FCC日記

子どもたちのクライミングスクールの活動記録と教育、スポーツ、そしてクライミングに関して想うこと。

発見力

2014-03-07 13:25:55 | 教育論
クライミングはムーブ(動き)の種類の組み立てです。
一つのルートを登りきるためには、多種多様な動きの種類を先ず目視によって想像し、次に実際に登っていく中で予想の動きと実際とのずれを調整しなおし、組みたてながら動いて行きます。
「核心」と呼ばれる課題の最難部分は得てして動きが読みにくく、「どうやって行くんだろう~」とクライマーは不安になります。
最難部分を突破するためには、体力はもちろん必要ですが、体力だけで突破できるものではありません

こうした問題を解決する場面に出くわした時にモノを言うのは、クライマーの持っている人間的な資質となります。
「どうにかして乗り越えてやる」という意志力、諦めずに「やり遂げたい」というやりぬく力、そして「こういうムーブはどうだろう」と思いつく発見力・・・。

これらの力は自分で人生の悪路を切り拓いていく時にも、同様に必要となるものばかりです。
物事は真剣に取り組めば、全てが地下の水脈で繋がっているのですね

こうした資質の中で、意外と伸ばしにくいのが「発見力」です。
クライミングの練習量とも比例するため、かなり登り込まないと特殊なムーブを自分で解明するレベルに達しないことも理由の一つですが、人間的資質として「柔軟な発想」を育てる、という点では、普段の生活が寄与する部分が大きいと思われます。

以下、高濱正伸氏著『わが子を「メシが食える大人」に育てる』という本で言及されている「発見力」について抜粋いたします。

発見力のような『見える力』は、小さいころからのドリル学習の積み重ねではけっして身につくものではありません。むしろ、五感を目いっぱい使って無我夢中に遊ぶ体験のほうが、まちがいなく効果があります。たとえば、木登りや鬼ごっこにしても、われを忘れて熱中しているときは、身体を動かしながらも全神経を集中させ、脳も活発に動いているはずです。ドリルに向き合っているときとは、まったく違う頭脳活動がそこにあります。
私は、そういった五感をフルに活動させたときの脳には、一種の「思考の型」のようなものができるのではないかと考えています。自分の身の危険も瞬時に判断するような本能的な思考とでもいえばいいのか、とにかく身体に染みついてしまう思考力です


今の教育は、頭脳のみを使う勉強だけが重要視され、身体や五感を活動して何かを感じたり考えたりすることがあまりに少ないと私も痛感しています。
クライミングの場合でも、登っている時の自分の身体感覚を上手くキャッチ出来ない場合が多々ありますし、危険と言うものが感知できない人達も非常に多い
これでは難解な動きを「発見」するのはおぼつかなくて当然ですね。
勉強、ゲーム・・・そうした身体性のない、バーチャルな世界のみでは、人間の能力がまるごと伸びるわけはない、と考えますが、いかがでしょうか

夏休みと心の成長

2013-07-26 11:48:34 | 教育論
いよいよ夏休み
海へ、山へ
学校生活主体のライフスタイルから離れて、普段は出来ない体験をするチャンス
この時間を大切に、ワクワクする体験をたくさんして、心のエネルギーをたっぷりと蓄えてほしいですね。

ヒトの成長は、まず心の成長だと思います。
力強い、のびやかな心
勉強が出来るかどうかよりも、まずはエネルギッシュな心を育てておくのが最優先ではないでしょうか。
力強い心は、「やるべき時」にきっちりとダッシュ出来る集中力と耐久力を持っています。

ワクワクしたり、ドキドキしたり、しんみりしたり、美しい自然に圧倒されたり・・・。
感動することは、この上ない心の栄養だと思います。
小説や映画でも感動は可能ですが、ある程度自由な時間のあるこの時期にこそ、
実体験させてあげたいものですね。

頭の成長を願い、夏休みは塾に通い詰めるケースもありがちですが、
お子さんの「心の疲労度」を注意深く観察する姿勢が必要かと思われます

子どもたちには、その年齢、その成長時期にしておきたいこと、もしくはしておかなくてはならないことがたくさんあります。
目先の「成績」にとらわれず、その時期その時期で何を身につけてあげるのが良いのかを、
長いスパンで見通しながら伴走してあげたいものですね


ピグマリオン効果とゴーレム効果

2012-11-28 13:43:21 | 教育論
日々生徒たちと向き合っていると、なかなか自分の思い通りにならない子どもたちにイライラすることも
大人の価値観では判断しきれない発育途上の子どもたち。
なかなか手ごわい相手です(笑)

ただ、子どもたちと格闘し、たまにはお尻をひっぱたいたり、大声で怒鳴ったりしながらもひとつだけ肝に銘じていることがあります。
それは、「子どもたちは必ず伸びる」と信じること。
人間は、信頼に応えようとする生き物である、と信じるからです。


アメリカの教育心理学者であるロバート・ローゼンタール博士による面白い研究成果があるそうです。
同じくらいの学力レベルの生徒たちを2つのグループに分け、特定の教師による同一カリキュラムのもと、一方のグループは「この生徒たちは必ず伸びる」と信じて授業を行い、もう一方のグループには「この生徒たちは絶対に伸びない」と信じて授業を行った場合、前者は成績が伸び、後者は伸びが認められなかった、というものです。
このように指導側が期待を込めて指導することによって良い結果が得られることを「ピグマリオン効果」、その逆の場合を「ゴーレム効果」と言います。

