最近になって、ようやく子どもは発達によって何かが出来るようになることと同時に、
もし出来なかったり、困ったら誰かを頼る事も大切だと言われるようになってきました。
それはその通りだと思うのですが、
そもそも子どもが困っていたり、助けを求めていたら、その都度大人は手を差し伸べてきたのでしょうか?また、今も手を差し伸べているでしょうか?
私は子どもは元々は困ったら周囲に訴えるという機能は持っていると思っています。
それは0,1歳児を見ると、嫌というほどわかりますよね(;^_^A
赤ちゃんは不快だと泣いてわめいてそれこそ必死にアピールします。
それに対してポジティブな反応を大人が返すことで、外界に対して肯定的なイメージを持つようになっていきます。
まだ人や社会という認識はないでしょうが、その積み重ねによって安心感を得ていきます。
赤ちゃんの時代は割合とそうなのですが、例えば保育所でそれが充分に可能でしょうか?
0歳児は3人に対して1人の保育士、1歳2歳児に対しては6人に1人となっています。
これで、泣く子どもに対してすべてポジティブな対応が可能でしょうか?
なかなか厳しいと思います。
抱っこを同時に要求したり、違う遊びを同時に要求することもあります。
その度に、体を引き裂かれる思いなのですが、どちらかに諦めてもらったり、待たせてしまったりが繰り返されます。
そのようなことを経験していくうちに、 子どもは諦めます。要求しても仕方がないんだって。
大人が気付かないうちに我慢をすることが定着したり、空気を読むということになっていきます。
それがいいことのように見えますが、発達的にはよくないと思われます。
自分を素直に出せない、同調圧力に従う、自分の持っている力を発揮出来ない、しんどくても我慢してストレスを抱える、というようになっていきます。
そのような育ちがベースにあり、言葉が使えるようになったからといって、困ったら言ってね!というのはちょっと無理があるような気がします。
それまで困っても我慢させたり、空気を読ませていたのは大人なのですから。
なので、困ったら言ってね!が言えるのは、困ったら助けられるという環境が前提であってのことだと思うのです。
そして、困ったら気付いてくれる、助けてくれるという経験をしていたら、わざわざ大人から困ったら言ってね!という必要もないと思うのです。
自然に勝手に言えるでしょうから。
なので、まずは大人が子どもの困っていることに積極的に気付けるようにする、訴えがあったらよほどのことがない限り、助けるということが大事だと思うのです。
それが大人になってからも、困ったら素直に訴えられる、それに対して周囲が前向きに受け止めるという、気を遣い過ぎて病んでしまうことなく、みんなが安心して自分らしく居られる社会になっていくんじゃないかなって。
勝手な妄想ですが。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます