聖母マリアのシスター・ルシアへのトゥイ(スペイン)における1929年6月13日の御出現
「ファチマ:世界平和への唯一の道」からの抜粋
「現代世界」は奇跡一般を嘲笑し、そして実際、その諸聖人がそのように多さにおいて奇跡を行った教会の神的主張を嘲笑します。
しかしロシアの奉献はまさに1917年10月13日の太陽の奇跡でもって神が本物であることを証明なさったそのメッセージにおいて神がお命じになったことです。
われわれは1917年7月13日のメッセージの中で聖母がルチアに「私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために戻って来るでしょう」と約束なさったということを思い起こします。
その御言葉通りに、童貞聖母マリアはスペイン、トゥイにおいて1929年6月13日にルチアに再び御出現になりました。そこで、ルチア - その時にはドロテア会修道女シスター・ルチア・ドス・サントス(彼女は1948年まではカルメル会修道女とはならないでしょう) - は礼拝と償いの聖時間の間修道院の聖堂において祈っていました。カトリック教会の諸聖人への天からの御出現の記録の中でさえ、この御出現は並はずれたものでした。
われわれはシスター・ルチアに彼女自身の単純なしかしまったく劇的な言葉においてその御出現を詳しく話してもらうことにしましょう - そしてここでもまたわれわれが、教会と教皇ヨハネ・パウロ二世および教皇ベネディクト十六世を含む諸教皇が信じるに値すると宣言なさった一つの御出現を取り扱っていることを覚えておきましょう。
「私は木曜日から金曜日まで午後11時から真夜中まで聖時間をすることを求めて私の上長たちと聴罪司祭たちから許可を得ていました。ある夜独りでいる時に私はひれ伏して天使の祈りを唱えるために聖堂の中央の聖体拝領台の前で跪きました。疲れを感じましたので、私は起きあがり、そして跪きました。そして私の両腕を十字架の形に組んでその祈りを唱え続けました。唯一の光は内陣の[聖体安置を示す]ランプから来ていました。」
「突然、一つの超自然的な光が聖堂全体を照らしました。そして祭壇の上に天井に届く光の十字架が現れました。より明るい部分に、十字架の上の方に一人の男の方の顔と腰までの身体を見ることができました。その胸のところには同様に光り輝く一羽の鳩がいました。そして十字架に釘づけにされたもう一人の男の人の身体がありました。」
「その方の胴の少し下のところに、空中に浮いて一つのカリスと一つの大きなホスチアを見ました。ホスチアの上には十字架につけられた方の顔から、そしてその方の胸にある傷から数滴の血が落ちていました。これらの[血の]滴はホスチアを伝わってカリスの中へ流れ落ちていました。十字架の右側の腕の下には聖母(その片手に汚れなき御心を持たれたファチマの聖母)がおられました...(十字架の)左側の腕の下には大きな文字が、いわば祭壇の上に流れ下る水晶のように透明な水で書かれたかのようにあり、これらの文字は『恩寵と憐れみ』という文字を形作っていました。」
「私は、私に示されたのがいとも聖なる三位一体の神秘であることを理解いたしました...」注42)
フレール・ミッシェルはこの御出現を正当に「三位一体の神の顕現」と呼びました(以下に掲げたある画家による解釈を見てください。)
もちろん、神は文字通りの意味において、キリストがその肉において見られ得るようには、人間の目によって見られることはできませんが、この「神の顕現」は神によってその三位一体の本性の一つの視覚的な表現として認められました。太陽の奇跡についてそうであったと同じように、世界の歴史においてかつて記録されたそのような現象は何一つありません。このように、神御自身、ファチマの聖母がいとも聖なる三位一体の現前においてシスター・ルチアに話そうとされたことの並はずれた重要性をお示しになったのです。聖母はこう言われました:
「神が、この手段によってそれ(ロシア)を救うことを約束なさりながら、教皇に、世界のすべての司教たちと一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするようにお求めになる時が来ました。」注43)
