きぬかけの路沿いに立つ、石庭で有名な竜安寺。
以前は庭園や枯山水に興味が湧かなかったために、訪れることはなかったが一度見てみようと思う。
方丈内に入って靴を履き替える。
スリッパは大人用と子供用が用意されており子供用はミッフィーが描かれていて可愛い。
お寺で靴を脱いで入るという行為が何となく好き。
人の家にお邪魔するような、親近感にも似たような気持ちがしてドキドキする。
こういう感情って日本人独特のものなのだろうか。
外との境界がフラットで、土足でずかずか入る行為こそ親近感か。
薄暗い方丈を歩いていくと、石庭が姿を見せる。
噂には聞いていた竜安寺石庭。縁側に座って、有名な庭との対峙が始まった。
土塀に囲まれたモノクロの空間に配置された、いくつかの石。
それ以外には何もない。
これが「極端にまで抽象化された世界」と謳われた庭である。
石の数は十五個。しかし、同時にすべて数を見ることはできないという。
また、この庭園が何を現しているのかもよくわかっていない。
「虎の子渡し」や「七五三配置」などと呼ばれ、従来から様々な憶測がなされているが、定説はない。
もちろん私にその謎が解けるはずもない。
人の少ない朝の竜安寺。
縁側に座る者は私の他にあと2人ほど。
静けさがあたりを包んでいる。
時間を気にせずにじっくりと庭を見つめてみる。
ふと、「この庭、角度美人だな。」と思った。
庭全体を見渡すのではなく、自分が気に入った場所から気に入った石を見る。
ゆったりと流れる時間の中でその風景が生きているように、動いているように見えるようになった。
静けさの中にこそ枯山水の良さはあるのかもしれない。
たとえそれが抽象的なものでも。いや抽象的だからこそ根源的なものに気付かされるのかも。
庭の謎を解かなくたって石庭と仲良くなれた気がする。
本当は意味なんてないのかもしれない。