6月13日は、ファチマの第2回目の御出現で聖母の汚れなき御心のヴィジョンを示された日、またトゥイでの御出現の記念日です。
ピーター・チョジノフスキー、PH.D.
以下は「トゥイの聖なるイコン」からの編集された抜粋です。
余りにもしばしばファチマは多くの信心の中の一つの信心となっています。私たちは余りにもしばしばファチマがその強烈さとその必然性を失っているということを見ます。
しかしもちろん、これは聖母の責任ではありません。これはシスター・ルチアの責任ではありません。実際、皆さんが御出現そのものをご覧になるとき、皆さんが聖母とわれらの主から私たちが受けたメッセージをご覧になるとき、まさにここトゥイにおいてさえ、そしてリアンジョにおいて、私たちはファチマの諸々の信心に付随している、初土曜日の信心に付随している、ロシアの奉献に付随している、義務のしるしがあるということを見るのです。
私は、皆さんがファチマのトピックを研究なさるとき、皆さんは私たちが単に一つの信心を扱っているのではなくて、一つの義務を扱っているのだということを見ていると、最初に強調したいと思います。私はそれをまた最後にも強調するつもりです。
私たちはシスター・ルチアが、トゥイからちょうど数マイル下ったポンテヴェドラで受けた御出現を見るとき一つの非常に深い仕方でこのことが示されているのを予見します。皆さんたちは彼女の相談相手への手紙から、彼女があの幻視が含意していることを記述しているのを見ます。
これは彼女が言っていることです - ここにポンテヴェドラでの啓示の主題があります -
われらの主は御自分のいとも聖なる御母に対してなされている諸々の罪に対して心から怒っておられる、
そしてわれらの主はそれらをもはや許容することがお出来にならない、
これらの罪のために、御子のいとも愛すべき御心に対してそのように多く苦しみを引き起こした諸々の侮辱と冒涜のために、多くの霊魂は地獄へと堕ち、そして多くの他のものは滅びる危険に曝されている。
われらの主はこの信心が実践される程度に従って、そしてマリアの汚れなき御心に対して償いをする意向をもつ程度に従って、彼らを救うと約束なさっています。
私たちはここに非常に厳しいあるものを見ます - 私たちは聖母が天の元后として、教会の御母として、神の御母として、客観的である、尊敬されなければならないある種の尊厳を持っておられるということを示しておられるわれらの主を見ます。
私たちは聖母に敬意を捧げる義務があります。私たちはそれに応じて相応しく聖母に対して行動する義務があります。私たちは聖母を元后そして御母として尊敬する義務があります。
ここで私たちは一つの義務を持っています。
その義務はここでは聖母が尊敬されるべきように聖母を尊敬しない人々に対する大きな罰の脅威によって特徴づけられています。
聖母を冒涜する人々のため、神の御母としての聖母の地位を無視する人々のため、聖母の像や画像を冒涜する人々のために、このことのすべてに対して重大な諸結果があります。われらの主は多くの者がすでに地獄に堕ちたとさえ言っておられます。聖母は多くの者が彼らがしたことのために - 彼らが犯した諸々の冒涜のために - すでに地獄に堕ちた、と言っておられます。これらは厳粛な言葉です。
直ちに私たちはそこにはファチマについての何かあるものがある、人類に実行の義務があるポンテヴェドラとトゥイでの御出現があるということを見ます。それらは何でしょうか?実行の義務あるものは何でしょうか?
