銀城歌劇団楽屋日記

今年開設15周年♪ライブレポ、コラム、イラスト、四コママンガ~あらゆる表現でBUCK-TICKを応援します♪♪♪

入院記その四~闘病の日々あれこれ~

2019年02月16日 13時48分32秒 | 劇団楽屋日記
(写真は2階上のフロアのロビーから見たみなとみらいビル群の間から登る朝日。朝日なんてめったに拝む機会がないのだが、消灯時間が早いと目が覚めるのも早いから見に行こうかな、と)

どもども。長らく綴った入院記も今日をもって完結です。は~これでやっと次回からBUCK-TICKネタで記事書けるわ・・・と思っても、今の所特に書きたいネタはないのですが

○手術後の生活で最も辛かったのはシャンプーできなかった事ですね。退院2日前にやっと背中の局所麻酔から解放され、入浴の許可も取れたので早速看護師さんに掛け合ってみたのはいいが、タイミング悪くお風呂はこの日入室してきた多数の患者さんが利用するので今からは予約が取れないと言われ、最悪の展開に・・・・

正直洗髪は入院前日に自宅でして来たのもあり手術前は入浴のみにしたのだが、病院内は常に暖かいのもあって3日もすると頭の中がムズムズしてきた上に髪に触ると手がベタつくのが何とも気持ち悪くて・・・

そういえば確か病室出てすぐの所には洗髪台があったのを思い出し(前回の記事参照)、「せめて頭だけでも洗わせて!」と食い下がったらすんなりOKが出て一安心!6日ぶりの洗髪は最高に気持ち良かったな~(しかし緊急入院だった彦の場合は一体どうだったんだろう?あの人は私より多毛だからもっと大変だった・・・かも)

○しかし私ほど手術後に快活に歩き回っていた患者も珍しいと言うか、同室のおばさんからは「あなたよく手術後にスタスタと歩き回れるわねぇ~、若いっていいわねぇ」と面向かって言われたが、私は只単に大部屋の窮屈さが苦手だったのと、ずっとゴロゴロしていると今度は腰痛が再発するのが怖かったのもあるので不在がちだったのですが

○散歩先の地下のコンビニはお酒が置いていない以外は街中のコンビニとほぼ同じ品揃えだったのは前にも述べたがいくら3食が極少すぎるとは言え、お菓子や肉まんの誘惑に負けなかったのは自分でも驚いたなぁ、と

やはりこれは看護師さんに四六時中チェックされていてごまかしが利かないと言うのもあったんだろうな。

「Sさん(本名)、血糖値がおかしいですよ」とか言われて入院日が延びるのは嫌だったし

○あと大部屋の反対側には個室病楝がありドアの小窓からは中が見えるのだが、その殆どは24時間ケアが必要な意識不明の患者さんばかりで(ベッドの側に心電図/心拍数を測る機械がある)見ていて切なくなったよ。まさに病院とは生と死が共存する場所なんだな、と(そういえば地下2階の行先表示には「霊安室」があったなぁ)

○術後3日間はトイレに行く毎に自分の尿をビーカーに貯めトイレ横の専用の機械に流し入れるという検査をやらされたのだが、改めて自分の手術痕を見ると赤黒い縫い目が下腹部に走ってて何とも気持ち悪いんだよな・・・彦も自身の傷と向き合うとき、同じ気持ちになったのかなぁ、と

○病楝に図書コーナーがあるのは入院のしおりで知っていたが、利用できるのは火金の週2日のみで(しかも13~15時まで)結局利用出来たのは退院1日前のみだったのが悔しかったなぁ。だから私は他の病楝のデイルームに本を探しに行くのですが(コーナー開放日には貸し出しの他にボランティアさんが本のワゴンを押して病室を巡回してくれます)

ちなみに新聞は旅館のロビーみたくフリーでは読めないので、朝早く目覚めた時は新聞代わりに文庫本読んでたな。TVは有料だったせいか、利用している人はほとんどいなかったですね
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入院記その参~自由なのに不自由な入院生活!?~