以前、定時制高校に勤めたことがありますが、その時の経験は貴重でした。

厳しい家庭環境の中で大人たちに見捨てられた生徒が多かった定時制高校。
授業のない空き時間には、授業を抜け出しては校庭の片隅の暗がりでタバコを吸いながらたむろする、生徒たちの見回りが欠かせない教員の役回りでした。
授業内容にも全くついて行けず、まさに「ゴーレム効果」の化身のようだった彼ら。

自分の授業も学年始めの夏休み前までは阿鼻叫喚。。。(笑)
1階の教室では、授業が始まってからぞろぞろと窓から「登校」してきたり、授業中もうろうろしたり出て行ったり。
校庭ではオートバイがブンブン唸り、廊下をスケートボードで滑走する。。。

でも出来る限りのケアをしながら、「やればできる」「お前のことを信じている」というメッセージを送り続けると、彼らは必ず応えてくれるんです
その学年の最後には、授業が始まる前には全員がテキストを机上に準備して着席し、授業中も盛んに質問が飛ぶように大変身
このように和気あいあいとしながらも内容に集中して授業が進むようになると、しめたものです。
「勉強が楽しい」と言ってくれる子が多くなり、生徒たちの成績も向上するようになります
これはまさに「ピグマリオン効果」だったのだ、と今にして思います。

信じるか、信じないか。
大人の側のほんのちょっとした心の差が、大きな差を生みます。
しんどかったけれど、大切な教員時代の経験の一つですから、これを大事に今後の指導に活かして行きたいですね

国体代表と受験生

2012-07-06 11:37:31 | 教育論
国体の山岳競技は現在フリークライミングのボルダリングとルートの2種目。
カテゴリーは成年男・女と少年男・女の4カテゴリーとなっている。

少年は中学3年から各都道府県の代表選手となることが出来、うちのスクールからも3人(うち一人は高校生)が代表となっている。
中学3年と言えば受験生。
当然、受験と代表選手としてのトレーニングを両方こなさなければならない。

先日、代表となっている一人の受験生のレッスンがあった。
彼女は昨年あたりから力を伸ばし始め、この春からはかなり順調にその力を伸ばしていた。
当然代表選考の競技会でも優勝し、代表となった。

代表となること、それは目標の達成ではない。到着点ではなく出発点である。
代表となり、強化を受ける、ということはそれだけ投資されているということで、責任が生ずる。
誠実にその責任を果たすために、精一杯の努力をしなければいけないよ、とは常々子どもたちに言っていることである。

真面目な彼女はその言葉を受けて、レッスンでも必死に頑張っていた。
多分それは、「強くなりたい」という彼女自身の望みでもあったからとも思う。
だが、近頃彼女のクライミングの調子は下降気味であった。
以前登れたルートもトップアウトすらできないことが何回か続いていた。
その日彼女は、渾身の力を込めて出来なくなっていたルートにリベンジし、完登した。
そして、下りてきてから泣いた。

レッスン時、私は彼女の涙の理由が分からなかった。
でも、レッスン後お父様から塾のスケジュールのお話を伺い、何となく涙の理由が分かった気がした。

受験とクライミング。
その両立は大変なことである。
多分それを上手く乗り越えるには、まず自分を良く理解することから始めなければなるまい。
何を最優先事項とするのか。今の自分に足りないことは何なのか。そのためには何をどう行っていけばよいのか。
混乱の中では何も進展しない。
整理整頓し、段取りを考え、戦略を考えて立ち向かって行くのが一番良く努力も出来、自分も納得できる方法ではなかろうか。
それはアスリートとしての心構えの練習でもある。
が、それは究極に難しい課題でもある。


子どもの「個性」

2012-06-28 12:16:13 | 教育論
「個性を大切に」「個性を伸ばしましょう」よく聞くフレーズです。
一時期の全体主義的、画一的な教育の反動も手伝って、一気に定着した感があります。

確かに「個性」を重んじることは大切です。
しかし、それを実行するのは思いのほか大変なことです。
なぜなら、「個性」は一般的に「良い」と思われていることばかりではないからです。

人生を生きていくのにハンデとなること。それもまた「個性」の一つであると考えます。
それは善悪の価値観とは全く別次元のもの。
運命から与えられた「個性」なのであり、その個性ゆえに生じる「生きにくさ」も受け容れていかねばなりません。
その子は、その個性を抱えて人生を生き抜いていかねばならないのですから。

「個性を大切に」する、ということは、周囲の大人たちが、
上記のことも含めたその子の持っている全ての特質をまるごと受け容れたうえで、
その子にとっての最善の方法を考え、その子が少しでも前進したり、充実感を得るように環境を整えることだと思います。
言い換えれば、生き抜いていける力を獲得する手助けをすることだと思います。
それは、覚悟のいることです。

私は、うちのスクールに来る、クライミングの好きな子どもたち全てに
クライミングを通じて命を輝かせてほしいと願っています。
どのような「個性」を持った子も。
個人個人の特性に合わせたアプローチ、すなわち「個性」を大切にすることは指導者の義務であり、
その義務の遂行に必須なのが保護者の方との話し合いと、そこから生まれる信頼関係だと考えます。
そしてそれを可能にするのは、保護者の方の、運命を受け容れる「覚悟」ではないでしょうか。