確かにポンテヴェドラで私たちは聖母に対する尊敬が全人類に実行の義務あるものであるということを見出します。そして聖母はこれらの霊魂が地獄から救われることができるためには、冒涜した人々のために償いがなされなければならないと言っておられます。
1926年7月16日にシスター・ルチアがドロテア会修道女の修道服を受けるためにここトゥイで修練女見習い期間のためにポンテヴェドラを去ったとき、彼女は初金曜日に償いのこれらの信心を実践し、そしてまた他の人々にこれらの信心について話すようにという聖母によって彼女に与えられた彼女の使命を忘れませんでした。
1929年以前の数年間彼女はここトゥイにあったイエズス会の家にこれらの信心について話すことができました。彼らはそれらの信心を実践し始めました。また修道院に集まった家族の小さなグループにも話し、彼らはこれらの信心を実践し始めました。しかし彼女は再び義務のこの局面を常に知っていました。シスター・ルチアは自分がこれらの信心を広める義務を持っていることを常に知っていました。彼女はマリアの汚れなき御心に対する信心を広める義務を持っていました。
単にマリアの汚れなき御心に対する信心ばかりでなく、またシスター・ルチアは聖マルガリタ・マリアによって主張された信心、すなわち聖心に対する信心の忠実な実践者でした。
実際、1929年6月13日、それが毎週の彼女の慣行であったように、木曜日の夕刻から金曜日の夜、11時から12時までのトゥイでの幻視の夜のことでした。彼女は聖マルガリタ・マリアによって主張された聖心に対する信心を行っていたのでした。
私たちはシスター・ルチアがまさにこの町であの夜に彼女に起こったことについて一つの説明を与えているのをここに見ます。その説明は何でしょうか?
以下は彼女が言っていることです。そして私たちは皆おののきます:
「夜独りで(聖時間のために)聖堂の真ん中の聖体拝領台の前で跪き、天使の祈りをひれ伏して唱えました。疲れを感じて、立ち上がり、跪きました。そして腕を十字架の形に伸ばして祈りを続けました。唯一の光は聖櫃からの光でした。 突然ある超自然的な光が聖堂全体を照らしました。そして祭壇の上に天井まで届く一つの光の十字架が現れました。十字架の上の部分、いっそう明るい部分に一人の人のお顔と胸から上のお身体を見ることができました。その方の胸の上には同じように光り輝く一羽の鳩がいました。そして十字架に釘づけにされて、他のお方の身体がありました。その少し下に、空中にカリスと大きなホスチアがかかっており、それらの上には十字架に付けられたお方の顔とそのお胸の傷から数滴の血が滴り落ちていました。これらの血の滴はホスチアの上を流れくだり、カリスの中へ落ちていました。十字架の右側下方に、汚れなき御心をその手にされた聖母がいらっしゃいました。」
(シスター・ルチアはそれが汚れなき御心をその手にされたファチマの聖母であったと言っています - そしてここでそれは「剣の突き刺さった、あるいはバラに取り囲まれた御心ではなく、茨に取り囲まれ炎の冠のついた御心でした」と証言しています。このことは後に非常に重要なものとなるでしょう。)
それゆえ、十字架の右側下方に聖母がおられます。皆さんは聖三位一体、御父、十字架上の御子そして御父の胸のところに聖霊、の荘厳な描写を見ます。
皆さんは十字架の右側下方に聖母を見ます。そして聖母の近くにはカリスとホスチアがあります。そしてわれらの主から、十字架につけられたキリストから血の滴がホスチアの上を流れくだり、それからカリスの中へ落ちています。これがこれまでのイメージです。
これがこれまでの幻視、聖堂全体を照らしたこの光輝く幻視です。次に彼女はこう言いました:
「(十字架の)左側下方には何か大きな文字があり、あたかも祭壇の上に流れ落ちる水晶のきれいな水のようでしたが、『恩寵と憐れみ』という言葉を形作っていました。」
それゆえそれは十字架の左側から来ていました。そこには、完全に透明な洗礼の水のようにあたかもそれが水晶のきれいな水であるかのように、これらの水晶のようにきれいな『恩寵と憐れみ』という文字が流れ降っていました。
これがトゥイの幻視です。そこには現前するこの謙遜があります。シスター・ルチアはこう言っています:「私はそれが、私に示された至聖三位一体の神秘であるということ、そして私が明かすことを許されていないこの神秘についての光を受けたということを理解しました。」
それゆえそれが御出現でした。私はメッセージを論じる前にここでただ一つの点を明らかにしたいと思います。
信仰、カトリック信仰の本質的な事柄についての何という完全な描写であることでしょう。
聖三位一体からミサの聖なる犠牲に対する贖罪的な行為に至るまでの何という完全な描写であることでしょう。神が人間に信じることをお求めになったすべての事柄、神が人間になすことをお求めになったすべての事柄がその御出現のうちに現前しています。
次にシスター・ルチアは世界中を走り抜け、世界中に一つの地震を創り出すであろうメッセージを話します。シスター・ルチアはこう言います:「それから、聖母が私にこうおっしゃいました」:
「神が教皇に、この手段によって救うことを約束なさりながら、世界の全司教と一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするようにお求めになる時が来ました。」
第二の要求はこれです。それは異なっているように見えます。それはあたかも異質のものであるかのように見えます。しかし第二の要求は完全に第一の要求の一部です。それら二つの要求は相伴うものです。
第二の要求は何でしょうか?聖母はこう言っておられます:
「私に対して犯される罪のために神の正義が断罪する霊魂たちがあまりにも多いので、私は償いを求めるために来ました。この意向のためにあなた自身を犠牲にし、祈りなさい。」
それゆえ私たちは二つの要点を持っています。私たちは二つの要求を持っています。
それら二つの要求はどのように相伴うのでしょうか?ロシアの奉献となされなければならないこれらの償いの行為とはどのように相伴うのでしょうか?
