外資系の会社に勤務している知人が、旅先のホテルで見かけたおかしな英訳をSNSに載せて面白がっていた。
私も最初は呑気にいいねを押したりしていたが、結構しつこいので、段々、嫌な気持ちになってきた。
この嫌な気持ちはなんだろうと考えたところ、英語ができる人ができない人をネタにして嗤っているからだろうと思った。
ホテルの従業員さんはきっと、英語が得意ではなかったろうけど、外国の人にも説明できるようにと思って、頑張って英訳してみたのだろうと思う。
知人は、英語を流暢に操れる教養があり、またその教養を身につけられる環境に恵まれていた。
持てるものが、持たざるものの不出来を嗤った。
これは私の考え過ぎだろうか。
知人は気付いていない。
自分に人として最も大切な"心"が欠けていることを。
それは英語ができないことより恥ずべきことだと、私は思う。