神御自身このことを要求しておられます。シスター・ルチアは、まさに神そのもの、いとも聖なる三位一体の現前において、神の名において話される神御自身の御母の口からこの要求を受け取りました。シスター・ルチアは、直ちにこの神の要求を彼女の聴罪司祭ゴンサルヴェス神父に、彼との彼女の公表された文通のうちに反映されているように、伝えました。注44)
次の75年間シスター・ルチア―オウレムのフリーメーソンの市長によって投獄され恐ろしい死をもって脅迫されたけれどもファチマの真実を否定しようとしなかったその同じルチア ― は同じ証言を与えました。聖母は、神のメッセージの伝達者として、教皇と世界のすべての司教たちとによって一緒に行われるべき一つの儀式においてロシアの荘厳で公的な奉献を要求なさいました。
童貞聖母マリアが要求なさった奉献の効力をあたかも証明するかのように、神はいわば、ポルトガルにおいて一つの証明を許すことを適当と見られました。
1931年5月13日、ファチマでの最初の御出現の記念日に、そしてそのイベントのためにファチマに来た30万人の信徒たちの列席する中で、ポルトガルの司教たちは彼らの国を荘厳にマリアの汚れなき御心に奉献しました。これらの善良な司教たちは、ヨーロッパ中、特にスペインに吹き荒れていた共産主義の伝染病からその国を保護するために聖母の御保護の下にポルトガルを置きました。実際、世界の至る所へのロシアの諸々の誤謬の拡がりという童貞聖母マリアの預言は情け容赦のない正確さですでに実現されていました。
1917年の7月に、誰が - ボルシェヴィキ革命とレーニンの権力掌握の数ヶ月前に - ロシアから発する世界共産主義の出現を予見することができたでしょうか?ただ神だけがそれを予見することができたのです。神の御子によって知らされた神の御母だけが予見することができました。
この(1931年の)奉献の結果として、ポルトガルは三重の奇跡を経験しました。ここに、われわれはただ最低限の項目だけを挙げることにします。
カトリック・ルネッサンス
まず最初に、一つの壮大なカトリック・ルネッサンス、その中を生きてきた人々がそれを疑いもなく神の働きに帰したほどにそのように際だったカトリック生命の偉大な再生がありました。この時期の間、ポルトガルは司祭の召命における激烈な急増を享受しました。修道者の数は10年の間にほとんど4倍になりました。諸々の宗教的共同体も同様に増えました。キリスト教的生活の大きな刷新がありました。それはカトリック新聞社、カトリック・ラジオの発達、巡礼、霊的黙想、そして司教区および小教区の枠内に統合されたカトリック・アクションの活発な運動を含む多くの領域において示されました。
このカトリック・ルネッサンスはそのように重要なものであったので、1942年にポルトガルの司教たちは共同司牧書簡において次のように宣言しました:「25年前にその目を閉じ、そして現在その目を開いた人は誰でももはやポルトガルをそれと識別しないであろう。ファチマでの祝せられた童貞聖母マリアの御出現のつつましいそして見えない要因によって行われた変化はそのように大きいからである。実際、聖母はポルトガルを救うことを望んでおられるのだ。」注45)
政治的および社会的な改革
そこにはまた、カトリック社会諸原理と一致した政治的および社会的改革の奇跡もありました。1931年の奉献のすぐ後に一人のカトリック教徒の指導者がポルトガルにおいて権力の座につきました。カトリック反革命計画を正式に開始したアントニオ・サラザールです。彼はできる限り、そこで政府の諸法律と社会諸制度がキリストの律法、キリストの福音そしてキリストの教会と調和されている一つのカトリック的な社会秩序を創ろうと努力しました。注46)社会主義と自由主義の猛烈な反対者として、彼は「家庭の重要性を低めあるいは家庭を解体するあらゆること」に反対しました。注47)
平和の奇跡
これらの驚くべき宗教的および政治的な変化に加えて、二重の平和の奇跡がありました。ポルトガルは共産主義の恐怖から、特に隣りで荒れ狂った(1936-39年)スペイン市民戦争から守られました。そしてポルトガルはまた第二次世界大戦の荒廃からも逃れました。
