心から思っています。多くの人は、それではあまりに残酷だと思うかも知れません。
しかし、エイズにかかったことが神の恵みに変わったのです。もしエイズにかかっていなければ、私はいまだにその嘆かわしいライフスタイルを続けていたことでしょう。それは神がこう仰っていたようでした、「そろそろそれを終わらせなさい。さあ、私のところに帰って来なさい。そして、人々を救うことを始めなさい」と。
私は、他の人々を救うために自分の物語を使う勇気を、神が私に下さったと信じています。私は、たとえ真実を語ることで迫害されても、神が私を犠牲の霊魂としてお求めになっていると信じています。
そのライフスタイルに於ける私の苦しみは、一つの自己処罰的な苦しみでした。それは神の御目には価値のないものでした。〔しかし〕同性愛の真実を語ることで被る迫害の苦しみは、価値があります。
世界は時々殺伐としたものになるものですが、そのような時に人々に希望をもたらすため、私は2008年に、パードレ・ピオ兄弟会という組織を設立しました。私はパサデナとロサンゼルスの路上で、揺るぎない信仰の力の一例として私の物語を人々と分かち合っています。
私は、自分が他の人々から厳しく疎外されていると感じた時、しばしば自分で自分をアルコールとドラッグの中に追いやっていました。
私は、自分がエイズ・ウィルスに感染していると知った日のことを決して忘れないでしょう。それは現実を超えていました。私は、死にたい、しかし、そうでべきではない、少なくとも今は、と思ったことを覚えています。
或る日、窓から外を眺めていた時、神が窓の外から私を見ておられ、私を呼んでいるように感じました。私は寝室に戻り、服を着ました。私は自分がどう見えるかを気にしませんでした。実際、自分の靴下が服に合っているかどうかを気にしませんでした。〔そのような感じで〕私は教会に行く決心をしました。
私は、自分が教会の中まで歩いて行くエネルギーがあるかどうかを危ぶみながら教会の前に駐車しようとしているところを覚えています。私は文字通り、息をしようと喘ぎながら、そしてふらつきながら、教会の中に入って行きました。
そして後ろの信者席に坐り、神が私を助けて下さることを願って泣き始めました。教会まで辿り着くのが精一杯というほど体調が悪かったのですが、私は日に三度、その同じ信者席で祈りました。
三ヵ月後、私は医者に行きました。私のT細胞は140から160に上がっていました。その診療後、私は神に感謝するために教会に戻りました。その日は、その美しい教会の中をもう少し奥へと歩いて行く元気がありました。30フィート〔約9メートル〕ほど進んだ時、グアダルーペの聖母のための美しい教会(shrine)が目に入りました。私は彼女に日に三度、祈り始めました。その教会の他の物は目に入りませんでした。私は聖母に、もし彼女が私の人生を救うために執り成して下さるなら、私の残りの人生を一人の修道士として生きることに捧げます、と約束しました。
三ヵ月後、私のT細胞は180に上がっていました。私は聖母に感謝するために教会に戻りました。そのあと、私は家に帰り、全てのドラッグをゴミ箱に投げ込みました。家の中にあった同性愛に関するものも全て捨てました。パソコンの中にあったゲイに関係するものも全て削除しました。
私はこれら全てを祈りと共に、聖母の御助けと共にしました。数日のうちに、私の寝室は大きな御像と磔刑像のあるチャペルへと変貌しました。入口のドアには、悪魔の侵入を防ぐべく、聖ミカエルの御絵を掛けました。
それは本当に奇跡でした。2009年の初めの数ヶ月のうちに、私は自分がもう同性には惹かれなくなっていることに気づきました。私は誘惑を、つまり同性愛への傾倒を、もう感じなくなっていました。そして私の医師は、私が専門的な助けなしにどうやって薬物中毒を終わらせたのか、今日に至るまで困惑し続けています。
私が確実に死の病だと考えていたものに直面して祈っていた時、問いが私の心を満たしました。「この人生は何なんだ? しくじることなしに何かできるとしたら、私は何をするだろう?」と。
一つの古い感覚が燃える炎のように表われ始めました。私は、自分が爆発するほど神を愛している、というフィーリングを思い出しました。そして、暗闇の中に光が輝き始めました。
私は、若い少年であった頃の自分の最大の願いは、神に仕え、私たち全てが神に愛されているということを人々が知るよう助ける、ということだったのを思い出しました。それで、私は自分の内にあるその炎を掻き立て、パサデナとロサンゼルスの路上に行き、伝道し、祈るようになったのです。