そうですね、シスター・ルチアは1930年に彼女の聴罪司祭に書いた手紙の中で私たちに告げています。彼女はこう言っています。
「よき主は、もし教皇様御自身が、世界のすべての司教様方に同じことをするようにお命じになると共に、イエズスの聖心とマリアの御心に対する償いの荘厳な行為とロシアの奉献をなさるならば、ロシアの迫害を終わらせると約束なさっています。教皇様はそのときこの迫害が終結すればすでに述べた償いの信心の実践を承認し推奨するということを約束なさらなければなりません。」
それゆえ、ロシアが奉献された後、迫害が終わった後、次に教皇は償いのこの信心、つまり、五回の初土曜日、マリアの汚れなき御心に対する信心、そして罪の償いの行為としての初土曜日の信心を推奨しなければなりません。
聖母はここで断定的にこう言っておられます:「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。」
これがメッセージです。これがイメージです。これがトゥイのイコンです。
ピーター・チョジノフスキー、PH.D.
以下は「トゥイの聖なるイコン」からの編集された抜粋です。
余りにもしばしばファチマは多くの信心の中の一つの信心となっています。私たちは余りにもしばしばファチマがその強烈さとその必然性を失っているということを見ます。
しかしもちろん、これは聖母の責任ではありません。これはシスター・ルチアの責任ではありません。実際、皆さんが御出現そのものをご覧になるとき、皆さんが聖母とわれらの主から私たちが受けたメッセージをご覧になるとき、まさにここトゥイにおいてさえ、そしてリアンジョにおいて、私たちはファチマの諸々の信心に付随している、初土曜日の信心に付随している、ロシアの奉献に付随している、義務のしるしがあるということを見るのです。
私は、皆さんがファチマのトピックを研究なさるとき、皆さんは私たちが単に一つの信心を扱っているのではなくて、一つの義務を扱っているのだということを見ていると、最初に強調したいと思います。私はそれをまた最後にも強調するつもりです。
私たちはシスター・ルチアが、トゥイからちょうど数マイル下ったポンテヴェドラで受けた御出現を見るとき一つの非常に深い仕方でこのことが示されているのを予見します。皆さんたちは彼女の相談相手への手紙から、彼女があの幻視が含意していることを記述しているのを見ます。
これは彼女が言っていることです - ここにポンテヴェドラでの啓示の主題があります -
われらの主は御自分のいとも聖なる御母に対してなされている諸々の罪に対して心から怒っておられる、
そしてわれらの主はそれらをもはや許容することがお出来にならない、
これらの罪のために、御子のいとも愛すべき御心に対してそのように多く苦しみを引き起こした諸々の侮辱と冒涜のために、多くの霊魂は地獄へと堕ち、そして多くの他のものは滅びる危険に曝されている。
われらの主はこの信心が実践される程度に従って、そしてマリアの汚れなき御心に対して償いをする意向をもつ程度に従って、彼らを救うと約束なさっています。
私たちはここに非常に厳しいあるものを見ます - 私たちは聖母が天の元后として、教会の御母として、神の御母として、客観的である、尊敬されなければならないある種の尊厳を持っておられるということを示しておられるわれらの主を見ます。
私たちは聖母に敬意を捧げる義務があります。私たちはそれに応じて相応しく聖母に対して行動する義務があります。私たちは聖母を元后そして御母として尊敬する義務があります。
ここで私たちは一つの義務を持っています。
その義務はここでは聖母が尊敬されるべきように聖母を尊敬しない人々に対する大きな罰の脅威によって特徴づけられています。
聖母を冒涜する人々のため、神の御母としての聖母の地位を無視する人々のため、聖母の像や画像を冒涜する人々のために、このことのすべてに対して重大な諸結果があります。われらの主は多くの者がすでに地獄に堕ちたとさえ言っておられます。聖母は多くの者が彼らがしたことのために - 彼らが犯した諸々の冒涜のために - すでに地獄に堕ちた、と言っておられます。これらは厳粛な言葉です。
直ちに私たちはそこにはファチマについての何かあるものがある、人類に実行の義務があるポンテヴェドラとトゥイでの御出現があるということを見ます。それらは何でしょうか?実行の義務あるものは何でしょうか?