スペイン市民戦争に関しては、ポルトガルの司教たちは1936年に、もし聖母がポルトガルを守ってくださるならば、彼らはマリアの汚れなき御心への国家の奉献を更新することによって彼らの感謝を表明すると誓いました。彼らの言葉に忠実に、1938年5月13日に彼らは聖母の守護に感謝して聖母の汚れなき御心へのポルトガルの奉献を更新しました。セレイェイラ枢機卿は公衆の面前でこう認められました:「ファチマの聖母が1917年に御出現になって以来...神の特別の祝福がポルトガルの地に下りました...特に、もしわれわれがわれわれの誓約以来過ぎ去った2年間を回顧するならば、神の見えざる御手がポルトガルを、戦争の災難と無神論的共産主義のライ病から免れさせて、守ってくださったことを認めないわけにはいきません。」
教皇ピオ十二世さえ、ポルトガルがスペイン市民戦争と共産主義の脅威を免れたことに驚きを表明されました。ポルトガルの人々への挨拶の中で、教皇は「そのように脅威的でそのようにあなたがたに近かった、そしてにもかかわらずそのように思いがけない仕方で避けられた赤の危険」について話されました。注48)
ポルトガルの人々はこの最初の危険を無傷のままに過ごしましたが、しかし直ちに二番目に彼らの面前ににらみつけるものがありました。第二次世界大戦が勃発しようとしていました。1917年7月13日の童貞聖母マリアの預言のなおもう一つの実現において、「ある未知の光によって照らされた一夜...」(1938年1月25-26日)に引き続く「ピオ十一世の在位の時に」戦争が始まったのでした。
1939年2月6日、宣戦布告の7ヶ月前に、シスター・ルチアは彼女の司教モンセニョール・ダ・シルヴァに手紙を書きました。彼女は彼に戦争が差し迫っていると告げました。しかしそのとき一つの奇跡的な約束について話しました。彼女は言いました:「この恐るべき戦争において、ポルトガルは司教様たちによってなされたマリアの汚れなき御心への国家の奉献のゆえに[戦争から]逃れるでしょう。」
そしてポルトガルは戦争の諸々の恐怖を免れたのです。その詳細はここで詳しく述べるには余りにも数が多すぎます。注50)さらに驚くべきことには、シスター・ルチアは1940年12月2日に、もし司教たちが彼らの国々をマリアの汚れなき御心に奉献していたならば、他の国々が受けたであろう戦争の間の特別の保護をポルトガルが受けていたということを彼に告げるために、教皇ピオ十二世に手紙を書きました。彼女はこう書きました:「教皇様、聖母はポルトガルの高位聖職者たちによるマリアの汚れなき御心へのこの国の奉献のゆえに、この戦争において私たちの国に特別の保護を約束しておられます。他の国々ももし聖母に自分たちを奉献したならば与えられたであろう諸々の恩寵の証拠としてです。」注51)
同様に、ポルトガルのセレイェイラ枢機卿はこの時期の間聖母がポルトガルのために得られた大きな恩寵をファチマの聖母に帰することを躊躇されませんでした。1942年5月13日に彼はこう言われました:「ここで25年の間に起こってきたことを表現するためにポルトガルの語彙はただ一つの言葉しか持っていません:それは奇跡という言葉です。そうです、われわれはポルトガルのすばらしい変化をいとも聖なる童貞聖母マリアの保護に負っていると確信しています。」注53)
セレイェイラ枢機卿はわれわれがここで主張していることを主張されたのです:すなわち、聖母がポルトガルのために、その国の1931年の奉献に対する天からの報酬として得られた奇跡的な諸々の祝福は、ひとたびロシアがまた聖母の汚れなき御心に適切に奉献されるならば、聖母が全世界のためになされるであろうものの前兆にしかすぎないということです。注53)枢機卿が言われたように:「ポルトガルにおいて起こったことは奇跡を宣言しています。そしてそれはマリアの汚れなき御心が世界のために準備なさったことを予示しています。注54)
聖書はわれわれに人類がもはや戦争をしない時が来るであろうと告げています。旧約聖書において預言者たちはわれわれに人類が彼らの剣をすきの刃先に変えるであろうと告げています。すなわち、彼らは、ミサイル、戦車、爆弾、銃、そして生物兵器のような戦争の諸々の道具をリサイクルして、それらを食物を生産する道具に変えるであろうということです。
聖書はまたわれわれにこう告げています:獅子は子羊と共に横たわるであろう。そして子羊は傷つけられることはないであろう。子どもはその手を毒蛇の巣の中に入れるであろう。そしてその子どもは傷つけられないであろう、と。
