ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

緩和ケア

2009年12月15日 | 其の他
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アメリカ人は、“で死にたい”という人が多いと聞きます。
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週刊新潮連載コラムで、東大病院放射線科准教授中川恵一氏が書かれている「がんの練習帳」というのが在る。11月26日号は「がん対策後進国ニッポン」というタイトルで、その記事中に上記の文章が登場する。人によっては、意外に感じられる話かもしれない。

このコラムによると、我が国は2人に1人が癌になる「世界一の癌大国」なのだそうだ。以前にも書いたけれど、親の家系には癌で亡くなった者が多く、自分は所謂「癌体質の家系」と思っているのだが、2人に1人が癌になるというので在れば、今更「癌体質の家系」云々と称するのも無意味なのかもしれない。とは言え、祖母が癌を罹患し、激痛で七転八倒した上で亡くなったのを眼前にした身としては、癌という病気に対して非常に神経質になってしまうのは否めない。「癌に成り難い飲食物」というのがTV番組や雑誌に取り上げられると、そればかりを飲食するという事は無いけれど(嘗て紅白の司会も務めた某大物俳優。彼の母親も女優だったが、その彼女が大昔、身体に良いという事で或るフルーツばかりを食べていたと言う。朝から晩迄、そのフルーツだけ食べているという感じだったそうだが、彼女は非常に若くして亡くなった。身体に良いからと言って、そればかりを食するといった偏食は、却って身体に悪いという例の様に感じている。)、情けないかな良いとされる飲食物をしばしば口にしてしまう。それ程、癌という病気に怖さを感じているので。

だからこそ5年前の記事でも触れたけれど、ノンフィクション作家柳田邦男氏が自身の著書の中で書いていた内容が不思議でならなかった。今は手元にその本が無いので正確さには欠けるけれど、それは次の様な内容。

『亡くなる時は、痛みや苦しみを伴う癌では無く、老衰逝きたい。』と考える若者が多いそうだ。しかし、自分は敢えて『癌で逝きたい。』と思っている。(末期)癌を告知される事で余命を知り、残された時間をより有意義に生きられると考えるから。

祖母の苦しみ様を知っているからこそ不思議でならなかった訳だが、アメリカ人の間でも「癌で死にたい。」と考える人が多いのは、やはり「残された時間を有意義に生きられるから。」という事の様だ。但し或る「癌対策」に関して、アメリカと日本の違いが大きく影響している。それは「緩和ケア」だと、中川氏は指摘されている。

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緩和ケア: 癌患者の治療等に際し、治癒を目的にするだけでは無く、モルヒネで痛みを緩和する等各個人に木目細やかな対応を行う事。「パリアティブ・ケア」とも言う。
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我が国に於いて「癌では死にたくない。」と考える人が多いのは、筆舌に尽くし難い激痛の中で最期を迎えるのが殆どだからだろう。だからこそ「ピンピンコロリ」といった標語が、マスメディアで大きく取り上げられるのだ。

アメリカに於いては「癌によって苦しみ乍ら亡くなる。」という捉え方が、日本よりも格段と低いのかもしれない。中川氏は、次の様に記している。

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癌なら、仮に完治しなくても、死ぬ迄には年単位の時間が在る場合が殆どです。痛み等の症状を緩和すれば、「有終の美」を飾る時間に充てられるのです。しかし、日本では、その大切な時間が、癌の痛みとの闘いに費やされてしまっています。

癌による激痛を緩和する切り札は、モルヒネ等の「医療用麻薬」です。1日に1、2回、飲み薬や貼り薬として使う事が殆どです。しかし、日本の医療用麻薬の使用量は、先進七ヶ国の中で断トツの最下位で、国民1人当りの使用量は、アメリカ人の20分の1に留まります。

痛みを和らげる方法が在るのに、何故我慢するのでしょうか。“中毒になる”という誤解の他に、“麻薬を使うと命が縮む”との思いが患者さんに強い様です。しかし、癌の痛みを取った方が、寧ろ長生きする傾向さえ在ります。痛みが無ければ、食事も睡眠も取れますから、当たり前の話です。日本人は、痛みを我慢して、命も縮めている事になるのです。
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緩和ケアに加え、精神的な面のケアも重視した「ターミナルケア」という概念が在る。今回のコラムを読んでも、「癌では死にたくない。」という気持ちに変わりは無いけれど、もし自分が末期癌を罹患したら「ターミナルケア」を受けたい。「人間らしく生きる」というのも人によって様々な考え方が在るだろうけれど、「苦しみの内に延命されるよりも、苦しまないで残りの時間を有意義に過ごす。」のが人間らしく生きるという事と自分は考えるので。

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8 コメント

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こんばんはです。^±^ノ (てくっぺ)
2009-12-15 02:12:46
アメリカ人の「ガンで亡くなりたい」は意外ですね。