私が路上で奉仕する時、自分の道を見失った人たちに希望を提供することが目的です。特に、彼らの信仰と祈りを励ますことによって。社会からつまはじきにされていると感じている人々のために、貧しい人々のために、虐待された人々のために、そして虐待した人々のために、私は、全ての人が赦されることを彼らに知らせるために、そこに立っているのです。
神は私たちを見離していません。私たちが神を見離しているのです。神は私たちを愛していない、という考えに巻き込まれる時、私たちは誤導されているのです。神は私たち全てを愛しておられます。そして、もし私たちが心を開き、神の愛を抱きしめると、私たちは癒されます。
時々起こる肺炎の発作が私を死に追いやろうとしますが、神は私を逝かせません。私が病気によって囲いの中に送り込まれる時も、叙階された司祭たちが私を見下げ、私を裁き、私を一人の敗残者か何かのように見る時も、神は私を拾い上げて下さいます。
私は、自分が偏見のために立っているのではなく神のために立っているのだということを思い出します。抵抗に直面しても、私は、「違い」は全く違いなどではなく、ただ神が私たちを通して御姿を現わしておられるもう一つの形態に過ぎないということを人々に思い出してもらうために、力強く立っています。
私は、神がゴミ収集庫の中から人を引き上げて救い出そうとなさる時の、大きな応援係です。私はいつも、自分はあまりに遠くに来てしまった、と言う人々に出会います。そんな時、私はいつもこう言います。
「神の目には、誰もあまりに遠く来てしまったということはありません。私はかつて罪の谷間に居ました。しかし神は、私を一度に一つの岩の下から掘り出して下さいました」と。
2009年には、神が私を同性愛の苦しみから完全に癒して下さったことが分かりました。
しかし、私はエイズにかかっていたので、既存の修道会はどこも私を受け入れようとしませんでした。それで私は、マホニー枢機卿に、私は聖母に自分の残りの人生を一人の修道士として生きることに捧げますと約束してしまったのだ、と言いました。マホニー枢機卿は、新しい修道会を作るには数年を要する、と伝えて来ました。それで私は、一つの信徒修道会(a lay order)を始めることにしたのでした。それには認可が必要ないからです。マホニー枢機卿が、信徒修道会なら認可を取る必要はない、と教えて下さったのです。私はこう考えています。もし私が既存の修道会に入っていたなら、私は沈黙を課されていただろう。しかし神は、彼の教会を防衛するために私を召したので(私はそう信じています)、彼は私の修道会を信徒修道会にしたかったのだ、と。
しかし、私を止めようとした司祭たちがいました。私が最初に始めた時、私は教皇ベネディクトの祝福を受けました。或る司祭は私に、彼の教会では私の修道服を着ないように、と言いました。年が経つにつれて、教会は結局、諦めました。私の存在は大司教区全体に知られるようになり、信徒たちからも良好に支持されています。
私は、ここロサンゼルスでの同性愛論議について、極めて率直に話して来ました。私は、何年もの間、ゴメス大司教が教会の敷地内でレインボーフラッグを禁止するよう働きかけて来ました。また、教会の教えに従っていないゲイ・レズビアン問題評議会についても率直に話して来ました。大司教区のどこででも、私の姿が見られました。それで私は、疑いなく、司教たちと司祭たちは私という人間を認めなければならないということに気づいたと思います。
しかし、最近の数年に於いては、彼らは教会に対する私の愛と私たちの教会を護ろうとする私の情熱を目撃しています。私を信じて下さい、最初は、そのようなことを非常に邪魔していたのです。〔しかし〕彼らは、その後、私は活動を止めないと理解するに至ったのです。
修道者としての私の真の使命と情熱は、貧しい人や家のない人たちを支援することに対する私の愛です。しかし神は、私を同性愛者の救霊の問題にも向かわせようとしておられるようです。
CM: サンノゼ司教区は最近、司教区のLGBT問題評議会のために「同性愛傾向にある人々は決してその指向を変えることはできない」と主張するガイドラインを発表しました。他のカトリックLGBT問題評議会も同様に、「同性愛傾向にある人々は、常にそのようにあり、常にその欲望を感じる。彼らは残りの人生を、それを十字架として運ぶほか、如何なる選択の余地もない」と主張しています。これに関するあなたの御意見は? これは同性愛傾向と闘っている人々にとって有害となるメッセージでしょうか?