平和は、聖トマスと聖アウグスティヌスがわれわれに告げているように、秩序の静けさです。神は、われわれが世界中あまねくこの静けさを持つであろう時が人類の歴史において来るであろうことを約束なさいました。われわれはまさに今その預言を成就しようとしています - そしてそれは神が御自分の聖なる御母を通じてファチマでわれわれにお与えになったメッセージです。われわれは今世界的な真の平和のための処方箋を持っているのです。
(42) The Whole Truth About Fatima - Volume II, pp. 463-464.
(43) Ibid.
(44) Sister Lucy’s words cited from The Whole Truth About Fatima -Volume II, pp. 462-465. See also Sister Lucy’s Memorias e Cartas da Irma Lucia, pp. 463-465.
(45) Collective Pastoral Letter for the Jubilee of the Apparitions in 1942, Fatima, merveille du XX e siècle, p. 338. Cited from The Whole Truth About Fatima -Volume II, p. 410.
(46) Salazar’s influence in the Portuguese government had been growing since 1928. He becamePresident of the Council in 1933. Later, Salazar received for his efforts the praise and blessing of PopePius XII. Pius said, “I bless him with all my heart, and I cherish the most ardent desire that he be ableto complete successfully his work of national restoration, both spiritual and material.” Cited from The Whole Truth About Fatima - Volume II, p. 412.
(47) Ibid., p. 415 (Salazar’s own words).
(48) Ibid., p.422.
(49) Ibid., p. 428.
(50) See The Whole Truth About Fatima - Volume II, pp. 369-439.
(51) Ibid., p. 428.
(52) Ibid., p. 405. Cardinal Cerejeira spoke these words during the 1942 Jubileecelebration of the Fatima apparitions.
(53) We trust the word of a Fatima believer such as CardinalCerejeira, rather than a Fatima debunker.
(54) Cardinal Cerejeira, Preface to Jacinta (1942), Obras Pastorais, Volume II, p. 333. Cf. also his homily of May 13, 1942, Fatima, merveille du XXe siècle
, p.339. Cited from The Whole Truth About Fatima - Volume II, p. 437.
(54a) cf. Sir Winston Churchill, The Second World War, Vol. 4, p. 33.
(54b) Letter of May 4, 1943, Documentos de Fatima, (Porto,1976) pp. 446-447; see also The Whole Truth About Fatima – Volume III, pp. 18-21 (letters of Sister Lucy of February 28 and May 4).
