ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

すべて真夜中の恋人たち

2021-11-22 09:00:19 | 映画・ドラマ・小説
川上未映子さんの「すべて真夜中の恋人たち」を読みました。
(以下、ネタバレあり)

新聞で連載中の「黄色い家」が面白くて、川上さんの小説をいくつか読んでみました。
「乳と卵」、「ヘヴン」と読んで、今回が3作目です。

3作に共通するポイントをみつけました。

1 主人公は地味で暗いタイプ
2 相反する主張がぶつかり合うシーンがある
3 分かりやすい大団円がある

1は、最も意外だったポイントです。川上さんは、いつも新作を出すと顔写真つきで宣伝される美人で、見た目で販促するタイプだろうと勝手に思い込んでいました。内容も共感できるものではないだろうと思い、今まで読む気になれなかったんです(読むと傷付くような気がしたから)。

「黄色い家」を読んで、多数から冷やかされたときのいたたまれなさがとてもリアルに描写されていて、なんとなく「こっち側」に立ってくれる人だなあと感じ、もっと読んでみたいと思ったのです。

そして、3作まで読んで感じたのは、見た目の美しさに反し、男性のことはほとんど書かれておらず、女性自身を深く掘り下げて理解しようとしている姿勢でした。男性とのやりとりより、女性同士の本音のやりとりに興味を持っている感じがします。ちなみに家族のあたたかさ、親子の情愛といったテーマもほとんど扱われません。

2は、小説をあまり読まない輩の妄言ですが、作者の主張を登場人物に延々と語らせるのは、小説の手法としてあまり上手な方ではないんだろうなあ・・・と感じています。ただ、熱がこもっており、読ませる部分ではあります。3作とも、主人公とは全く異なる精神構造の人物が、主人公の価値観を打ち砕くような、根本的に相容れない主張をぶつけてきます。

私はこの二つの主張がぶつかるシーンを読むと、いったい作者は、どちらの主張の側に立っているんだろうなと思います。「乳と卵」、「ヘヴン」を読んだときは、きっと作者自身が抱える葛藤を、二人の登場人物に分けて戦わせてみたんだろうなと感じました。でも、今回、「すべて真夜中の恋人たち」を読んで、作者はきっと基本的には主人公の側で、それを脅かす主張と議論させてみたかったのではないかと思いました。具体的には主人公と聖の主張の対決なのですが、作者の中で聖のような考え方が優勢なのであれば、きっと聖を主人公にしたのではないかと思ったからです。

3は、個人的にはなくてもいい部分だと思っています。純文学なんだから、これ、なくていいよ的な激しい感情の発露のシーンが、3作ともあります。私の好みですが、これはむしろない方がいい・・・。なくても分かるし、ない方が現実の物語っぽいし。映像化されたときのことを考えて書いているのかな。

表題作ですが、読了後はとても寂しい気持ちになりました。ハッピーエンドではありません。。雰囲気としては川上弘美さんの「センセイの鞄」にとてもよく似ています。でもそれよりもっと悲壮感と切迫感があります。

また、作中のエピソードとして、不倫をしている主婦の話があり、不倫相手と会っているときは楽しいけれど、会うたびに自分の心の一部が麻痺して硬くなっていき、しんどくなる。同じく不倫をしている自分の夫は、気楽に過ごせているといいな、しんどく感じていないといいいな・・・という独白の部分が、結構、刺さりました。そうか、そんな風になるものなのか・・・。

主人公が頭にうかんだタイトルを書き留める、というラストは、残念ながらあまり心に響かなかったな。どういう意味合いがあったんだろう。

また別の作品を読んでみようと思います。


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