もう少しだけ聖書にまつわることを書かせていただきます
2020年8月、当時のトランプ・アメリカ大統領は、中東諸国において「アブラハム合意」というものを結ぶことに成功しました
この「アブラハム合意」とは、UAE(アラブ首長国連邦)とイスラエルの間の和平合意(アブラハム和平協定合意)と
それに続いて、バーレーン、スーダン、モロッコなどがイスラエルと結んだ和平合意の総称です
当時、アブラハム合意はトランプ政権最大の外交成果と評価され、これにより、中東地域は平和に向けて大きく舵を切ったかに見えました
しかしながら、この合意は他ならぬイスラエルの契約違反によって、事実上反故(ほご)にされています
ここからは前回の日記の続きです
この「アブラハム合意」ですが、なぜ「アブラハム」の名が冠してあるのか、それをご存じでしょうか?
「アブラハム」の名が冠してある理由。。。それはね。。。
「アブラハムの時代までさかのぼれば、ユダヤ民族(ユダヤ人)とアラブ民族(アラブ人)は同種同族である」
という事なんですよ。。。これが旧約聖書に書かれている「事実」そのものなのです
ユダヤ人、アラブ人ともに同じく「アブラハム」という人物を始祖にもつ同族人種なのです
だから、「アブラハム合意」は、「アブラハムの時代にさかのぼって、兄弟として仲よくしよう」という意味なのです
ユダヤ人とアラブ人が分かれたのは、アブラハムの二人の兄弟によってです
1人は妾の子で長男のイシュマエル(アラビア語でイブラヒーム)で、この人がアラブ人の始祖となります
もう1人は正妻の子で次男のイサク(イスラエル)といい、この人がユダヤ人の始祖に当たります
イサクは別名イスラエルとも言いまして、ユダヤ人国家の国名となりました
このイサクですが、イスラエルという言葉は元々、「神に抗(あらが)うもの」という意味があります
まあ、神とケンカして勝った人物だという意味です。。。イスラは争うとか逆らうなどの意味があり、エルは神という意味です
この「イスラエル」という名前の意味が、後のユダヤ人の性格をよく象徴していて面白いと思いましたので、説明しておきます
要するにイサク(イスラエル)は、神に反抗するような性格で、正妻の子を鼻にかけているような人物像が浮かんできて
なんだか、創世記でバベルの塔を作った人々と、キャラクターがかぶるような気がするのは私だけでしょうか?
イサクには、やや現代で言うところの「エリート気質」的なものを感じます
アブラハムはこの二人の子供を授かるわけですが、聖書を読むと、「主なる神」は、この二人の子供をどちらも祝福しているのです
創世記17章8節
「わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」
創世記17章16節および17節
「神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻(正妻)サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。」
「わたしは彼女(サラ)を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子(イサク)を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう。」
創世記17章20節
「またイシュマエルについてはあなたの願いを聞いた。わたしは彼(イシュマエル)を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。」
ここで補足説明をしておくとイシュマエルの語源は、イシュマ(願いを聞き届ける)という意味、エルは神
つまり、神がイシュマエルの将来を心配するアブラハムの願いを聞き届けた、という意味です
ということで、「妾の子であるイシュマエルにも神による祝福があった」という意味になります
ここまでを前提として、以下少し、私なりの考察を入れておきます
旧約聖書を読んでいると、主なる神の言葉とされている内容に、矛盾が生じていることが多々あります
例えば、アブラハムの二人の子らは、主なる神に祝福を受けている「はず」であるのに
同じく聖書では、その子供を「生贄に差し出せ」と命じている個所もあります
有名な「イサクの燔祭(はんさい)」というものです(創世記22章)
まあそこは、アブラハムに対し、主なる神が「信仰の試しを与えた」とされていて、矛盾が生じないようにされてはいるわけですが
普通に考えて、神が人間の血肉を欲して生贄を要求するとか、これが主なる至高神であるとはちょっと信じられない部分があります
また、上記の創世記17章20節には、「イシュマエル」に12人の子を授ける、との記述があるわけですが
この12人の子は、実際には、アブラハムの後継者をイシュマエルから奪い取ったイサクの子供が12人であり
その12人(実際には10人の子供と2人の孫)が、有名なユダヤ十二支族の長となった。。。つまり族長として君臨した
とされています
これ、なんだか胡散臭いものが感じられるわけです。。。
本当は、長男であるイシュマエルの子供たちがそれぞれの王として君臨する予定であったものを、イサクが「神にさからって」後継者を奪い取った。。
とも見えるわけです。。。だから「イスラ(反抗する者・逆らう者・戦いの勝者)」の名が冠されているのかもしれませんね
最後に、私の見解を簡潔に申し上げておきますね
この旧約聖書には、おそらく「異物」がたくさん混入しています
愛深き主なる神の言葉と、それとは別のレプタリアン的な「力こそ正義」と考える何か別の存在の言葉
これらが、後世に大きな影響を与えていて、混乱を生じさせているわけです
同じ出自と系譜を持つ兄弟民族が、今はいがみ合い殺し合う。。。そんな悲しいことが、これ以上あってはならない
物事の本質はとても深いところにあり、表面的な見方だけでは分からないものがあります
それを読み解くこと、僭越ですが、そのために今この日記を書いています
それではまた
2020年8月、当時のトランプ・アメリカ大統領は、中東諸国において「アブラハム合意」というものを結ぶことに成功しました
この「アブラハム合意」とは、UAE(アラブ首長国連邦)とイスラエルの間の和平合意(アブラハム和平協定合意)と
それに続いて、バーレーン、スーダン、モロッコなどがイスラエルと結んだ和平合意の総称です
当時、アブラハム合意はトランプ政権最大の外交成果と評価され、これにより、中東地域は平和に向けて大きく舵を切ったかに見えました
しかしながら、この合意は他ならぬイスラエルの契約違反によって、事実上反故(ほご)にされています
ここからは前回の日記の続きです
この「アブラハム合意」ですが、なぜ「アブラハム」の名が冠してあるのか、それをご存じでしょうか?