「ファチマ:世界平和への唯一の道」からの抜粋
「現代世界」は奇跡一般を嘲笑し、そして実際、その諸聖人がそのように多さにおいて奇跡を行った教会の神的主張を嘲笑します。
しかしロシアの奉献はまさに1917年10月13日の太陽の奇跡でもって神が本物であることを証明なさったそのメッセージにおいて神がお命じになったことです。
われわれは1917年7月13日のメッセージの中で聖母がルチアに「私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために戻って来るでしょう」と約束なさったということを思い起こします。
その御言葉通りに、童貞聖母マリアはスペイン、トゥイにおいて1929年6月13日にルチアに再び御出現になりました。そこで、ルチア - その時にはドロテア会修道女シスター・ルチア・ドス・サントス(彼女は1948年まではカルメル会修道女とはならないでしょう) - は礼拝と償いの聖時間の間修道院の聖堂において祈っていました。カトリック教会の諸聖人への天からの御出現の記録の中でさえ、この御出現は並はずれたものでした。
われわれはシスター・ルチアに彼女自身の単純なしかしまったく劇的な言葉においてその御出現を詳しく話してもらうことにしましょう - そしてここでもまたわれわれが、教会と教皇ヨハネ・パウロ二世および教皇ベネディクト十六世を含む諸教皇が信じるに値すると宣言なさった一つの御出現を取り扱っていることを覚えておきましょう。
トゥイの幻視
「私は木曜日から金曜日まで午後11時から真夜中まで聖時間をすることを求めて私の上長たちと聴罪司祭たちから許可を得ていました。ある夜独りでいる時に私はひれ伏して天使の祈りを唱えるために聖堂の中央の聖体拝領台の前で跪きました。疲れを感じましたので、私は起きあがり、そして跪きました。そして私の両腕を十字架の形に組んでその祈りを唱え続けました。唯一の光は内陣の[聖体安置を示す]ランプから来ていました。」
「突然、一つの超自然的な光が聖堂全体を照らしました。そして祭壇の上に天井に届く光の十字架が現れました。より明るい部分に、十字架の上の方に一人の男の方の顔と腰までの身体を見ることができました。その胸のところには同様に光り輝く一羽の鳩がいました。そして十字架に釘づけにされたもう一人の男の人の身体がありました。」
「その方の胴の少し下のところに、空中に浮いて一つのカリスと一つの大きなホスチアを見ました。ホスチアの上には十字架につけられた方の顔から、そしてその方の胸にある傷から数滴の血が落ちていました。これらの[血の]滴はホスチアを伝わってカリスの中へ流れ落ちていました。十字架の右側の腕の下には聖母(その片手に汚れなき御心を持たれたファチマの聖母)がおられました...(十字架の)左側の腕の下には大きな文字が、いわば祭壇の上に流れ下る水晶のように透明な水で書かれたかのようにあり、これらの文字は『恩寵と憐れみ』という文字を形作っていました。」
「私は、私に示されたのがいとも聖なる三位一体の神秘であることを理解いたしました...」注42)
フレール・ミッシェルはこの御出現を正当に「三位一体の神の顕現」と呼びました(以下に掲げたある画家による解釈を見てください。)
もちろん、神は文字通りの意味において、キリストがその肉において見られ得るようには、人間の目によって見られることはできませんが、この「神の顕現」は神によってその三位一体の本性の一つの視覚的な表現として認められました。太陽の奇跡についてそうであったと同じように、世界の歴史においてかつて記録されたそのような現象は何一つありません。このように、神御自身、ファチマの聖母がいとも聖なる三位一体の現前においてシスター・ルチアに話そうとされたことの並はずれた重要性をお示しになったのです。聖母はこう言われました:
「神が、この手段によってそれ(ロシア)を救うことを約束なさりながら、教皇に、世界のすべての司教たちと一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするようにお求めになる時が来ました。」注43)
