どもども。2月下旬から本業が繁忙期に入ったのですっかりブログ更新をご無沙汰してしまったのですが、この人の誕生日だけは忘れていませんよっと言う事で櫻井敦司様、お誕生日おめでとうございます!(写真はソメイヨシノではなくおかめざくら。先日横浜に出かけた際、たまたま地下鉄の伊勢佐木長者町駅前に沢山植えてあってきれいでした)
・・・と明るく朗らかに祝ってみたのはいいが、今年お誕生日に捧げるエッセイはアトム&FC限定ツアー時に発売されて話題を呼んだ「くるみちゃんグッズ」から見る櫻井敦司が抱える本当の「心の問題」と言う少々ビターな内容を
くるみちゃんグッズ以外にも敦はツアー衣装に愛猫と同じ柄のストールをまとったりおみくじトレカの語尾に「~ニャ!」を付けたりと、ペットはある程度飼い主自身の姿を投影するなと考える私としましては突如としてその過剰な自意識の放出っぷりにツアー中はクラクラしっぱなしでしたなぁ、と
敦司が猫に投影している物はズバリ!「生まれつき美しいのを自覚していてかつ、相手の顔色を読まずに好き勝手にふるまっても誰からも嫌われずに愛される自分」なのだと言いますか、かつて「バカの壁」で話題を呼び自身も「まる」と言う猫を飼っている養老孟司氏はあるインタビューにて、
「猫が好きな人ってね、恐らく猫は自分の投影なんですよ。人間社会において生きてる間に結構自分を抑えて辛抱している人なんだよね。根本的には(略)でも、そんな時、ふと見ると猫は好きにしているじゃない?だから好きにしたい自分をあっちに投影している。代理なんですよ。
自分が自由に振舞えない代わりに猫に自由に振舞わせて、その時に自分が猫になっている(略)」
と、実に興味深い内容の話を語っていたがこのYOW-ROW、じゃなかった養老氏の説が正しいとなれば敦を強烈に押さえつけている物は何か?そして何故今になって突如抑圧されていた心のリミッターを外したのは何故なのか?(一応お断りしておきますが、私は養老氏の説を全面的に支持している訳ではありません。念のため)
この2つを順を追って検証してみたいな、と
大抵、アーティストは割と自由奔放な性格が多くその「オレ様キャラ」っぷりは一部の人に反感を持たれたりするが、多分敦も本当はコッチ側の人間なのだろう。
だけど、意識して利己的な自我を抑圧してしまった理由としましてはBUCK-TICKの楽曲中にて何度も語られている幼少期の家庭内不和による無力感とやはり、「自分は美人だから」と言う自覚があるからだろうな
美人じゃない人達はとかく「美人は善人でなければならぬ」と言う思想を美人に押し付ける一方で、美人が少しでもわがまま&毒舌をかましたら
「ほ~ら、やっぱり美人は性格が悪いんだよな!」
「美人が上から目線でものを語るな!」
と、バッシングしがちな所があります
敦も多分に漏れず、インタビューで自ら語る事は無いが何かとこうした重圧をあちこちから受けてきたんじゃないかなぁ、と
しかし無理に利己的な部分を否定し、認めない人はオレ様キャラの人よりもタチが悪いと言いますか、BUCK-TICKのオレ様キャラと言えば今井寿とヤガミ・トールが2大筆頭で、特に今井は身勝手なファンに対してインタビューで本気で怒ったり対談相手の横山和俊に横柄な態度をとったりする様子が一部のファンからは嫌われていますけれど、今井がここまで本音丸出しで強気に生きられるのはどんなに高飛車な態度をとっても周りのスタッフとは強固な信頼関係が気づけているのに加え、「今井はそんなに嫌な奴じゃないよ」とフォローしてくれる友人が沢山いるから「俺は何があっても見捨てられることはない!」と誰に対しても絶対的な自信を持つ事が出来るのだろう(ヤガミも同様で、彼はことある毎に身勝手に自分のキャラを消費しようとするファンに対して「ステージ降りたら俺はヤガミじゃないからな」とピシャリと言えるのは「自分達の音楽が好きな人達は絶対に俺らを見限ることはない!」とファンを信頼しているからだろうな。この人もフォローしてくれる友人多そうだよね)
