「AERA(10月11日号)」に、「女子高はこれからの時代も必要ですか」という特集記事が組まれていた。
何でも日本には約6千校の高校が在るらしいのだが、この内、女子高が何校在るのかというのを、文科省も把握していないのだとか。私学に限って言えば、女子高は347校、男子高140校、共学校は816校という内訳になるのだと。女子高と男子高の数に、これ程迄開きが有るとは一寸意外な感じがした。
「女子高はこれからの時代も必要ですか?」というアンケートに対しては、次の様な結果出たという。
1位 「女子高」という区分自体がもう必要ない。 37.5%
2位 判らない。 30.8%
3位 未だ未だ必要。 26.3%
4位 女子大は在っても良いが、女子高は不要。 5.4%
結果的に、「不要派」が「必要派」を上回った形。唯、女子高出身の回答者に限ってみると、半数近くが「必要派」なのだと。彼女等が、女子高で良かったと考える理由は大別すると3種類。
① 異性の目を気にしなくて良く、楽だから。
② 男性が居ないので、男女差別をされようがないから。
③ 女だけでも何でも出来ると身をもって学べるから。
逆に、女子高で悪かったと考える理由には、「大学で何処まで下ネタを発言して良いのか困った。」や「自分の意見を兎に角主張する癖が付いて、職場で”生意気な女”とレッテルを張られた。」、「社会人になって、男性社会のルールを理解出来なかった。」等。
女子高必要派の意見の中には、「或る時期に同性ばかりの環境で育った人も居た方が面白い。」というのも有ったが、個人的には、男女が存在する世の中で、敢えて男子校だ女子高だと分ける必要もないのではないかと感じる。自分がずっと共学校しか体験しておらず、共学という世界をエンジョイしていたのも有る。又、一般的には、社会に出たら自ずと男女共存の世界で生きて行くのだから、それなら最初から共学校で”慣れ親しんでおく”方が良いのではという思いも。
因みに、女子高に勤務していた経験が有る友人曰く、異性の目が無い分、彼女等の言動にはビックリする事が多かったと。良い意味では大らか、別の意味ではえげつない部分が有ったらしい。授業中に、生理用品が飛び交ったり、ドキッとする様な質問をされたりと(^o^;;;。でも、逆に生徒の中に異性が居ない分、20~30代の男性教師で有れば、余程とんでもない御面相で無い限りモテルらしい。件の友人が、その恩恵に被れたという話は無かった様だが(笑)。
何でも日本には約6千校の高校が在るらしいのだが、この内、女子高が何校在るのかというのを、文科省も把握していないのだとか。私学に限って言えば、女子高は347校、男子高140校、共学校は816校という内訳になるのだと。女子高と男子高の数に、これ程迄開きが有るとは一寸意外な感じがした。
「女子高はこれからの時代も必要ですか?」というアンケートに対しては、次の様な結果出たという。
1位 「女子高」という区分自体がもう必要ない。 37.5%
2位 判らない。 30.8%
3位 未だ未だ必要。 26.3%
4位 女子大は在っても良いが、女子高は不要。 5.4%
結果的に、「不要派」が「必要派」を上回った形。唯、女子高出身の回答者に限ってみると、半数近くが「必要派」なのだと。彼女等が、女子高で良かったと考える理由は大別すると3種類。
① 異性の目を気にしなくて良く、楽だから。
② 男性が居ないので、男女差別をされようがないから。
③ 女だけでも何でも出来ると身をもって学べるから。
逆に、女子高で悪かったと考える理由には、「大学で何処まで下ネタを発言して良いのか困った。」や「自分の意見を兎に角主張する癖が付いて、職場で”生意気な女”とレッテルを張られた。」、「社会人になって、男性社会のルールを理解出来なかった。」等。
女子高必要派の意見の中には、「或る時期に同性ばかりの環境で育った人も居た方が面白い。」というのも有ったが、個人的には、男女が存在する世の中で、敢えて男子校だ女子高だと分ける必要もないのではないかと感じる。自分がずっと共学校しか体験しておらず、共学という世界をエンジョイしていたのも有る。又、一般的には、社会に出たら自ずと男女共存の世界で生きて行くのだから、それなら最初から共学校で”慣れ親しんでおく”方が良いのではという思いも。
因みに、女子高に勤務していた経験が有る友人曰く、異性の目が無い分、彼女等の言動にはビックリする事が多かったと。良い意味では大らか、別の意味ではえげつない部分が有ったらしい。授業中に、生理用品が飛び交ったり、ドキッとする様な質問をされたりと(^o^;;;。でも、逆に生徒の中に異性が居ない分、20~30代の男性教師で有れば、余程とんでもない御面相で無い限りモテルらしい。件の友人が、その恩恵に被れたという話は無かった様だが(笑)。
の雰囲気や気持ちなどはわかりませんが、
あえて分ける必要性はないと思いますね。
僕の知り合いの女性にも、女子高出身者がいますが、
その子が新入社員当時「お前は女子高ノリを直さないと
社会では通用しない」みたいなことを言われた、という
のを聞いたことがありますしね。
人間には「男」と「女」がいて、同じ世界で生活して
いるわけですからね。共学で慣れておく方がいいと思いますね。
それに対する回答も聞いてみたいですね。なぜ「女子高」だけなんだろう?その辺はAERAに書いてありましたか?