神御自身このことを要求しておられます。シスター・ルチアは、まさに神そのもの、いとも聖なる三位一体の現前において、神の名において話される神御自身の御母の口からこの要求を受け取りました。シスター・ルチアは、直ちにこの神の要求を彼女の聴罪司祭ゴンサルヴェス神父に、彼との彼女の公表された文通のうちに反映されているように、伝えました。注44)
次の75年間シスター・ルチア―オウレムのフリーメーソンの市長によって投獄され恐ろしい死をもって脅迫されたけれどもファチマの真実を否定しようとしなかったその同じルチア ― は同じ証言を与えました。聖母は、神のメッセージの伝達者として、教皇と世界のすべての司教たちとによって一緒に行われるべき一つの儀式においてロシアの荘厳で公的な奉献を要求なさいました。
世界が享受するであろうものの前触れ
童貞聖母マリアが要求なさった奉献の効力をあたかも証明するかのように、神はいわば、ポルトガルにおいて一つの証明を許すことを適当と見られました。
1931年5月13日、ファチマでの最初の御出現の記念日に、そしてそのイベントのためにファチマに来た30万人の信徒たちの列席する中で、ポルトガルの司教たちは彼らの国を荘厳にマリアの汚れなき御心に奉献しました。これらの善良な司教たちは、ヨーロッパ中、特にスペインに吹き荒れていた共産主義の伝染病からその国を保護するために聖母の御保護の下にポルトガルを置きました。実際、世界の至る所へのロシアの諸々の誤謬の拡がりという童貞聖母マリアの預言は情け容赦のない正確さですでに実現されていました。
1917年の7月に、誰が - ボルシェヴィキ革命とレーニンの権力掌握の数ヶ月前に - ロシアから発する世界共産主義の出現を予見することができたでしょうか?ただ神だけがそれを予見することができたのです。神の御子によって知らされた神の御母だけが予見することができました。
三重の奇跡
この(1931年の)奉献の結果として、ポルトガルは三重の奇跡を経験しました。ここに、われわれはただ最低限の項目だけを挙げることにします。
カトリック・ルネッサンス
まず最初に、一つの壮大なカトリック・ルネッサンス、その中を生きてきた人々がそれを疑いもなく神の働きに帰したほどにそのように際だったカトリック生命の偉大な再生がありました。この時期の間、ポルトガルは司祭の召命における激烈な急増を享受しました。修道者の数は10年の間にほとんど4倍になりました。諸々の宗教的共同体も同様に増えました。キリスト教的生活の大きな刷新がありました。それはカトリック新聞社、カトリック・ラジオの発達、巡礼、霊的黙想、そして司教区および小教区の枠内に統合されたカトリック・アクションの活発な運動を含む多くの領域において示されました。
このカトリック・ルネッサンスはそのように重要なものであったので、1942年にポルトガルの司教たちは共同司牧書簡において次のように宣言しました:「25年前にその目を閉じ、そして現在その目を開いた人は誰でももはやポルトガルをそれと識別しないであろう。ファチマでの祝せられた童貞聖母マリアの御出現のつつましいそして見えない要因によって行われた変化はそのように大きいからである。実際、聖母はポルトガルを救うことを望んでおられるのだ。」注45)
政治的および社会的な改革
そこにはまた、カトリック社会諸原理と一致した政治的および社会的改革の奇跡もありました。1931年の奉献のすぐ後に一人のカトリック教徒の指導者がポルトガルにおいて権力の座につきました。カトリック反革命計画を正式に開始したアントニオ・サラザールです。彼はできる限り、そこで政府の諸法律と社会諸制度がキリストの律法、キリストの福音そしてキリストの教会と調和されている一つのカトリック的な社会秩序を創ろうと努力しました。注46)社会主義と自由主義の猛烈な反対者として、彼は「家庭の重要性を低めあるいは家庭を解体するあらゆること」に反対しました。注47)
平和の奇跡