「アブラハム」の名が冠してある理由。。。それはね。。。
「アブラハムの時代までさかのぼれば、ユダヤ民族(ユダヤ人)とアラブ民族(アラブ人)は同種同族である」
という事なんですよ。。。これが旧約聖書に書かれている「事実」そのものなのです
ユダヤ人、アラブ人ともに同じく「アブラハム」という人物を始祖にもつ同族人種なのです
だから、「アブラハム合意」は、「アブラハムの時代にさかのぼって、兄弟として仲よくしよう」という意味なのです
ユダヤ人とアラブ人が分かれたのは、アブラハムの二人の兄弟によってです
1人は妾の子で長男のイシュマエル(アラビア語でイブラヒーム)で、この人がアラブ人の始祖となります
もう1人は正妻の子で次男のイサク(イスラエル)といい、この人がユダヤ人の始祖に当たります
イサクは別名イスラエルとも言いまして、ユダヤ人国家の国名となりました
このイサクですが、イスラエルという言葉は元々、「神に抗(あらが)うもの」という意味があります
まあ、神とケンカして勝った人物だという意味です。。。イスラは争うとか逆らうなどの意味があり、エルは神という意味です
この「イスラエル」という名前の意味が、後のユダヤ人の性格をよく象徴していて面白いと思いましたので、説明しておきます
要するにイサク(イスラエル)は、神に反抗するような性格で、正妻の子を鼻にかけているような人物像が浮かんできて
なんだか、創世記でバベルの塔を作った人々と、キャラクターがかぶるような気がするのは私だけでしょうか?
イサクには、やや現代で言うところの「エリート気質」的なものを感じます
アブラハムはこの二人の子供を授かるわけですが、聖書を読むと、「主なる神」は、この二人の子供をどちらも祝福しているのです
創世記17章8節
「わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう」
創世記17章16節および17節
「神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻(正妻)サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。」
「わたしは彼女(サラ)を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子(イサク)を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう。」
創世記17章20節
「またイシュマエルについてはあなたの願いを聞いた。わたしは彼(イシュマエル)を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。」
ここで補足説明をしておくとイシュマエルの語源は、イシュマ(願いを聞き届ける)という意味、エルは神
つまり、神がイシュマエルの将来を心配するアブラハムの願いを聞き届けた、という意味です
ということで、「妾の子であるイシュマエルにも神による祝福があった」という意味になります
ここまでを前提として、以下少し、私なりの考察を入れておきます
旧約聖書を読んでいると、主なる神の言葉とされている内容に、矛盾が生じていることが多々あります
例えば、アブラハムの二人の子らは、主なる神に祝福を受けている「はず」であるのに
同じく聖書では、その子供を「生贄に差し出せ」と命じている個所もあります
有名な「イサクの燔祭(はんさい)」というものです(創世記22章)
まあそこは、アブラハムに対し、主なる神が「信仰の試しを与えた」とされていて、矛盾が生じないようにされてはいるわけですが
普通に考えて、神が人間の血肉を欲して生贄を要求するとか、これが主なる至高神であるとはちょっと信じられない部分があります
また、上記の創世記17章20節には、「イシュマエル」に12人の子を授ける、との記述があるわけですが
この12人の子は、実際には、アブラハムの後継者をイシュマエルから奪い取ったイサクの子供が12人であり
その12人(実際には10人の子供と2人の孫)が、有名なユダヤ十二支族の長となった。。。つまり族長として君臨した
とされています
これ、なんだか胡散臭いものが感じられるわけです。。。
本当は、長男であるイシュマエルの子供たちがそれぞれの王として君臨する予定であったものを、イサクが「神にさからって」後継者を奪い取った。。
とも見えるわけです。。。だから「イスラ(反抗する者・逆らう者・戦いの勝者)」の名が冠されているのかもしれませんね
最後に、私の見解を簡潔に申し上げておきますね
この旧約聖書には、おそらく「異物」がたくさん混入しています
愛深き主なる神の言葉と、それとは別のレプタリアン的な「力こそ正義」と考える何か別の存在の言葉
これらが、後世に大きな影響を与えていて、混乱を生じさせているわけです
同じ出自と系譜を持つ兄弟民族が、今はいがみ合い殺し合う。。。そんな悲しいことが、これ以上あってはならない
物事の本質はとても深いところにあり、表面的な見方だけでは分からないものがあります
それを読み解くこと、僭越ですが、そのために今この日記を書いています
それではまた
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