あと素朴な疑問なのですけど、giants-55さんが、この記事の中で「男子高」とせずに「男子校」とされているのはなぜですか?単なる変換の問題かなあ..?
私もずっと共学校だったため男女別学のよさってわかりませんけど、『男女七歳にして席を同じうせず』が基底にあるような気がします。
今の世の中、男が料理して女が長距離トラック運転してなんて普通にあるし、妊娠・出産の知識などは男性もきっちりわかっていていただきたいですから、教育に性差を設けることはしないほうがいいと思います。
男女差別を厭うならなおさら男女一緒に同じことを学ばないといけませんよね。
大学は工学部だったので、事実上男子校みたいなものでしたが・・
生徒会とかを男女でやっていたのは、良い経験だったと思います。
伝統的に、会長は男性で学校祭実行委員長は女性ということになっていたのですが、実行委員長は歴代の女傑たちでしたw
やっぱり社会のトレーニングという意味では、高校生がわざわざ特殊な環境で三年間過ごす積極的な理由はないと思います。
否、不要というより、ありえな~いって感じです。
大事な成長期、そして思春期に、性別を分けて教育することには何一つとして合理性がないと思うのです。そして寧ろ非常識ではないかと。
自分も大学に行って、そこで女子と一緒の教室というものにかなり戸惑いました。また、同級生の中には、初めて彼女ができたと思ったらいきなり子供作っちゃう奴がいたり、反対に、どうしていいか分らなくて悩みまくってる奴とか…。
これは、最近問題化しているような、過剰な平等化(男女混合名簿、等)とは別の問題としてですね。
それと、AERAの今回の特集では、女子高だけにターゲットを絞っていました。何とも思わずに、記事を読んでおりましたが、もしかしたら潜在的に「男子高は有りだが、女子高は必要無し。」といった思いが記者(編集部)には有ったのかなあと、marine様の質問を読んでふと思ったりもしました。
最近の小学校では、男女差別に繋がるからといった理由で、生徒の名を呼ぶ際に「ちゃん」や「君」ではなく、一律「さん」を付けているという話を聞きました。龍太郎様が書かれている「男女混合名簿」等も、男女差別を無くすという趣旨だとか。こういうのは、過ぎた男女平等化だと自分も思います。
”常識的な範囲”での男女差別は在ってはならないと思いますが、”言葉狩り”にも似た過度な男女平等化には、妙な思いしか沸かないです。
「過ぎた男女平等」は私も賛同できません。どうしたって生物的に平等ではないんですから。昔、中学の家庭科の先生(女性)が「本当の男女平等なんて男が子供を産んではじめて叶うものだ」と言っていましたけど、そのとき妙に納得したのを思い出しました。
性差による差別をなくし互いに尊重する気持ちがあれば「ちゃん」でも「くん」でも問題ないでしょう。
文化の問題もありますね。土俵にあげろと息巻いている某知事さまの例で顕著ですが、「男女平等」を錦の御旗に伝統文化のありようを無視する考え方はどうかとも思います。仕事で「女だから」といわれるのは我慢ならんと戦いますけど、相撲の世界も歌舞伎の世界もオーガスタ・ナショナル・ゴルフ・クラブも、それはそれでありだと思っていますけどね。
「男女平等」の観点で言ったら、marineさんとまったく同じ意見を持っています。marineさんのおっしゃように、なんで「女子高のみ?」と思いました。それに「男女平等」はそもそも「性差による差別をなくす」から始まったものなので、まず「性差」に共通の認識を持つべきだと思うので、それを実地で分かるのは、男女同じ場で過ごすことからなのかも、と思います。
最近は「男のくせに」というような文化的世論のようなものは騒がれなくなり、論議も少しはステップアップした気もしますが、「男女」の表記を「女男」とするとかトイレの表示色を男は青、女は赤と分けず、統一させるとか、とても過ぎている感が否めません。