だが、幼少期のトラウマetrからくる潜在的な「見捨てられ不安」から利己的な自分を押し殺してきた結果、他人と衝突することもなければフォローしてくれる友人もまともに作れなかった(!?)敦は「オレ様キャラ」で生きる事を放棄せざるをえず、屈折した自己愛を抱えて自分の理想像である猫を溺愛し、それを周りにアピールする事でしか心の問題を癒せなくなったんだろうね
多分、この人は「本当の自分」を出したら最後、メンバーも、スタッフも、そしてビクター関係者やファンも自分を見捨てて去って行く位に大げさにとらえているのだろうな
だけど、良い部分ばかりアピして自分が傷つくから暗黒面はストレートに出さず、他の物に仮託して主張するのはあまりにも虫が良すぎると言いますか、先に述べたタチの悪い部分と言うのはここなんだよな。まぁ敦にも負の部分はいくらでもあるのだが(髪が薄いとか私服のセンスが壊滅的だとかO脚だとか)ソレは自分から自虐的にアピールしないとダメな訳で、自己像はあくまでも美しいと信じているために自分の醜い面を認めないと言うのは通用しないぞい
2つ目の理由は長くなりすぎたのでこの次に
・・・と明るく朗らかに祝ってみたのはいいが、今年お誕生日に捧げるエッセイはアトム&FC限定ツアー時に発売されて話題を呼んだ「くるみちゃんグッズ」から見る櫻井敦司が抱える本当の「心の問題」と言う少々ビターな内容を
くるみちゃんグッズ以外にも敦はツアー衣装に愛猫と同じ柄のストールをまとったりおみくじトレカの語尾に「~ニャ!」を付けたりと、ペットはある程度飼い主自身の姿を投影するなと考える私としましては突如としてその過剰な自意識の放出っぷりにツアー中はクラクラしっぱなしでしたなぁ、と
敦司が猫に投影している物はズバリ!「生まれつき美しいのを自覚していてかつ、相手の顔色を読まずに好き勝手にふるまっても誰からも嫌われずに愛される自分」なのだと言いますか、かつて「バカの壁」で話題を呼び自身も「まる」と言う猫を飼っている養老孟司氏はあるインタビューにて、
「猫が好きな人ってね、恐らく猫は自分の投影なんですよ。人間社会において生きてる間に結構自分を抑えて辛抱している人なんだよね。根本的には(略)でも、そんな時、ふと見ると猫は好きにしているじゃない?だから好きにしたい自分をあっちに投影している。代理なんですよ。
自分が自由に振舞えない代わりに猫に自由に振舞わせて、その時に自分が猫になっている(略)」
と、実に興味深い内容の話を語っていたがこのYOW-ROW、じゃなかった養老氏の説が正しいとなれば敦を強烈に押さえつけている物は何か?そして何故今になって突如抑圧されていた心のリミッターを外したのは何故なのか?(一応お断りしておきますが、私は養老氏の説を全面的に支持している訳ではありません。念のため)
この2つを順を追って検証してみたいな、と
大抵、アーティストは割と自由奔放な性格が多くその「オレ様キャラ」っぷりは一部の人に反感を持たれたりするが、多分敦も本当はコッチ側の人間なのだろう。
だけど、意識して利己的な自我を抑圧してしまった理由としましてはBUCK-TICKの楽曲中にて何度も語られている幼少期の家庭内不和による無力感とやはり、「自分は美人だから」と言う自覚があるからだろうな
美人じゃない人達はとかく「美人は善人でなければならぬ」と言う思想を美人に押し付ける一方で、美人が少しでもわがまま&毒舌をかましたら
