名古屋に住んでいた頃、ガキんちょだった自分には今でも忘れられない光景が在る。母親に手を引かれ、近所のスーパーマーケットを訪れた時の事だ。店頭には、開店を待つ客の長い列。開店と共に客は店内にどっと入り、一つの方向を目指した。其処にはトイレット・ペーパーが山積みされており、其れ等を争奪している人々の殺気立った雰囲気。子供心に、とても恐ろしかった。
1973年、第4次中東戦争勃発によって原油価格が高騰し、其れに伴う経済の大混乱が起こった。所謂「オイル・ショック」で、当時の通産大臣・中曽根康弘氏が「紙節約の呼び掛け」を行った事も在り、「紙が無くなる!」と大勢の国民がトイレット・ペーパーの買い溜めに走るという「トイレット・ペーパー騒動」が起こったのだ。実際にはトイレット・ペーパーが無くなる様な状況では無く、「値段吊り上げの為に、トイレット・ペーパーを大量に倉庫に隠していた。」という悪徳業者も少なくなかったと言われている。
先週発生した「東北地方太平洋沖地震」で不安感を募らせた人々が、「ガソリンや食料品、電池等が手に入らなくなるのではないか?」と各地で店頭に押し寄せている。トイレット・ペーパー騒動を知らない若い世代には「初めて見る光景」だろうけれど、自分にとっては不謹慎乍ら「懐かしさ“も”感じてしまう光景」。彼の時程に殺気立っていない分、未だ増しなのかもしれない。
普段から食料品等の備蓄はしていたので混雑時を避けて、口寂しさを解消させてくれる菓子を近所の店に買いに行ったのだが、何処も米やカップ麺、トイレット・ペーパーといった商品は無くなっていた。日持ちのする食料品が置かれた棚はスッカラカンだったけれど、カップ麺に関して言えば「値段が高めの物」は比較的残っており、「本当に食べ物が無くなると多くが思っていたら、此れ等だって残っている筈が無い。心の何処かに『其処迄逼迫する事は無いだろう。』と感じている人が少なくない証左と言え、早晩には『買い溜めパニック』も終息を見せる事だろう。」とホッとした自分。
パニックは更なるパニックを生み出すだけ。一人一人が無意味な買い溜めをしない事で、より多くの物資が被災地に回せるだろう。飛び交う流言飛語に惑わされる事無く、より冷静に物事に当たるべし。そうすれば、どんな困難な状況も打破出来る筈。被災者達の苦しみを思えば、此の程度の事で不平不満を口にしたり、パニックになっていたら失礼と言える。
救助活動で少しでも多くの人命が救われる事を祈ると共に、被災地を復興させる為に問題となりそうな事態に思いを馳せる。壊滅的なダメージを負っているで在ろう「東京電力福島第1原子力発電所」を、今後どの様な形で“処理”すべきなのか?「温泉天国」とも言える東北の地では、観光で経済の立て直しを図る上でも温泉は重要なファクターだが、今回の大地震で温泉脈が途絶えてしまったりした所は無いだろうか?問題は多く横たわっているかもしれないが、全国民が知恵を絞って立ち向かえば、より良き解決策は見付かると信じたい。