ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

片思い・総括

2021-11-08 07:05:41 | 片思い
自分はどうも惚れっぽく、色々な人への思いをこのブログにも綴ってきているため、
「片思い」というカテゴリーを新設してまとめてみました。
自分の報われない思いを供養する意味合いもこめられています。

今までの記事を読み返す中で、私は自分の傾向に気が付きました。

男性から親切にされると、私はすぐにその人に好意を持ってしまうようです。
その人の親切は、その人の人間性の発露に過ぎず、
私という個人に注目してのものではないにもかかわらず。

私に親切な人は、子どもにもお年寄りにも、犬にも猫にも道端で咲く花にも、
親切に振る舞うのです。

普段の私は、存在感に乏しく、雑に扱われ、顧みられることがないので、
小さな親切が、大きく心に響いてしまうのです。
私は、孤独で、愛情に飢えた、寂しい生き物なのです・・・。

私は親切にされたことが嬉しくて、もっと親切にされたいと思うようになります。
そして、その人に惹かれていきます。
私を丁寧に扱って欲しい、優しい言葉をかけて欲しい、温かい目で見守って欲しい・・・
心の中には、切実な欲求が渦巻いています。

ごくまれに、恒星を周回する彗星の軌道のように、
その人に接近できる奇跡のようなチャンスが訪れることがあります。
飲み会帰りのタクシーで一緒になったり、
映画でその人が出演しているのを見かけたり、
自転車で家まで送ってもらったり・・・(←高校生の頃)
まあ、チャンスがあったからといって、その人と親しくなれる訳でもなかったのですが。

そして、迂闊に接近して避けられたとき、
私は最大級の心の傷を負うことになります。。
(ちなみにこのとき →「星の光」 も、
「純度の高い親切心に感動した」と、もっともらしく書いてはいますが、
ただ単に若い男性講師に好意を持っただけであり、
「先生の他の授業にも出たいです」と申し出たところ、
「別の講師の授業を受けてください」とあっさり言われ、撃沈しています。。)

人を好きになるのはよいにしても、
それを表に出し、キモがられて避けられるのだけは、絶対に回避したいです。

でも、人の美点を見つけ、愛でて心を寄せる方が、
人を恨んだり憎んだりするよりずっといいかなとも思います。

相手に迷惑をかけない程度に(避けられない程度に)、
また、自分で苦しくならないくらいに上手にコントロールしながら、
この感情と付き合っていければと思います。


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妻の写真

2021-10-21 10:08:00 | 片思い
憧れの離島の人が、最近、SNSを更新していた。

離島から、さらに離れた無人島にフェリーで出かけたとの内容で
無人島の風景が何枚か投稿されていた。

投稿された風景の一つに、砂浜の写真があった。
波打ち際に佇んでいる女性を、遠くから撮影したものだった。

女性の姿はよく見えないように写していたけれど、
私はこの女性が、離島の人の奥さんだとすぐに分かった。

離島の人は、あからさまに自分の妻をSNSにアップすることはないが、
こうして、妻を遠くから撮影して、自分のSNSにアップして、公開して・・・
さりげない、目立たないやり方だからこそ、かえって、
自分の妻に対する愛情が、ふつふつと伝わってくるような気がした。

妻を、愛してるんだね・・・。

「いいね」をもらえただけで浮かれて喜んでいた自分が、
神聖な結界に触れて焼け落ちた、汚れた虫のように感じられた。

 私は・・・
 こんなに深く、自分の夫に愛されているだろうか・・・

虫は遠い目をしながら思うのであった。

(憧れの離島の人の過去記事はこちら
 → シグナル



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シグナル

2020-09-12 10:56:10 | 片思い
憧れの離島の人が投稿するたびに
私は「超いいね」や「すごいね」などの"特殊いいね"を押しているのですが

(関連する過去の記事はこちら

人気者の彼には多くの「いいね」がつくので
私の「いいね」は埋もれてしまって
目立たない感じがします。

先日、私が久し振りに自分のページで投稿をすると
彼から「すごいね」がついていました。

私のページはひっそりとしていて
素っ気ない「いいね」がいくつかついているだけなので
彼の「すごいね」はおひさまのマークのように輝いて見えました。

 君が毎回、「すごいね」をつけてくれていることは
 僕も気付いているよ

そういうシグナルだと私は感じました。

誰も気付かない夜空の片隅で、
キラッと一瞬だけ輝いて尽きるような、
ささやかなシグナル。

これ以上、先に進むことはできないし
きまぐれなチャンスの到来を
期待することもできないでしょう。

でも、そんな一瞬もあったということを
記憶しておきたいと思います。


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細くて途切れそうな

2019-12-27 12:34:20 | 片思い
*この記事は中年女性のキモい独り言です。
 時間を無駄にしたくない方はスキップしてください

今年の始めに、私は、密かに思いを寄せていた男性にSNSで友達申請をして
あっさりスルーされたという記事を書きました。


その後、小さな進展があったので、書きたいです!
書かせてください!!

