(写真は市内某所の早咲きの櫻なのですが、ソメイヨシノではないそうです→本当はもっと濃いピンクだそうでソメイヨシノと同じ位淡いのはめずらしいのだとか)
今さっき夕飯にて親父が子供の頃から左耳が聴こえないと知りちょっと困惑←自担と同じじゃないか!!(但し原因は中耳炎)ちなみに父母の結婚記念日は今井先生の誕生日だし、つくづくお魚になる運命だったのか自分は・・・
どもども。今日はC/Wの「Luna park」について
再生するといきなりのチャイム音にアオハル感が→学校関係ないのになんで!?あと先生曰く「忙しいギター」のカッティングの連なりやメロディが何となく「薔薇色の日々」のリメイクっぽく聞こえるかも(電子音も入るスペーシーな感じも含めて)でもイヤホンで聴くと左右から聴こえるギターの重なりあいは正にバンドサウンドって感じ
歌詞には遊園地の遊具の名前が出てきますが、敦の頭の中にある遊園地は間違いなく現実が一斉入り込むスキのないテーマパークではなく園内のベンチの背もたれや下手するとアトラクションの本体や乗り物までにお菓子やジュースの商品名がプリントされている古き良き昭和の遊園地なんだろうな
惜しむべくは出てくるお酒の種類が葡萄酒だった事と言うか、折格曲自体がスパークルで透明感あふれるキラキラなアレンジが効いているのにどうも「葡萄酒」の部分だけ鼻濁音のせいで濁って澱んだ色彩になってしまっているんだよね。やっぱりここに合わせるべきお酒はシャンパンだと思うな(コラボカフェでもらった名刺型カレンダーにもシャンパンゴールドが使われてたし、「泡沫」と言うワードともマッチしてる)
この曲以外でも敦は歌詞には割と「葡萄酒」の登場回数が多い気がするのだが、私的に葡萄酒から連想するイメージは
「太古の神話の時代や中世ヨーロッパの伝説、おとぎ話に出てくるお酒」
と言うか、上記の物語をモチーフにした歌詞を好む敦からするとワインやシャンパンはあまりにもモダンすぎてロマンティックに響かないのかも知れない(だけど旧約聖書モチーフの「BABEL」に出てきたのはワインだが「サロメ」に出てきたのは葡萄酒だったっつーか、そこら辺の統一感の無さは閃きゆえなのかも)
ただ良かった点もあり、それは遊園地にいたのはピエロではなくクラウンだった事
近年急速な多国籍化のせいかあらゆる物や事の解釈が世界基準で見直される様になってきており、本場のクラウン達からは
「私達は芸に誇りを持って舞台に立ち決して馬鹿にされるために舞台に立っている訳ではないので哀れみの目で私らを見るのはやめてほしい」
みたいな話をどっかの記事で読んだし(敦がピエロに惹かれるのは多分明るさの影に隠された深い悲しみの部分なのだろうけど、本来道化は皆を楽しませる為に存在するポジティブな存在であり自虐の象徴ではないのだ)解釈の誤解をしなかったのは良かったと思うな
あとは若干1番と2番の歌詞が似たり寄ったりでメロディの激しい起伏もなく平坦な印象を受けるので(個人的には「ophelia」みたいなドラマチックな展開の曲の方が好み)間奏のギターソロも長くせずスパッと切り上げたのは正解だったな、と