色などはもう無意識の範囲になっているので、そこまでしないとダメなのかもしれませんが、だったらきちんと心理学・社会学をもとに考えて欲しいものですよね。
そして本題に戻りますが、現に近年、女子高から共学へ移行する学校も多くでてきているので、傾向はこのAERAの記事の通りなのかもしれません。でも、だからといって、不要だとは思いません。男子高・女子高というのは性差による分別ではなく教育方針よるものだと思います。根っこは明治・大正・昭和初期にあるでしょうが、現代は主に親がどの教育方針を選択するか、くらいの問題だと思うのですが。なので、「男子・女子高か共学か」と「日本人の多い普通高校かアメリカンスクールか」という選択肢のレベルの問題にしか過ぎないような気がします。卒業後の云々も卒業後の環境に共学出身者が多ければ、大多数・平均化にしたがる日本人のことですから、多少不備は出てくるでしょうがそのうち順応したり特性を生かした場で活躍できるものと思います。
いつのまにかこんな長文になってしまいました。
申し訳ありません。
ではまた。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログが見当たりませんでしたので、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
「女子高という存在が時代にそぐう存在で有るのか否か?」というのが、特集の趣旨だった様です。何とも思わずに、記事を読んでおりましたが、marine様の書込みを読んで、もしかしたら潜在的に「男子高は有りだが、女子高は必要無し。」といった思いが記者(編集部)には有ったのかなあと思ったりもしました。
そもそも男女の身体の作りが違うというのは、宗教的な言い方をすれば、「創造主が、各々に違った役割を与えたから」だと思います。そういう意味では、基本的&常識的な部分では男女平等で有るべきだとは思いますが、何から何迄平等にしろっていうのは一寸違うとのではないかと思ってしまいます。
「男子高や女子高の存在意義が、性差によるものではなく、親の教育方針よるもの。」というのは、成る程と思いました。勿論、実際に通う事になる生徒自身の選択というのも有るでしょう。「日本人の多い普通高校にするか、アメリカンスクールにするかという選択肢レベルなのかも。」と考えたら、女子高の存在意義は有るのかもしれませんね。
これからも宜しく御願い致します。
多分ですが、そもそも男子校・女子高の始まりはキリスト教からあるのではないでしょうか?
私の学校はカトリックの学校でしたが、元々は修道院が創立しています。当然、先生方の中にはシスターがいらっしゃいます。主に外国語(英語やフランス語)を担当していらっしゃいます。私の高3の時の担任の先生もシスターでした。
修道院は、母体を持っていて、その沿革には、姉妹校と兄弟校があります。兄弟校が男子校になります。
そこから考えると、キリスト教の教えを基にして創立された学校は、やっぱり男子校と女子校になってしまうのではないでしょうか。
司祭様や神父様を育てるのが男子校で、シスターを育てるのが女子校、で始まったものと思われ、今の学校教育とはずれていますが。
イギリスやフランスといった海外でも、キリスト教が主導している学校では、男子校や女子校がありますよね。
私個人の意見では、宗教を重視しないのなら女子校は必要ないかな、とは思ってます。
龍太郎さんと同意見で、はっきり申し上げて、卒業直後は異性に過剰反応しがちです(笑)。
ちょっと、力仕事を見ただけで『この人、かっこいい』と勘違いしがちです(爆)。
あるタイプの男性方からは『女子校育ちはおとし易い』とも言われ、ある意味喜ばれていましたが(涙)。