ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  I. ご出現の前 7. ルシアの家族

2017年09月13日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

I. 御出現の前


ルシアの家


7. ルシアの家族

そのような離脱の時はまれでした。司教様はもうご存じの通り、私は、隣人たちから私たちに委託された子供たちの世話をしなければなりませんでした。この他にも、母は看護婦としてたくさんのことを求められていました。たいしたことのない病気の場合、病気の人々は私たちの家に来て母のアドバイスを求めました。しかし病人が外に出ることができないときには、今度は彼らに母に自分たちの家に来てほしいと頼まれました。母は病人の家で昼間を何日も過ごし、時には夜も過ごしました。病気が長引いた場合、或いは病人の状態がそれを必要としたなら、母は時折姉たちを送って病人の寝台の傍らで夜を過ごすように命じました。それは病人の家族に休むチャンスを与えるためでした。病人が若い家族の母親である場合には、或いは、子供たちの騒がしさを耐えることができない人の場合、母は幼子たちを私たちの家に連れてきて私がその世話をするように命じました。私は子供たちと遊び、どうやって機織りの糸を準備するか教えたりしました。子供たちは木の糸巻きを回転させて、それに糸を玉状に巻いて、それをかせに巻き取り、枠に縦糸が準備されるように糸の玉を導きました。

こうして、私たちにはいつもやることが一杯ありました。普通、私たちの家には、機織りや服を作るのを習いに来た数名の女の子たちが働いていました。通常は、これらの女の子たちは私たちの家族に大きな愛情を示し、自分たちの人生で最高の日々が私たちの家で過ごした日だったとよく言ってくれました。一年のある決まったときには、姉たちは日中に畑仕事に出なければなりませんでした。そこで姉たちは、機織りや縫い付けを夜しました。夕食の後、父が祈りの先唱をして夕の祈りがあり、それから仕事が始まりました。

誰もが何かをしなければなりませんでした。姉のマリアは機織り仕事に行き、父は糸巻きを一杯にして、テレサとグロリアは裁縫に行きました。母は回転糸巻きを取り、カロリナと私とは、台所をきれいにかたづけた後、裁縫の手伝いをしなければなりませんでした。仮縫いを取り、ボタンを縫う、などなどです。うとうとするのを遠ざけるために兄はアコーディオンを弾き、私たちは様々な種類の歌をそれに合わせて歌いました。しばしば隣人たちも私たちと一緒にいるために家に来ました。これは彼らの睡眠時間がなくなるということを意味していましたが、私たちの陽気な音楽が自分たちの心配を無くさせてくれ、自分たちを幸せで満たすのだとよく私たちに言っていました。

私はいろいろな婦人たちが母に時々こう言うのを聞きました。
「あなたって、ほんとに幸せね!天主様があなたになんてすてきな子供たちを与えたんでしょう!」

トウモロコシを収穫するときが来ると、私たちはトウモロコシの皮を月明かりで見て取りました。私はトウモロコシの積まれた山のてっぺんに座って、濃い赤の穂軸が現れたら、そこにいる人々に抱擁をするように選ばれていました。

(続く)

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