確かにポンテヴェドラで私たちは聖母に対する尊敬が全人類に実行の義務あるものであるということを見出します。そして聖母はこれらの霊魂が地獄から救われることができるためには、冒涜した人々のために償いがなされなければならないと言っておられます。
1926年7月16日にシスター・ルチアがドロテア会修道女の修道服を受けるためにここトゥイで修練女見習い期間のためにポンテヴェドラを去ったとき、彼女は初金曜日に償いのこれらの信心を実践し、そしてまた他の人々にこれらの信心について話すようにという聖母によって彼女に与えられた彼女の使命を忘れませんでした。
1929年以前の数年間彼女はここトゥイにあったイエズス会の家にこれらの信心について話すことができました。彼らはそれらの信心を実践し始めました。また修道院に集まった家族の小さなグループにも話し、彼らはこれらの信心を実践し始めました。しかし彼女は再び義務のこの局面を常に知っていました。シスター・ルチアは自分がこれらの信心を広める義務を持っていることを常に知っていました。彼女はマリアの汚れなき御心に対する信心を広める義務を持っていました。
単にマリアの汚れなき御心に対する信心ばかりでなく、またシスター・ルチアは聖マルガリタ・マリアによって主張された信心、すなわち聖心に対する信心の忠実な実践者でした。
実際、1929年6月13日、それが毎週の彼女の慣行であったように、木曜日の夕刻から金曜日の夜、11時から12時までのトゥイでの幻視の夜のことでした。彼女は聖マルガリタ・マリアによって主張された聖心に対する信心を行っていたのでした。
私たちはシスター・ルチアがまさにこの町であの夜に彼女に起こったことについて一つの説明を与えているのをここに見ます。その説明は何でしょうか?
以下は彼女が言っていることです。そして私たちは皆おののきます:
「夜独りで(聖時間のために)聖堂の真ん中の聖体拝領台の前で跪き、天使の祈りをひれ伏して唱えました。疲れを感じて、立ち上がり、跪きました。そして腕を十字架の形に伸ばして祈りを続けました。唯一の光は聖櫃からの光でした。 突然ある超自然的な光が聖堂全体を照らしました。そして祭壇の上に天井まで届く一つの光の十字架が現れました。十字架の上の部分、いっそう明るい部分に一人の人のお顔と胸から上のお身体を見ることができました。その方の胸の上には同じように光り輝く一羽の鳩がいました。そして十字架に釘づけにされて、他のお方の身体がありました。その少し下に、空中にカリスと大きなホスチアがかかっており、それらの上には十字架に付けられたお方の顔とそのお胸の傷から数滴の血が滴り落ちていました。これらの血の滴はホスチアの上を流れくだり、カリスの中へ落ちていました。十字架の右側下方に、汚れなき御心をその手にされた聖母がいらっしゃいました。」
(シスター・ルチアはそれが汚れなき御心をその手にされたファチマの聖母であったと言っています - そしてここでそれは「剣の突き刺さった、あるいはバラに取り囲まれた御心ではなく、茨に取り囲まれ炎の冠のついた御心でした」と証言しています。このことは後に非常に重要なものとなるでしょう。)
それゆえ、十字架の右側下方に聖母がおられます。皆さんは聖三位一体、御父、十字架上の御子そして御父の胸のところに聖霊、の荘厳な描写を見ます。
皆さんは十字架の右側下方に聖母を見ます。そして聖母の近くにはカリスとホスチアがあります。そしてわれらの主から、十字架につけられたキリストから血の滴がホスチアの上を流れくだり、それからカリスの中へ落ちています。これがこれまでのイメージです。
これがこれまでの幻視、聖堂全体を照らしたこの光輝く幻視です。次に彼女はこう言いました:
「(十字架の)左側下方には何か大きな文字があり、あたかも祭壇の上に流れ落ちる水晶のきれいな水のようでしたが、『恩寵と憐れみ』という言葉を形作っていました。」