2019年02月09日 18時54分00秒 | 劇団楽屋日記
どもども。今日は雪で家に缶詰だったのですが午前中はいたジャン、正午はメレンゲの気持ち、そして午後はスタジオパークと関東のJUMPファンには楽しい一日だったかも(20時からはらじらー!もあるしね。あ、今回もいのひかトレンド入りおめでとう)

あ、そうそう先日退院後初の検診に行き、やっとお風呂に入れる様になりましたー

真冬にシャワーのみは本当にキツかったから、これは本当に嬉しかったですよ

今回はとりま自由の身になり、病棟内でどの様に過ごしていたかを詳しく書きます

○一応、自由の身とは言っても(上記イラスト参照/私代理は彦)背中には局所麻酔(常に薬のボトルを右腕にぶら下げて行動していた)、そして下腹部にはドレーンと言う傷口からの滲出液を体外に排出する管が出ていて液をためるこぶし大の容器(看護師さんは形状から爆弾と言ってた)をパジャマのポケットに入れてましたね

○私が入室した部屋は6人部屋でベッドの周りには360℃グルっと取り囲むカーテンがあり一応プライバシーは確保できたのだが、先に入室してた人がおばさん一人だったので日中はほぼカーテンを開けて割と快適に過ごしてましたね(ところが退院一日前には一気に3人も入室してあっと言う間に満床になりビビりましたが)


ベッドの手前には食事を食べたり日用品を置くための可動式のテーブルがあったのですが、正直書く作業には向いていないので入院記の下書きはもっぱらデイルーム(後章参照)で書いてたな~。あと備え付きの棚にはTVがあったがTVカード(懐かしのテレカみたいなカードが一枚1000円で売っている)を購入して見る方式だったので、私は電池式のラジオ中心の生活にして(NHKはどこでもクリアに入るんだな~)TVはデイルームに見に行ってました

○食事は朝8時、正午、夜18時と3食出て主食多めのおかず極小な構成には若干抵抗を感じたが(普段は逆だから)私はほぼ3食完食してました

メニューは和食中心で一回だけ朝食にパンが出たっけ。ちなみに3食には必ずほうじ茶が付いてましたね

配膳は係の人がベッドに直接運んでくれるのだが、食後の食器は廊下に停めてあるワゴンにセルフで返す方式でした

○食後は横になるどころか血糖値の上昇と体力の回復を兼ねてデイルーム↓

(患者同士がシェアするTV&冷蔵庫&本棚と長テーブル、椅子があるホールで本来は介護が必要な患者を集めて食事をする部屋らしい。本棚には入院患者が置いていったと思われる雑誌や文庫本、コンビニコミックがあったが、私の階は品揃えがイマイチでわざわざ別の病棟のルームへ借りに行ってたな。不思議だったのは階が上がるにつれて棚に文春砲&ゴルフ雑誌ばかりが置いてあった事・・・)

に行ったり、地下のコンビニ↓

(某大手コンビニが24h営業していて、品ぞろえも街中のとほぼ一緒。レジには白衣の先生が軽食を買いに来ているのを何度も見た)

に水やお茶を買いに行ったりと大抵ベッドを留守にしがちで、食後30分~1時間後には看護師さんの回診があるのをすっかり忘れてよく注意されたな

○その看護師さんの回診ですがお決まりメニューは血圧測定と血糖値測定がセットで、時々背中の麻酔の減り具合をチェックされたりたま~に採血されたり。後半は血栓防止の注射をお腹に朝夜2回づつ打たれたりと、針を刺される系の処置が多かったなぁ・・・・大人だから平気だったけど

○廊下の突き当りにはシャンプー台があって、曲がってすぐの所には小学校の流しの様な洗面台があり私らはそこで洗顔&歯磨きをしていたのですが、お風呂は担当看護師による予約制でなぜか土日祝日は使えないと言う謎のルールがあり、手術前の入浴で洗髪しなかった私は激しく後悔するハメに・・・(どう言う意味かは次回で)

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入院記その弐~痛みが消えない!?悪夢の一夜~

2019年02月02日 19時02分35秒 | 劇団楽屋日記
ども。今回は手術を無事に終え、処置室で過ごした地獄の一夜の一部始終について

上記のイラストは処置室に搬送された時の私(代理は彦ですが、よく考えてみたら彦も手術して入院したからちょっと生々しいかも)