Br: サンノゼ司教区はこの誤った主張をして、同性愛者の救いに酷い不利益を与えている、と私は考えています。しかしこれは、教会の中、サンノゼ司教区に限ったことではありません。ここロサンゼルスでも同じことが起こっています。私は多くのゲイ・レズビアン問題評議会のイベントに行きました。
彼らは皆、「同性愛傾向にある人々は決してその指向を変えることはできない」という教会の主張を拒絶しており、そしてその指向を変えることを求めています。私は何度も、ゲイ論議を推進している司祭たちによって、教会の敷地から追い出されました。
教会はこの「同性愛は不可逆的なものである」という偽りの見解を吹き込むべきではありません。それは全くナンセンスであり、同性愛者たちの霊魂に重大な危険を負わせるものです。私は全ての同性愛者たちの代弁者になることはできません。私は次のように言うことができるだけです。真理は、愛に於いて、教会によって宣言されなければなりません。私たちは信者をなだめるために真理を砂糖で包むわけにはいきません。
私は、私たちが自分の十字架を取り、それを担って歩く時、残りの事は神がやって下さるということを、事実として知っています。
私がどうしてこのような地点に至ったかは、私にとって全く謎です。私は、神はまさしくこのために、私が苦しむことをお許しになったのだと思います。神は、全てが終わった時、私が人々を救うために戻って来ることを、知っておられたし、また、そう信頼して下さっていたのだと思います。
教会は決して真理を歪めさせてはなりません。そのように自分の個人的な手作りの神学を使用する司祭は、本当に私たちの主を裏切っています。同性愛者を司牧することは「タフな愛」の司牧です。しかし私は、私たちの司祭の多くが今日行なっているような仕方で同性愛者たちの霊魂を危険にさらすことを拒否します。
CM: 司教たちは同性愛傾向と闘っている人たちを本当に助けるために何をすべきでしょうか?
Br: 教会がそれら全ての虚偽の評議会を解体し、Courage[注] を促進し始めることが不可欠だと思います。同性愛者は、もし本当に神を探し求めるなら、彼らの振舞い〔同性愛行為〕に「ブラボー!」を提供する評議会の中に神を発見することは決してないでしょう。教会は教えにしっかりと立っていなければなりません。
教会は同性愛の誇りを祝う旗を禁止しなければなりません。教会は歴史の右にいることと心配すべきでなく、常に神の右にいなければなりません。もし私たちが救霊の業に携わっているなら、ほかに道はありません。真理が告げられなければなりません。
[注] Courage とは、同性愛からの「脱出」を支援するプロテスタント組織で有名なのは Exodus であるようだ。(エクソダスとは脱出の意味。聖書の出エジプト記も同名)
そのカトリック版とも言える組織が Courage であるようだ。
Index
• クリスティーン・ディクソン 女性、プロテスタント
• ジョセリン・サザーランド 女性、プロテスタント
• ブラザー・クリストファー・セール 男性、カトリック
• キャシー・シモニーニ 女性、プロテスタント
• シャーリン・コトラン 1 2 女性、プロテスタント
• デニス・ジャニガン 1 2 男性、プロテスタント
• ルイス・デヘイスース 男性、プロテスタント
• アキーラ・ブレイボーイ 女性、プロテスタント
• メリッサ・フライリーア 1 2 3 女性、プロテスタント
• スティーブン・ベネット 男性、プロテスタント
• スティーブン・ブラック 男性、プロテスタント
• ナタニエル・フロック 男性、プロテスタント
• 或る翻訳書から
• ジャネット・ボインズ 女性、プロテスタント
• オードラ・オースティン 女性、プロテスタント
• ブラッド・グラマー1 2 男性、プロテスタント
• クリスチャン・V 男性、カトリック
• ジェイク・スタンウッド(仮名) 男性、カトリック
• ジェシカ・ニューサム1 2 3 女性、プロテスタント
• デボラ・バー 女性、プロテスタント
CM: どのくらいの間、ゲイのライフスタイルに関わっていたのですか?