それゆえそれは十字架の左側から来ていました。そこには、完全に透明な洗礼の水のようにあたかもそれが水晶のきれいな水であるかのように、これらの水晶のようにきれいな『恩寵と憐れみ』という文字が流れ降っていました。
これがトゥイの幻視です。そこには現前するこの謙遜があります。シスター・ルチアはこう言っています:「私はそれが、私に示された至聖三位一体の神秘であるということ、そして私が明かすことを許されていないこの神秘についての光を受けたということを理解しました。」
それゆえそれが御出現でした。私はメッセージを論じる前にここでただ一つの点を明らかにしたいと思います。
信仰、カトリック信仰の本質的な事柄についての何という完全な描写であることでしょう。
聖三位一体からミサの聖なる犠牲に対する贖罪的な行為に至るまでの何という完全な描写であることでしょう。神が人間に信じることをお求めになったすべての事柄、神が人間になすことをお求めになったすべての事柄がその御出現のうちに現前しています。
次にシスター・ルチアは世界中を走り抜け、世界中に一つの地震を創り出すであろうメッセージを話します。シスター・ルチアはこう言います:「それから、聖母が私にこうおっしゃいました」:
「神が教皇に、この手段によって救うことを約束なさりながら、世界の全司教と一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするようにお求めになる時が来ました。」
第二の要求はこれです。それは異なっているように見えます。それはあたかも異質のものであるかのように見えます。しかし第二の要求は完全に第一の要求の一部です。それら二つの要求は相伴うものです。
第二の要求は何でしょうか?聖母はこう言っておられます:
「私に対して犯される罪のために神の正義が断罪する霊魂たちがあまりにも多いので、私は償いを求めるために来ました。この意向のためにあなた自身を犠牲にし、祈りなさい。」
それゆえ私たちは二つの要点を持っています。私たちは二つの要求を持っています。
それら二つの要求はどのように相伴うのでしょうか?ロシアの奉献となされなければならないこれらの償いの行為とはどのように相伴うのでしょうか?
そうですね、シスター・ルチアは1930年に彼女の聴罪司祭に書いた手紙の中で私たちに告げています。彼女はこう言っています。
「よき主は、もし教皇様御自身が、世界のすべての司教様方に同じことをするようにお命じになると共に、イエズスの聖心とマリアの御心に対する償いの荘厳な行為とロシアの奉献をなさるならば、ロシアの迫害を終わらせると約束なさっています。教皇様はそのときこの迫害が終結すればすでに述べた償いの信心の実践を承認し推奨するということを約束なさらなければなりません。」
それゆえ、ロシアが奉献された後、迫害が終わった後、次に教皇は償いのこの信心、つまり、五回の初土曜日、マリアの汚れなき御心に対する信心、そして罪の償いの行為としての初土曜日の信心を推奨しなければなりません。
聖母はここで断定的にこう言っておられます:「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。」
これがメッセージです。これがイメージです。これがトゥイのイコンです。
ファチマの聖母の会の皆様、こんばんは。
すばらしいブログをありがとうございます。
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これからのますますのご活躍をお祈り申し上げております。
お母さんのお腹の中にいる赤ちゃんの命が守られるように祈ります。
ペトロさん、はじめまして!
今日はペトロさんの霊名の祝日ですね、おめでとうございます。
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お母さんのお腹の中にいるすべての赤ちゃんの命が大切にされて、守られますようにお祈りしていきましょう。良かったら是非 マーチフォーライフに参加してくださいね。