その前に・・・
その人が、どういう人なのか、簡単に説明させてください。

その人は(Kさんとします)、学生時代に同じクラスだった人で、
素敵だな~と思っていたのですが、既に彼女がいるとやらで
私は思いを封印しました。

その人は自由な考えを持った人で、
Dr.コトーのような生き方をしています。
離島で地域に貢献する仕事をしているのです。
人づてに、島の女性と結婚したと聞きました。
その女性は島に継承された民謡の歌い手だそうです。
奥さんが歌い、Kさんがギターで伴奏するそうです。
勝てないと思いました・・・(←何に?)

私はKさんとろくに話をしたこともなく、
Kさんの人となりも、実はよく知りません。
ただ、私はKさんと言うと、
太陽が照りつける離島で、昼は人々の笑顔のために汗を流して
夜は満天の星空の下でギターを弾いている、というイメージがあり
私は自分で作り上げたイメージに憧れていました。

そんなある日、私は離島を舞台にしたある映画を見ました。
そこになんと、Kさんがエキストラで出演されていました。
私は驚いてドキドキして、映画のストーリーが頭に入らなくなってしまいました。

私は帰宅後、同窓会の名簿を見て、Kさんに思い切ってメールを出しました。
 映画に出ていたのは、もしかしたらKさんではないですか?

返事はすぐに来ました。
 まさか気付いてくれる人がいるとは思わなかった、ありがとう。
 そう、あれは僕です。
Kさんは、映画に出演するに至った経緯、撮影した日のことなど、
詳しくメールに書いて教えてくれました。長いメールでした。

それに対し、私は短く返信しました。
この嬉しいハプニング(?)をきっかけに、Kさんに近付きたい。
本当はそう思っていたのですが、色々と考えすぎてしまい、
思いに反して、そっけない返信をしてしまいました。
やりとりはそれで終了しました。

それから5年。
私はSNSを始め、Kさんを検索し、
そこに上の映画の件が投稿されているのを見て、思い切って友達申請しました。

結果、返事はなく。
上記の記事を書きました。

長い前置きになりましたが、ここからです。

私はがっかりして申請を取り消しました。
それから1か月後、Kさんから友達申請が来ました。
私のメッセージを見落としていたようで、慌てて申請し直したということでした。

そうして、私とKさんは、めでたく(?)SNS上の友達になれました。
それ以上は、期待していませんでした。

ところが!!
Kさんは、私が投稿するたびに、「いいね!」を押してくれるようになりました。
それも、ただの「いいね!」ではなく、「超いいね!」を押してくれるんですよ。
もう、嬉しすぎて鼻血が出そうです。
助けてください。

こうなると、怖くてうかつに次の投稿が出来なくなりました。
Kさんが「いいね!」を押してくれなかったらどうしよう。

いつか、そんな日が来るかもしれません。
でも、いいんです。

私は憧れのKさんに、私が心理職という新しい道を進み始めたことを、
知ってもらいたかったんです。

遠い離島で、Kさんが私の記事を読んでくれて、
そっと「いいね」で背中を押してくれる。
それだけで十分。

細く細く、今にも途切れそうだけど、
少しだけ、心の糸がつながった。
そんな瞬間があった。

それだけで十分。
ありがとう。

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時空の窓

2017-02-10 15:49:47 | 片思い
少し前に、昔好きだった中国人の男の子を検索して、
写真を見てはニヤニヤしていたのだけれど、
(前の記事はこちら
今日、また検索してみたら、
もう、彼の写真が表示されることはなかった。

これは、薄々感じていたことだった。
写真を見られるのは、きっと、限られた時間だけだろうな、と。
インターネットの魔法が、遊び心で私の思いを叶えてくれて、
今、この短い間だけ、彼の姿を見ることができるのだ、と。

気孔のように閉じたり開いたりしている小さな時空の窓から、
私は少しだけ、遠くにいる彼の姿を垣間見ることができたのだ。

窓が開いている間に、
叫べばよかった。
手を伸ばせばよかった。

でも、私はそうしなかった。
彼はもう、過去の人だと、分かっていたからだ。

そして、時空の窓は閉じて消えた。

彼は今も、あの町で生きている。
でももう、会うことはないだろう。

もう、会えないのだ。


コメント (4)
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