Br. Christopher Sale: 私はゲイのライフスタイルの中に43年間居ました。私は自分がゲイであることを22歳の時にカミングアウトし、25年間続くことになる一つの関係を始めました。25年後、私は一人になる決意をし、自分が若い頃に失ったものを探す旅に出ました。
2008年頃、私はエイズと薬物中毒になっていたのです。私は、自分がゲイのライフスタイルを生きていた年々にどれほど神を傷つけていたかに気づきましたが、それでもまだ、自分の行動をコントロールすることができませんでした。私は全く間違った状態にありました。
CM: そのライフスタイルからどうやって抜け出しましたか?
Br: 私は、自分がエイズにかかり、薬物中毒に陥らなかったならば(つまり、人生のどん底を舐めなければ)「自分は神なしではこの罪深いライフスタイルから逃れることは決してできない」と悟ることはできなかっただろうと心から思っています。多くの人は、それではあまりに残酷だと思うかも知れません。
しかし、エイズにかかったことが神の恵みに変わったのです。もしエイズにかかっていなければ、私はいまだにその嘆かわしいライフスタイルを続けていたことでしょう。それは神がこう仰っていたようでした、「そろそろそれを終わらせなさい。さあ、私のところに帰って来なさい。そして、人々を救うことを始めなさい」と。
私は、他の人々を救うために自分の物語を使う勇気を、神が私に下さったと信じています。私は、たとえ真実を語ることで迫害されても、神が私を犠牲の霊魂としてお求めになっていると信じています。
そのライフスタイルに於ける私の苦しみは、一つの自己処罰的な苦しみでした。それは神の御目には価値のないものでした。〔しかし〕同性愛の真実を語ることで被る迫害の苦しみは、価値があります。
世界は時々殺伐としたものになるものですが、そのような時に人々に希望をもたらすため、私は2008年に、パードレ・ピオ兄弟会という組織を設立しました。私はパサデナとロサンゼルスの路上で、揺るぎない信仰の力の一例として私の物語を人々と分かち合っています。
私は、自分が他の人々から厳しく疎外されていると感じた時、しばしば自分で自分をアルコールとドラッグの中に追いやっていました。
私は、自分がエイズ・ウィルスに感染していると知った日のことを決して忘れないでしょう。それは現実を超えていました。私は、死にたい、しかし、そうでべきではない、少なくとも今は、と思ったことを覚えています。
或る日、窓から外を眺めていた時、神が窓の外から私を見ておられ、私を呼んでいるように感じました。私は寝室に戻り、服を着ました。私は自分がどう見えるかを気にしませんでした。実際、自分の靴下が服に合っているかどうかを気にしませんでした。〔そのような感じで〕私は教会に行く決心をしました。
私は、自分が教会の中まで歩いて行くエネルギーがあるかどうかを危ぶみながら教会の前に駐車しようとしているところを覚えています。私は文字通り、息をしようと喘ぎながら、そしてふらつきながら、教会の中に入って行きました。
そして後ろの信者席に坐り、神が私を助けて下さることを願って泣き始めました。教会まで辿り着くのが精一杯というほど体調が悪かったのですが、私は日に三度、その同じ信者席で祈りました。
三ヵ月後、私は医者に行きました。私のT細胞は140から160に上がっていました。その診療後、私は神に感謝するために教会に戻りました。その日は、その美しい教会の中をもう少し奥へと歩いて行く元気がありました。30フィート〔約9メートル〕ほど進んだ時、グアダルーペの聖母のための美しい教会(shrine)が目に入りました。私は彼女に日に三度、祈り始めました。その教会の他の物は目に入りませんでした。私は聖母に、もし彼女が私の人生を救うために執り成して下さるなら、私の残りの人生を一人の修道士として生きることに捧げます、と約束しました。
三ヵ月後、私のT細胞は180に上がっていました。私は聖母に感謝するために教会に戻りました。そのあと、私は家に帰り、全てのドラッグをゴミ箱に投げ込みました。家の中にあった同性愛に関するものも全て捨てました。パソコンの中にあったゲイに関係するものも全て削除しました。
