病気で臥せったまま、35歳で逝った父。
特派員が、小学校へ入る年の 2月だった。
遊んでもらった記憶は、全く 無い。
何故か、背もたれのある ふんわりした椅子に座り、キャラメルの箱を手にした 自分が思い出される。
それも、極めて 断片的に。
後ろ向きに膝で座り、背もたれの上で 箱を滑らせていた…ことも。
昔、NHKラジオの「私は誰でしょう」に出場した 父。 「第二ヒントで正解した」と、大きくなってから 母に聞かされた。
多分、そのときの、待っている間の 記憶のようだ。
ラジオを聞いているときの 父は、いつも 第一ヒントで当てていたらしいく、きっと、自信があったのだろう。
僅かに残された モノクロームの写真が、「父の顔を覚えている」と、錯覚させている。
50回忌には、その中から選んだもので、額装の写真を作った。
特派員が、五十路の半ばになったときだ。
今、その写真は、座敷の壁の高いところに掛けてある。
祖父の それと並んで、見守ってくれているのだ。
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