今日はもう少し踏み込んだところを書いていきたいと思います
また日記に衝撃的なお題をつけてしまいました。。。はっきり言って「こんなこと認められない」と思う日本人は沢山いると思います
日本神道の八百万の神々に「妖怪」がたくさんいると言われては、正直、あり得ないと思うのではないでしょうか?
ただ、「天狗」や「仙人」といった存在も「妖怪」の仲間と言われると、これは確かに数としては多いのかもしれません
書籍、「妖怪にならないための言葉」によると、妖怪の発生原因としては、歴史の中で滅ぼされた民族宗教の中に生きている存在が
いわゆる、あの世の「裏側」と呼ばれる世界に封じ込められ、「妖怪化する」のだといいます
そこで彼らの特徴を私なりに考えてみたのですが。。。
なぜ「裏側」に封じ込められるのか?それは、封じ込めた側である「表側」の立場を、「彼らが相容れないから」に他なりません
エマニュエル・スウェーデンボルグの霊界日記のようなものを読んだことがある人なら分かるかと思いますが
実は、人間の死後の世界である「霊界」では、「意見が対立し、相容れない者同士は、同じ空間に存在できない」という事になります
滅ぼした側と滅ぼされた側、通常その両者には心に遺恨が残るものですが、死後も遺恨が残っていた場合、同じ世界には住めなくなくなります
勝者はその後の歴史をつくりますので、これが「表側」となり、受け入れられず遺恨を残す者たちが「裏側」となるわけです
そして、私たちが普通に見落とすであろう観点が、ここにもう一つあります
それは、「実は日本霊界そのものが、第2次大戦後、裏側に封じ込められた可能性がある」という観点です
まあこれは少し極端な見方であるので、あくまで可能性として見ておいてください
では、負けた側が「裏側」に封じられることになる場合の条件とはいったい何でしょうか?
私が考えるに、その条件とは「和解ができない」ということであり「自らを振り返ることができない」ということであると思います
それに関連して、前回の日記でも書きましたが、聖徳太子が日本に仏教を入れて国教にした理由は
ずばり「日本神道には愛(慈悲)や反省などといった、普遍的な心の教えがない」からでした
霊界でも、「なぜ負けたのか?」「相手のどの点が優れていたのか?」「自分たちが間違っていた点はないのか?」
ということがきちんと反省されていれば、表側と裏側がこれほど隔絶することはないはずなのです
とすれば、やはり負けた側にも勝った側にも、自らを振り返り、相手と和解する心が欠けていた、と言えると思います
霊界では、犬猿の仲の相手とは、基本的に巡り合うことができないので、やはり数千年隔絶されてもおかしくはないのでしょう
こうしてみると、勝った側も負けた側も一堂に会することのできるこの世の世界は、実はとても貴重な世界だと言えるのです
人間の魂は通常6体の魂が一組になって、順番に生まれてくることで人生経験を共有するという「生まれ変わりの仕組み」があります
ですから、仮に前世において争った相手であっても、今世においては和解することもできるわけなのですが
残念ながら、今世生まれてくるときには前世の記憶がないのが普通なので、やはり個別の遺恨はどうしようもない部分もあるのかもしれません
上で書いたことは、妖怪の発生原因としてまだ本質をとらえていないのかもしれませんが
少なくとも、霊界の仕組みによって、表と裏が完全に隔絶されて、なかなか相手のことが見えないという現実がある
ということは推測できるのではないかと思います
まだまだ不完全な内容にすぎない我が日記ですが、今後も考察を深めていきたいと考えています
それではまた
また日記に衝撃的なお題をつけてしまいました。。。はっきり言って「こんなこと認められない」と思う日本人は沢山いると思います
日本神道の八百万の神々に「妖怪」がたくさんいると言われては、正直、あり得ないと思うのではないでしょうか?
ただ、「天狗」や「仙人」といった存在も「妖怪」の仲間と言われると、これは確かに数としては多いのかもしれません
書籍、「妖怪にならないための言葉」によると、妖怪の発生原因としては、歴史の中で滅ぼされた民族宗教の中に生きている存在が
いわゆる、あの世の「裏側」と呼ばれる世界に封じ込められ、「妖怪化する」のだといいます
そこで彼らの特徴を私なりに考えてみたのですが。。。
なぜ「裏側」に封じ込められるのか?それは、封じ込めた側である「表側」の立場を、「彼らが相容れないから」に他なりません
エマニュエル・スウェーデンボルグの霊界日記のようなものを読んだことがある人なら分かるかと思いますが
実は、人間の死後の世界である「霊界」では、「意見が対立し、相容れない者同士は、同じ空間に存在できない」という事になります
滅ぼした側と滅ぼされた側、通常その両者には心に遺恨が残るものですが、死後も遺恨が残っていた場合、同じ世界には住めなくなくなります
勝者はその後の歴史をつくりますので、これが「表側」となり、受け入れられず遺恨を残す者たちが「裏側」となるわけです
そして、私たちが普通に見落とすであろう観点が、ここにもう一つあります
それは、「実は日本霊界そのものが、第2次大戦後、裏側に封じ込められた可能性がある」という観点です
まあこれは少し極端な見方であるので、あくまで可能性として見ておいてください
では、負けた側が「裏側」に封じられることになる場合の条件とはいったい何でしょうか?
私が考えるに、その条件とは「和解ができない」ということであり「自らを振り返ることができない」ということであると思います
それに関連して、前回の日記でも書きましたが、聖徳太子が日本に仏教を入れて国教にした理由は
ずばり「日本神道には愛(慈悲)や反省などといった、普遍的な心の教えがない」からでした
霊界でも、「なぜ負けたのか?」「相手のどの点が優れていたのか?」「自分たちが間違っていた点はないのか?」
ということがきちんと反省されていれば、表側と裏側がこれほど隔絶することはないはずなのです
とすれば、やはり負けた側にも勝った側にも、自らを振り返り、相手と和解する心が欠けていた、と言えると思います
霊界では、犬猿の仲の相手とは、基本的に巡り合うことができないので、やはり数千年隔絶されてもおかしくはないのでしょう
こうしてみると、勝った側も負けた側も一堂に会することのできるこの世の世界は、実はとても貴重な世界だと言えるのです
人間の魂は通常6体の魂が一組になって、順番に生まれてくることで人生経験を共有するという「生まれ変わりの仕組み」があります
ですから、仮に前世において争った相手であっても、今世においては和解することもできるわけなのですが
残念ながら、今世生まれてくるときには前世の記憶がないのが普通なので、やはり個別の遺恨はどうしようもない部分もあるのかもしれません
上で書いたことは、妖怪の発生原因としてまだ本質をとらえていないのかもしれませんが
少なくとも、霊界の仕組みによって、表と裏が完全に隔絶されて、なかなか相手のことが見えないという現実がある
ということは推測できるのではないかと思います
まだまだ不完全な内容にすぎない我が日記ですが、今後も考察を深めていきたいと考えています
それではまた
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