身体には色々と管やらプロテクターみたいな物が装着されていますが、一つづつ順番に説明していきますと

○まず右腕の管は点滴。手術の前日は絶食させられるので翌日の朝までは点滴で栄養を取るんですよ(翌日の昼には五分粥を中心とした昼食が出たが、点滴から完全に開放されたのは2日後だった)描くのを忘れたが鼻の穴にも短時間ですが管が入ってました

○左腕の管は気が付いたら刺さったまま貼られていて、一体何の目的で使われていたのかは最後まで謎だった(手術中に使ったのか?)
あと点滴の管の下の黒い管は書き忘れたのだが、右手人差し指に身体のデータを取るためのカバーがはめてあり、すぐ取れそうになるから大変だったな。胸部の細かい管もデータを取るための物らしい

○両足のプロテクターみたいなのはマッサージ器でこれは血栓が出来るのを防ぐために装着され5秒に一回、片脚ずつモミモミされるのだがコイツが中々の曲者で装着しているととにかく内側が蒸れて暑い上に汗をかき(季節は真冬だが院内は常に暖かかった)、しかも自力では外せないからコレは拷問に近かったな(自力では掻けないし、あまりにも辛い時は看護師さんを呼んで数分間外してもらったり汗を拭いてもらいましたよ)

○股間から伸びているのはあっちゃんも腹膜炎の時に装着した尿道カテーテルで、下半身は紙おむつを着用しています(敦はインタビューでち○こから管が延びていたと語っていたが、私は確認できませんでした)

○そして右腕の下に転がっている白い巾着が術後の痛み止めの役割を持つ局部麻酔で、管は脊椎に刺さったまま背中にテープで固定されているのだが、今回はこれに苦しめられる事に・・・・

ベッドが半分起こされた状態で私は一人、時にはナースコールで看護師さんを呼びながら襲い来る痛みと戦う事になるのだが、麻酔を打っているのにも関わらず痛みは一向に引かず、かつての○理痛の時みたいに寝てやり過ごそうと思っても中々眠れなくて痛みが引いたと思ったらまだ小一時間しか経っていないわで、いっそう失神できたらと思っても全然意識は遠のいてくれなくて両脚は痒すぎる

猛烈すぎる痛みについには吐き気をもよおし、ほぼ一時間ごとに担当の看護師さんを呼んで何とかしてもらう様に頼んだのだが巾着の麻酔の追加スイッチ(中にはボトルが入っていて麻酔が追加できるボタンがついている)は頻繁に押せないと断られ、終いにはあまりにも呼ぶ回数が多すぎるので対応が投げやりっぽくなり痛みには深呼吸で立ち向かえと言い渡される始末・・・・(深呼吸には自律神経に働きかけ、痛みを緩和する効果があるそうな)

そんなこんなで痛みの猛攻にはひたすら深呼吸で立ち向かい、やっと落ち着いた頃には朝になって・・・AM9時過ぎにはやっと両脚のマッサージ器も取れて一つの戦いが終わったと思いましたよ

昼食前にはおしぼりで身体を拭いてもらい、午後には1日ぶりに病室に戻れたのだが後日、看護師さんから麻酔医の処置ミスで背中の麻酔が体内に正しく注入されていなかったと聞いた時は開いた口がふさがらなかったぞ、と

お、おい・・コッチは死ぬ思いをしたんだぞ!?なんて事をしてくれたんだ、ふざけんな!と数日後に麻酔担当医が謝りに来た際は怒りで震えたが、現実は気力体力ともに消耗して怒る気にもならなっかたんだよな・・・・

麻酔が効かなかったって事は多分、自分の治りたいと思う心=自然治癒力で回復したという事になるのだが、その事を看護師に話したら「凄いですね」と褒められたのでまぁいっか、と思ったのも事実なのですが
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入院記その壱~さらば月一の訪問者よ~

2019年02月01日 21時58分40秒 | 劇団楽屋日記
どもども。ゆうたの誕生日以来の更新ですが、やっと入院記がまとまったので内容的に勇気はいりますが今回、手記として公開しようと思います

