恵比寿映像祭2023「テクノロジー? Technology?」は、
東京都写真美術館や恵比寿ガーデンプレイス センター広場などで令和5年2月3日(金)~2月19日(日)に開催された映像とアートの国際フェスティヴァル 。
この中のプログラムの一つに「東京国際ろう映画祭―視覚の知性2023」がありまして、東京国際ろう映画祭で上映したことのある
牧原依里・雫境(DAKEI)《LISTEN リッスン》
深川勝三《たき火》
牧原依里《田中家》
八幡亜樹《TOTA》
の4作品を上映。
どれも観たかったんですが、以前からとても気になっていた八幡亜樹監督の《TOTA》を拝見!
八幡亜樹監督の《TOTA》
インド人の盲目の蝋燭職人と、日本人の聾の舞踏家を追ったロードムービー。二人がインドで出会い、共通の言葉も、また共有できる視覚・聴覚情報もない状況から、互いの存在を認識していく姿をとらえる。そこに生まれた二人だけの言語と空間から、コミュニケーションの根源を問う。
まずこの映像祭を観て回った時の感想として、「映画と映像って別物なんだな…」と実感しました。
見方がわからない。。わからないというか、能動性がとても必要であることに気づくまでに時間がかかった。時間がかかったっていうか終わってから気づいた。。
聾と盲でしかも外国だから共通の音声言語も持っていない主役2人がコミュニケーションに成功してるというのに、
僕はそれを見てても二人が何の話をしてるのかほとんど掴めなかった。。
僕はそれを見てても二人が何の話をしてるのかほとんど掴めなかった。。
「泊まる場所ない…」くらいはわかったけど他は実はほぼわかんなかったし、、正直「字幕つけてくんないとわかんな〜い」って思ってた。。
自分がいかに偉そうに映画を観てきたかを思い知らされた。。
環境音や音声言語、文字言語を浴びるのが当たり前になってて今作のようにそれがほぼない場合に全然取りに行けない。。観客としての甘えが酷い。。
監督のQ&Aを聞いて、能動的に自分もあの2人の輪の中にいる気で観ればもっと楽しかったと反省しました。
もっかい観たい。
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映像と映画の違いという点でいうと、
八幡監督は映像や芸術のフィールドで活躍されている方なので、最後のQ&Aの時に映画として質問される時にすごく戸惑われているのが印象的でした。
映画だと、あらかじめ大体こういう作品にしようとか、こういう作品にするためにこういう撮り方をしよう、これを伝えるためにこういう編集にしようという、意図をかなり入れ込まないと作品として成立させるのは、かなり難しい。
でもきっと映像ってのものは(僕もよく知りもしないのにこんなこと書くのもどうかと思いますが、、)、、監督自身もどうなるかわからないものを撮り進めていくし、正解なり確信があるわけでもない中で、監督自身も観客の一人として、「私はこの映像を見てどう感じるんだろう」と思いつつ、その並列として、観客はどう感じるか、聾者は…、視覚障害者は…、と。
映画も全部設計図通りに作るものではないしそうじゃないところから面白いものが出てくるだろうし観客のリアクションを完全に想定しているわけではないだろうけど、
映像の場合、もっとそれが未定のまま作品は作られて上映されるのかなと思いました。
「こういう風に見てね」「ここで泣いてね」「ここでカタルシス感じてね」というのがないから、普段作り手のそれに甘えてきた僕は正直ほとんどキャッチできなかった。。情けない。。
《TOTA》の登場人物の一人として、3人目になって一緒にコミュニケーションを取る苦労を体験すればよかったのに。
いやあもうほんとに面白い体験ができました!