これらの驚くべき宗教的および政治的な変化に加えて、二重の平和の奇跡がありました。ポルトガルは共産主義の恐怖から、特に隣りで荒れ狂った(1936-39年)スペイン市民戦争から守られました。そしてポルトガルはまた第二次世界大戦の荒廃からも逃れました。
スペイン市民戦争に関しては、ポルトガルの司教たちは1936年に、もし聖母がポルトガルを守ってくださるならば、彼らはマリアの汚れなき御心への国家の奉献を更新することによって彼らの感謝を表明すると誓いました。彼らの言葉に忠実に、1938年5月13日に彼らは聖母の守護に感謝して聖母の汚れなき御心へのポルトガルの奉献を更新しました。セレイェイラ枢機卿は公衆の面前でこう認められました:「ファチマの聖母が1917年に御出現になって以来...神の特別の祝福がポルトガルの地に下りました...特に、もしわれわれがわれわれの誓約以来過ぎ去った2年間を回顧するならば、神の見えざる御手がポルトガルを、戦争の災難と無神論的共産主義のライ病から免れさせて、守ってくださったことを認めないわけにはいきません。」
教皇ピオ十二世さえ、ポルトガルがスペイン市民戦争と共産主義の脅威を免れたことに驚きを表明されました。ポルトガルの人々への挨拶の中で、教皇は「そのように脅威的でそのようにあなたがたに近かった、そしてにもかかわらずそのように思いがけない仕方で避けられた赤の危険」について話されました。注48)
ポルトガルの人々はこの最初の危険を無傷のままに過ごしましたが、しかし直ちに二番目に彼らの面前ににらみつけるものがありました。第二次世界大戦が勃発しようとしていました。1917年7月13日の童貞聖母マリアの預言のなおもう一つの実現において、「ある未知の光によって照らされた一夜...」(1938年1月25-26日)に引き続く「ピオ十一世の在位の時に」戦争が始まったのでした。
1939年2月6日、宣戦布告の7ヶ月前に、シスター・ルチアは彼女の司教モンセニョール・ダ・シルヴァに手紙を書きました。彼女は彼に戦争が差し迫っていると告げました。しかしそのとき一つの奇跡的な約束について話しました。彼女は言いました:「この恐るべき戦争において、ポルトガルは司教様たちによってなされたマリアの汚れなき御心への国家の奉献のゆえに[戦争から]逃れるでしょう。」
そしてポルトガルは戦争の諸々の恐怖を免れたのです。その詳細はここで詳しく述べるには余りにも数が多すぎます。注50)さらに驚くべきことには、シスター・ルチアは1940年12月2日に、もし司教たちが彼らの国々をマリアの汚れなき御心に奉献していたならば、他の国々が受けたであろう戦争の間の特別の保護をポルトガルが受けていたということを彼に告げるために、教皇ピオ十二世に手紙を書きました。彼女はこう書きました:「教皇様、聖母はポルトガルの高位聖職者たちによるマリアの汚れなき御心へのこの国の奉献のゆえに、この戦争において私たちの国に特別の保護を約束しておられます。他の国々ももし聖母に自分たちを奉献したならば与えられたであろう諸々の恩寵の証拠としてです。」注51)
同様に、ポルトガルのセレイェイラ枢機卿はこの時期の間聖母がポルトガルのために得られた大きな恩寵をファチマの聖母に帰することを躊躇されませんでした。1942年5月13日に彼はこう言われました:「ここで25年の間に起こってきたことを表現するためにポルトガルの語彙はただ一つの言葉しか持っていません:それは奇跡という言葉です。そうです、われわれはポルトガルのすばらしい変化をいとも聖なる童貞聖母マリアの保護に負っていると確信しています。」注53)
セレイェイラ枢機卿はわれわれがここで主張していることを主張されたのです:すなわち、聖母がポルトガルのために、その国の1931年の奉献に対する天からの報酬として得られた奇跡的な諸々の祝福は、ひとたびロシアがまた聖母の汚れなき御心に適切に奉献されるならば、聖母が全世界のためになされるであろうものの前兆にしかすぎないということです。注53)枢機卿が言われたように:「ポルトガルにおいて起こったことは奇跡を宣言しています。そしてそれはマリアの汚れなき御心が世界のために準備なさったことを予示しています。注54)
平和について聖書は何と言っているか?