ブログを更新後、母の運転する車で家を出て病院到着後、カウンターで手続きをしてから病室に案内され出された昼食(初病院食)を食べた後、別室で担当医さんと私と母とで三者面談が行われたのだが、手術に先立って告げられた事実は私の想像していた以上に非情な物でした(余談だが先生の名前は奇しくも星野さんだった←彦と違って小柄で若い女医さんでしたが)

「ちょっ・・・!筋腫は陽性だって言ってたのになんで病巣を臓器ごと切除しなきゃいけないのですか!?それに月一の訪問もあるから臓器自体はまだ機能しているのでは・・・???」

しかし担当医さんの見解では

○ここまで筋腫が肥大化すると病巣の臓器も変質していてもはや本来の機能の回復は望めない事

○もし筋腫だけ除去して臓器を残してもこれだけ肥大化が早いとまた同じ病気が再発するリスクが高い&次は悪性のが出る確率が高い事

の点を上げて臓器ごと切除するのを勧めるのだが、卵子の老化が忍び寄るお年頃とは言え、一度も本来の目的で使用せずに切除してしまうのは嫌だ、冗談じゃない、怖い・・・・とその場でハンカチで目頭を押さえる事数十分・・・

ここで半狂乱になって泣き叫べばさぞかしドラマみたいな展開になったのかもしれないが、結局冷静に手術を受け入れたのはすでに機能していない物をいつまでも温存してもしょうがないなと思ったのと、次世代をつなぐ役割はすでに兄夫婦がはたしたのでまぁ重くとらえなくてもいいかな、と

面談後は麻酔担当医から麻酔のレクチャーを受けたり、気持ちを整理するために友人に今回の事をメールで送ったりしている内にあっという間に入院初日の夜を迎えたのだが、消灯30分前に義姉(=兄の嫁さんの2番目の姉)が現れたのにはビックリ!!

実は義姉はここの病院で看護師をしており、病室の私に会いに来るみたいな話はそれとなく聞いていたのだが義姉は対面するなり今回の事について「辛いよね」と親身になって慰めてくれた後、自身も来月同じ病気で臓器ごと筋腫を切除する事をいきなり告白してきたのは目が点になったっけ・・・・

正直この話を振ってきたのは自分も同じ病気と戦う仲間として励まし、勇気づけるためだったのだろうが、義姉が既婚なのを知っていた私はついイラついて

「いくら同じ病気でもCさん(=義姉の名前)と私では立場が違うんですけど?」

とほぼ初対面なのにもかかわらず(注・義姉とは13年前の兄の結婚式以来会っていない)ストレートに怒りをぶつけちゃったんだよな

しかし義姉は本当に人間的に出来た人で、私の怒りを受け止めつつ自身の病気の治療進行状況を淡々と語り、終いには「筋腫あるある」が飛び出した挙句、

「輪迦さん、私たちはアンジェリーナ・ジョリーになるのよ!!」

と唐突に言われて、去り際には勝手に3月に再会する約束までさせられるハメに・・・・

くっそー、すっかりあちらのペースにノセられてしまって何だか疲れたわと困惑している内に寝てしまい、そして迎えた手術初日

病室で素肌の上から手術着(えんじ色のかっぽう着みたいな奴)を着て看護師さんに付き添われ、徒歩で手術室へ向かい待機していた家族に「行ってくるよ」と一言行ってから扉の向こうで使い捨てのヘアキャップをもらって被ると、人ひとり分の幅しかない処置台に寝かされて脊髄に局部麻酔を注入されてから口にお馴染みの酸素マスクを当てられ2、3回深呼吸をするとそこから記憶が完全に途切れ、再び目を覚ましたらいつの間にかキャスター付きのベッドに寝かされてそのままガラガラと手術後の人が入る処置室へ・・・・

全身麻酔は生まれて初めての経験だったが、ごく自然にかつ強制的に眠らされて気がついたら何もかもが終わっていたと言うのは本当に不思議な体験だったな・・・・

しかし手術は無事終わったものの、本当の苦しみを味わうのはこれからだった・・・・と言う事で次回に続く
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