この2つのアニメ、実は共通点があると思いました。
どちらの作品も個人的には一番伝えたいテーマのように感じたのですが、どうなんでしょう笑
まず、鬼滅の刃ですが、
有名な名セリフがたくさんあります。
その意味を考えるとわかりやすいです。
失っても失っても生きていくしかないです どんなに打ちのめされようと 炭治郎
幸せかどうかは自分で決める 大切なのは”今”なんだよ 前を向こう 一緒に頑張ろうよ 戦おう 禰豆子
炭治郎…俺…守ったよ……お前が…これ…命より大事なものだって…言ってたから……」 善逸
なれるかなれねぇかなんてくだらねぇこと言うんじゃねぇ!! 信じると言われたならそれに応えること以外考えんじやねぇ!!伊之助
炭治郎のセリフは、どんなに失敗しても、叩かれてもブレずに自分として生きていくということを表しています。自分の大切なものはゆるがないということです。
人って簡単に他人に影響されたり、損得勘定でフラフラしたりして、信念を持ち続けられないですよね。
でも炭治郎は仲間や妹のためなら、いくら負けても、叩かれても考えを貫く!と断言しています。
大切にしたい誰かのためなら死んでもいい!という覚悟が見られます。
次に妹禰豆子。
幸せは与えられるものではない。自分で築くあるいは気付くものだ。後先考えて生きるよりも今を精一杯生きること、共に生きていくこと!の大切さを訴えています。人に依存するよりも、自分自身で築いていく大切さと誰かと一緒に協同することの大切さを言っています。
善逸はわかりやすい笑 誰かが大事にしているもののために命を懸けて戦う大切さ。死にかけてもなお他人の大事な物を守ろうとするという生き方です。
伊之助は結果は気にしないで、人から信頼されたらそれに応えるためにがむしゃらに精一杯すればいい!と言っています。
全ての共通点は利己的ではない!ということです。誰かのため、誰かの大切な物のため、誰かと一緒に、後先や損得は関係ない自分の大切にしているもののために生きるという、利他的な生き方を見せています。
一方竜とそばかすの姫ですが、
子どもに見せたい映画でも書きましたが、
主人公のすずの母の亡くなった原因が超重要だと思っています。
自分の子のためじゃなく、他人の子のために命を落としてしまいます。
自分の子を大切にしたいなら、命を落とすかもしれないリスクを冒さないということになるでしょう。
すずはなぜお母さんは自分じゃなく、他人の子どものために死んだの?!という疑問を抱えて大きくなっていきます。
映画はその答えを探す旅のようです。
この映画も利他的に生きる生き方を教えてくれます。
私は本来人間には人のために生きることで、
自分が活かされる人生を送ることが出来ると思っています。
元々そういう生物のような気がしています。
それが今の時代はそれをすることは自分にとって損か得か、今後どんな影響が自分にあるか、失敗するかしないかみたいなことに、多くの人が囚われているのではないでしょうか。
そういう元々持っていたはずの価値観や正しさを伝えようと両作品の作者の方は考えたのではないでしょうか。
そう考えると、今の時代は利己的な人ばかりで、とても深刻な状況とも言えるかもしれません。
多くの人が人の不幸が楽しかったり、他人の揚げ足取りをすることで自分を上げようとしたり、損得勘定が行動の基準であったりで、そうしないと落ちこぼれるし、生きていけないと思っているのかもしれません。
でも、本来は誰かのために生きることで自分が活かされるし、その方がきっと素敵で充実した人生になるんだと思います。
このような作品を作らないといけない時代背景が悲しすぎますし、もしかしたら今の時代、利他的に生きるこれらの作品にピンとこない人も多いかもしれません。
これらのセリフや設定に感情移入できない、みたいな。
なぜ他人のために生きなきゃならないんだよ!って。
ピンとこないかもしれないから諦めるのではなく、また漫画や映画が流行るかどうかよりも自分が大切にしたい信念を貫く!ということなのでしょう。
炭治郎のように。
個人的に一番好きなセリフは、煉獄さんのお母さんのセリフです。
弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。決して忘れることなきように。
これは単に権力や腕力があるだけじゃなく、大人と子どもの関係もそうですし、先輩であったり年上であったり上司であったり経験や知識が他人より少し多いとかいうことも、弱き立場の後輩や年下の若者を守る責務があるということを意味するとも考えられますね。
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