私はこれら全てを祈りと共に、聖母の御助けと共にしました。数日のうちに、私の寝室は大きな御像と磔刑像のあるチャペルへと変貌しました。入口のドアには、悪魔の侵入を防ぐべく、聖ミカエルの御絵を掛けました。
それは本当に奇跡でした。2009年の初めの数ヶ月のうちに、私は自分がもう同性には惹かれなくなっていることに気づきました。私は誘惑を、つまり同性愛への傾倒を、もう感じなくなっていました。そして私の医師は、私が専門的な助けなしにどうやって薬物中毒を終わらせたのか、今日に至るまで困惑し続けています。
私が確実に死の病だと考えていたものに直面して祈っていた時、問いが私の心を満たしました。「この人生は何なんだ? しくじることなしに何かできるとしたら、私は何をするだろう?」と。
一つの古い感覚が燃える炎のように表われ始めました。私は、自分が爆発するほど神を愛している、というフィーリングを思い出しました。そして、暗闇の中に光が輝き始めました。
私は、若い少年であった頃の自分の最大の願いは、神に仕え、私たち全てが神に愛されているということを人々が知るよう助ける、ということだったのを思い出しました。それで、私は自分の内にあるその炎を掻き立て、パサデナとロサンゼルスの路上に行き、伝道し、祈るようになったのです。
私が路上で奉仕する時、自分の道を見失った人たちに希望を提供することが目的です。特に、彼らの信仰と祈りを励ますことによって。社会からつまはじきにされていると感じている人々のために、貧しい人々のために、虐待された人々のために、そして虐待した人々のために、私は、全ての人が赦されることを彼らに知らせるために、そこに立っているのです。
神は私たちを見離していません。私たちが神を見離しているのです。神は私たちを愛していない、という考えに巻き込まれる時、私たちは誤導されているのです。神は私たち全てを愛しておられます。そして、もし私たちが心を開き、神の愛を抱きしめると、私たちは癒されます。
時々起こる肺炎の発作が私を死に追いやろうとしますが、神は私を逝かせません。私が病気によって囲いの中に送り込まれる時も、叙階された司祭たちが私を見下げ、私を裁き、私を一人の敗残者か何かのように見る時も、神は私を拾い上げて下さいます。
私は、自分が偏見のために立っているのではなく神のために立っているのだということを思い出します。抵抗に直面しても、私は、「違い」は全く違いなどではなく、ただ神が私たちを通して御姿を現わしておられるもう一つの形態に過ぎないということを人々に思い出してもらうために、力強く立っています。
私は、神がゴミ収集庫の中から人を引き上げて救い出そうとなさる時の、大きな応援係です。私はいつも、自分はあまりに遠くに来てしまった、と言う人々に出会います。そんな時、私はいつもこう言います。
「神の目には、誰もあまりに遠く来てしまったということはありません。私はかつて罪の谷間に居ました。しかし神は、私を一度に一つの岩の下から掘り出して下さいました」と。
2009年には、神が私を同性愛の苦しみから完全に癒して下さったことが分かりました。
しかし、私はエイズにかかっていたので、既存の修道会はどこも私を受け入れようとしませんでした。それで私は、マホニー枢機卿に、私は聖母に自分の残りの人生を一人の修道士として生きることに捧げますと約束してしまったのだ、と言いました。マホニー枢機卿は、新しい修道会を作るには数年を要する、と伝えて来ました。それで私は、一つの信徒修道会(a lay order)を始めることにしたのでした。それには認可が必要ないからです。マホニー枢機卿が、信徒修道会なら認可を取る必要はない、と教えて下さったのです。私はこう考えています。もし私が既存の修道会に入っていたなら、私は沈黙を課されていただろう。しかし神は、彼の教会を防衛するために私を召したので(私はそう信じています)、彼は私の修道会を信徒修道会にしたかったのだ、と。
しかし、私を止めようとした司祭たちがいました。私が最初に始めた時、私は教皇ベネディクトの祝福を受けました。或る司祭は私に、彼の教会では私の修道服を着ないように、と言いました。年が経つにつれて、教会は結局、諦めました。私の存在は大司教区全体に知られるようになり、信徒たちからも良好に支持されています。