日本なら「ガンで亡くなりたくない」が奔流だと思います。
日本はガンが多いですからね。

ガンの痛みを我慢するか、それとも薬漬けになるのを嫌がるか、この選択では日本人は前者を選択される方が多いのですか。
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Unknown (マヌケ)
2009-12-15 22:50:08
死に方は自分では選べませんね。 雨に濡れたくなくて、スーパーの買い物袋を両手に持ったまま、耳にはウオークマンをして駐車場を通り抜けて行こうとした時、90度の角度の角から、まったくの死角からベンツがいきなりバックで現われて、すごい勢いでしたが、すんでのところでストップし、あとちょっとで死んでたかもです。 苦痛もなく、なにか楽しいことを考えている最中にあっけなくお迎えというのが理想です。 死神の制度が低くて死にそうで死ねないというのは痛み苦しみが続いて嫌です。 運転していたのは機械式の駐車機が苦手な上に買ったばかりのCクラスの新で神経質になっていたおばさんでした。 ミラーにニコニコした男性がちらりと写ってびっくりしたと言われました。 つまり私は笑いながら死んだかもです。 ちなみに聴いていたのはグリーンデイというパンクです。
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>マヌケ様 (giants-55)
2009-12-16 00:18:37
書き込み有難う御座いました。

ゴールデンイーグルスの前監督・野村克也氏が良く口にしているのは、「チームが優勝して選手から胴上げされている最中、ポックリ死んでしまうのが理想。」と。この気持ちは判ります。人生に於いて最高潮の瞬間に、ポックリと亡くなる。自分も憧れます。

変な言い方ですが、人間は自殺でもしない限り、「死」を自ら選ぶ事は出来ない。哀しい事故でしたが、先だって韓国のツアーに参加し、射撃場で亡くなられた日本人の方々も、亡くなる直前迄は「自らの死」なんて全く想像していなかった筈。たった1日の滞在だったというのに・・・本当に遣り切れません。
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お仕事の至福のなかで? (おりがみ)
2009-12-16 12:43:51
私はノムさん流だと保育中に子ども達がニコニコ笑っているのを見ながら死んじゃうわけで・・それはこまる!おおいにこまる!!迷惑だし・・・


それに年の瀬はいつも以上に「この部屋を残して死ねない!」と思うです。
あと「ガラスの仮面の最終回を見ずして死ねない」と・・トホホ。
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Unknown (悠々遊)
2009-12-16 21:37:10
昔何かの記事で読んだことがありますが、幕末から明治にかけての頃、西洋医学を取り入れるに際し、最後まで救命医療に尽す(医療者視点の)ドイツ式を採るか、最後は患者の意思を尊重するフランス式を採るかの選択で、わが国はドイツ式を採用したとか。

おかげで医療技術は進歩したかもしれませんが、患者を医者のモルモットにするような、無理やり生かされている終末期医療のツケも払ってきたわけです。

私も死は怖い。それは死の先にある未知への不安より、死が大抵の場合痛みや苦痛を伴っているからだと思います。
産まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まっているのだから、それは逃れようの無いことだけれど、だったら産まれたときと同じように何も分からないままに最後を迎えられたらと思います。そう思うと、老人ボケ・痴呆症というのは自然が用意した安全弁に思えてきますね。
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>悠々遊様 (giants-55)
2009-12-17 00:33:26
書き込み有難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

明治維新で日本が新生する際、法律の面でもドイツ法を取り入れるか、それともフランス法を取り入れるかで論議されたと言われていますね。又、「病根の完治(全て取り除く)を念頭に置いているのが西洋医学ならば、病気と共存し乍ら生きて行く事を考えるのが東洋医学。」という捉え方も。一つの方法論のみに走ってしまうと、その事で急速に進歩する面が在る一方で、置き去りにされてしまう物も少なくないというのが、医療の面でも言えるのかもしれません。

安らぎの中で死ねるなら、恐らく死という物に対する恐怖心はかなり減じられると思います。愛する者達から永遠に離れなければならない恐怖心は残るにせよ・・・。
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理想 (ハムぞー)
2009-12-17 22:30:45
私も森繁先生のように
長生きして老衰でコロリと逝きたいものです。

悪人なので「世に憚る」かもと
思っておりますが・・・


ちなみに引用文中の
「断トツの最下位」に
ちょっとひっかかりました・・
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>ハムぞー様 (giants-55)
2009-12-18 00:14:45
書き込み有難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

“御婆ちゃん女優”として有名だった原ひさ子さん(http://doronjodiary.blog69.fc2.com/blog-date-20060719.html)は4年前に96歳で亡くなられましたが、同居されていた御嬢さん(だったと思いますが。)の話では、亡くなられる迄元気一杯だったそうです。亡くなられた日も普段と全く変わらず、炬燵に入ってTV番組を見、ケラケラ笑っていたりも。用を済ませる為に御嬢さんが部屋を出て、再び戻って来た所、原さんが寝ていたので起こそうとしたら、亡くなっていたと報じられていました。穏やかな死に顔だったそうで、こういう亡くなり方は羨ましいです。

最近は「変な使われ方」をする日本語が目立ちますね。「断トツ」も本来は「断然トップ」の略なので、今回の使われ方はおかしい訳ですが、この手の誤用に余り違和感を覚えなくなっているのも事実。

「姑息」も本来は「一時的な間に合わせ」というのが正しい意味合いだそうですが、どうしても「セコい」という意味合いで使い勝ち。
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