聖書はわれわれに人類がもはや戦争をしない時が来るであろうと告げています。旧約聖書において預言者たちはわれわれに人類が彼らの剣をすきの刃先に変えるであろうと告げています。すなわち、彼らは、ミサイル、戦車、爆弾、銃、そして生物兵器のような戦争の諸々の道具をリサイクルして、それらを食物を生産する道具に変えるであろうということです。
聖書はまたわれわれにこう告げています:獅子は子羊と共に横たわるであろう。そして子羊は傷つけられることはないであろう。子どもはその手を毒蛇の巣の中に入れるであろう。そしてその子どもは傷つけられないであろう、と。
平和は、聖トマスと聖アウグスティヌスがわれわれに告げているように、秩序の静けさです。神は、われわれが世界中あまねくこの静けさを持つであろう時が人類の歴史において来るであろうことを約束なさいました。われわれはまさに今その預言を成就しようとしています - そしてそれは神が御自分の聖なる御母を通じてファチマでわれわれにお与えになったメッセージです。われわれは今世界的な真の平和のための処方箋を持っているのです。
(42) The Whole Truth About Fatima - Volume II, pp. 463-464.
(43) Ibid.
(44) Sister Lucy’s words cited from The Whole Truth About Fatima -Volume II, pp. 462-465. See also Sister Lucy’s Memorias e Cartas da Irma Lucia, pp. 463-465.
(45) Collective Pastoral Letter for the Jubilee of the Apparitions in 1942, Fatima, merveille du XX e siècle, p. 338. Cited from The Whole Truth About Fatima -Volume II, p. 410.
(46) Salazar’s influence in the Portuguese government had been growing since 1928. He becamePresident of the Council in 1933. Later, Salazar received for his efforts the praise and blessing of PopePius XII. Pius said, “I bless him with all my heart, and I cherish the most ardent desire that he be ableto complete successfully his work of national restoration, both spiritual and material.” Cited from The Whole Truth About Fatima - Volume II, p. 412.
(47) Ibid., p. 415 (Salazar’s own words).
(48) Ibid., p.422.
(49) Ibid., p. 428.
(50) See The Whole Truth About Fatima - Volume II, pp. 369-439.
(51) Ibid., p. 428.
(52) Ibid., p. 405. Cardinal Cerejeira spoke these words during the 1942 Jubileecelebration of the Fatima apparitions.
(53) We trust the word of a Fatima believer such as CardinalCerejeira, rather than a Fatima debunker.
(54) Cardinal Cerejeira, Preface to Jacinta (1942), Obras Pastorais, Volume II, p. 333. Cf. also his homily of May 13, 1942, Fatima, merveille du XXe siècle
, p.339. Cited from The Whole Truth About Fatima - Volume II, p. 437.
(54a) cf. Sir Winston Churchill, The Second World War, Vol. 4, p. 33.
(54b) Letter of May 4, 1943, Documentos de Fatima, (Porto,1976) pp. 446-447; see also The Whole Truth About Fatima – Volume III, pp. 18-21 (letters of Sister Lucy of February 28 and May 4).
ファチマの聖母の御出現をご存知の方は一定数おられると思いますが、トゥイにおいてもシスター・ルチアに御出現なされた事実までご存知の方はそれほど多くないのではないでしょうか。
しかし、トゥイにおける御出現とそのメッセージを知ることにより、ファチマの聖母が3名の牧童にしめされた人類に対する警告の重さとその真実性が、なお、わかるのではないでしょうか。
ややもすると、自分のことを中心に書かれるブログサイトが多いなかで(無論、それを否定するものではありません)そこに気づかさせていただける真面目で素晴らしいサイトだと思います。
本サイトが今後どのような展開をみせるか、期待したいです。
デオ・グラシアス!
アウグスチノさん こんにちは!
ファチマの聖母の御出現は 正式に聖座から認められていますものね。
マリア様がルチアを通して与えて下さったお話しは、御出現からちょうど100年たった今も 深く黙想して学ぶべきことばかりと思います。
日本ではまだまだ ファチマの聖母のことが本当には知られていないようですね。アウグスチノさんのおっしゃられるように、トゥイにおける御出現の意味が もっと広く知られるようになり、聖マリアの汚れなき御心の愛が 日本の方たちにもっと 伝わり広まりますように!
ファチマの聖母我等のために祈り給え!ロザリオの聖母我等のために祈り給え!