「ほ~ら、やっぱり美人は性格が悪いんだよな!」
「美人が上から目線でものを語るな!」
と、バッシングしがちな所があります
敦も多分に漏れず、インタビューで自ら語る事は無いが何かとこうした重圧をあちこちから受けてきたんじゃないかなぁ、と
しかし無理に利己的な部分を否定し、認めない人はオレ様キャラの人よりもタチが悪いと言いますか、BUCK-TICKのオレ様キャラと言えば今井寿とヤガミ・トールが2大筆頭で、特に今井は身勝手なファンに対してインタビューで本気で怒ったり対談相手の横山和俊に横柄な態度をとったりする様子が一部のファンからは嫌われていますけれど、今井がここまで本音丸出しで強気に生きられるのはどんなに高飛車な態度をとっても周りのスタッフとは強固な信頼関係が気づけているのに加え、「今井はそんなに嫌な奴じゃないよ」とフォローしてくれる友人が沢山いるから「俺は何があっても見捨てられることはない!」と誰に対しても絶対的な自信を持つ事が出来るのだろう(ヤガミも同様で、彼はことある毎に身勝手に自分のキャラを消費しようとするファンに対して「ステージ降りたら俺はヤガミじゃないからな」とピシャリと言えるのは「自分達の音楽が好きな人達は絶対に俺らを見限ることはない!」とファンを信頼しているからだろうな。この人もフォローしてくれる友人多そうだよね)
だが、幼少期のトラウマetrからくる潜在的な「見捨てられ不安」から利己的な自分を押し殺してきた結果、他人と衝突することもなければフォローしてくれる友人もまともに作れなかった(!?)敦は「オレ様キャラ」で生きる事を放棄せざるをえず、屈折した自己愛を抱えて自分の理想像である猫を溺愛し、それを周りにアピールする事でしか心の問題を癒せなくなったんだろうね
多分、この人は「本当の自分」を出したら最後、メンバーも、スタッフも、そしてビクター関係者やファンも自分を見捨てて去って行く位に大げさにとらえているのだろうな
だけど、良い部分ばかりアピして自分が傷つくから暗黒面はストレートに出さず、他の物に仮託して主張するのはあまりにも虫が良すぎると言いますか、先に述べたタチの悪い部分と言うのはここなんだよな。まぁ敦にも負の部分はいくらでもあるのだが(髪が薄いとか私服のセンスが壊滅的だとかO脚だとか)ソレは自分から自虐的にアピールしないとダメな訳で、自己像はあくまでも美しいと信じているために自分の醜い面を認めないと言うのは通用しないぞい
2つ目の理由は長くなりすぎたのでこの次に
素朴で優しい人柄ですよ
魅力的だから人目を引いてしまうんですよ
自意識と言われてしまうかもですが
本人にとって生きづらいこともありますよ
同郷で近くにいましたが、心の優しい人でしたよ。
コメント失礼しました。
どうぞくれぐれもお身体をお大事にして下さいね。失礼致します。
この度はコメントありがとうございます&お返事が遅れて大変申し訳ありません。
ホワイティシモ様は櫻井氏と同郷で旧知の間柄だったみたいですが、確かに彼の死後複数の後輩ミュージシャン達がブログやSNSで親切にしてもらった話を沢山見ましたし、慕われていたのは間違いないと思いました。
ですが誰にでも優しい分、陰湿な匂わせがどうしても鼻についてしまうなぁと言いますか、例え口頭で伝えるのが憚られるのが無理なお願いでも常に匂わせて他人に聞いてもらえるように仕向けるよりは、相手を信頼し素直に伝えてほしかったなと思いました。
私個人の考えとしましては自分の気持ちを優先するよりも他人がどう思うのかを先取りするあまりにストレスを抱え、亡くなってしまったのは残念だと思いました。
最後になりますが私へのお気遣い、誠にありがとうございます。
よいお年を。