私は、ここロサンゼルスでの同性愛論議について、極めて率直に話して来ました。私は、何年もの間、ゴメス大司教が教会の敷地内でレインボーフラッグを禁止するよう働きかけて来ました。また、教会の教えに従っていないゲイ・レズビアン問題評議会についても率直に話して来ました。大司教区のどこででも、私の姿が見られました。それで私は、疑いなく、司教たちと司祭たちは私という人間を認めなければならないということに気づいたと思います。
しかし、最近の数年に於いては、彼らは教会に対する私の愛と私たちの教会を護ろうとする私の情熱を目撃しています。私を信じて下さい、最初は、そのようなことを非常に邪魔していたのです。〔しかし〕彼らは、その後、私は活動を止めないと理解するに至ったのです。
修道者としての私の真の使命と情熱は、貧しい人や家のない人たちを支援することに対する私の愛です。しかし神は、私を同性愛者の救霊の問題にも向かわせようとしておられるようです。
CM: サンノゼ司教区は最近、司教区のLGBT問題評議会のために「同性愛傾向にある人々は決してその指向を変えることはできない」と主張するガイドラインを発表しました。他のカトリックLGBT問題評議会も同様に、「同性愛傾向にある人々は、常にそのようにあり、常にその欲望を感じる。彼らは残りの人生を、それを十字架として運ぶほか、如何なる選択の余地もない」と主張しています。これに関するあなたの御意見は? これは同性愛傾向と闘っている人々にとって有害となるメッセージでしょうか?
Br: サンノゼ司教区はこの誤った主張をして、同性愛者の救いに酷い不利益を与えている、と私は考えています。しかしこれは、教会の中、サンノゼ司教区に限ったことではありません。ここロサンゼルスでも同じことが起こっています。私は多くのゲイ・レズビアン問題評議会のイベントに行きました。
彼らは皆、「同性愛傾向にある人々は決してその指向を変えることはできない」という教会の主張を拒絶しており、そしてその指向を変えることを求めています。私は何度も、ゲイ論議を推進している司祭たちによって、教会の敷地から追い出されました。
教会はこの「同性愛は不可逆的なものである」という偽りの見解を吹き込むべきではありません。それは全くナンセンスであり、同性愛者たちの霊魂に重大な危険を負わせるものです。私は全ての同性愛者たちの代弁者になることはできません。私は次のように言うことができるだけです。真理は、愛に於いて、教会によって宣言されなければなりません。私たちは信者をなだめるために真理を砂糖で包むわけにはいきません。
私は、私たちが自分の十字架を取り、それを担って歩く時、残りの事は神がやって下さるということを、事実として知っています。
私がどうしてこのような地点に至ったかは、私にとって全く謎です。私は、神はまさしくこのために、私が苦しむことをお許しになったのだと思います。神は、全てが終わった時、私が人々を救うために戻って来ることを、知っておられたし、また、そう信頼して下さっていたのだと思います。
教会は決して真理を歪めさせてはなりません。そのように自分の個人的な手作りの神学を使用する司祭は、本当に私たちの主を裏切っています。同性愛者を司牧することは「タフな愛」の司牧です。しかし私は、私たちの司祭の多くが今日行なっているような仕方で同性愛者たちの霊魂を危険にさらすことを拒否します。
CM: 司教たちは同性愛傾向と闘っている人たちを本当に助けるために何をすべきでしょうか?
Br: 教会がそれら全ての虚偽の評議会を解体し、Courage[注] を促進し始めることが不可欠だと思います。同性愛者は、もし本当に神を探し求めるなら、彼らの振舞い〔同性愛行為〕に「ブラボー!」を提供する評議会の中に神を発見することは決してないでしょう。教会は教えにしっかりと立っていなければなりません。
教会は同性愛の誇りを祝う旗を禁止しなければなりません。教会は歴史の右にいることと心配すべきでなく、常に神の右にいなければなりません。もし私たちが救霊の業に携わっているなら、ほかに道はありません。真理が告げられなければなりません。
[注] Courage とは、同性愛からの「脱出」を支援するプロテスタント組織で有名なのは Exodus であるようだ。(エクソダスとは脱出の意味。聖書の出エジプト記も同名)
そのカトリック版とも言える組織が Courage であるようだ。
Index
• クリスティーン・ディクソン