1970年代、一世風靡した兄弟デュオ・狩人。今から7年前の2014年、「兄・加藤久仁彦氏の次男・加藤三希央氏が、スイスのローザンヌで毎年行われる、15歳から18歳迄のバレエ・ダンサーを対象とした世界的なコンクール『ローザンヌ国際バレエコンクール』で、6位に入賞した。」と、ニュースで大々的に報じられていた。「彼に、そんな息子が居たんだ。」と驚くと共に、其の際に色々調べた所、「日本は、バレエ大国で在る。」という事実を知った。
「1912年、イタリア人指導者が、帝国劇場 歌劇部のバレエ・マスターに起用されたのが、日本のバレエの始まり。」と言う。だから、日本のバレエの歴史は、今年で109年という事になる。「バレエは、ルネッサンス期のイタリアに起源を発する。」そうなので、そうなるとバレエは「600~700年の歴史」を有する訳だ。其の長さを考えると、日本のバレエの歴史は決して長いとは言えない。
なのに、日本には4,500を超えるバレエ教室が在るそうだ。其れだけでも驚きだが、此方を見て貰えれば判る様に、「1978年を最初に、こんなにも多くの日本人が『ローザンヌ国際バレエコンクール』で受賞している。」のだから、「日本=バレエ大国」とするのは間違っていないだろう。
6ヶ月前の記事「『ハードボイルド、Gメン’75。熱い心を、強い意志で包んだ人間達。』」で記した様に、「子供の頃夢中になって見ていた刑事ドラマ『Gメン’75』の全作品をDVDコレクションした『Gメン’75 DVDコレクション』。」を定期購読している。で、先月の16日に発売された14号を読んでいたら、意外な事実を知る事に。
此の号に収録された作品には、日本人のフラメンコ・ダンサーが登場する物が在るのだけれど、其の解説によると「日本は、本場スペインに次ぐ、世界第2位のフラメンコ大国。」と言うのだ。
「スペインでフラメンコの原型が生まれたのは18世紀後半と言われており、日本に伝えられたのは昭和初期。今から100程前の事。」と書かれているので、日本に伝わって来たのはバレエと同じ頃と考えられる。「フラメンコ舞踏家やフラメンコ・ギター演奏家の来日を切っ掛けに、関連レコードの輸入等が始まり、其れに影響を受けた日本人の音楽家達がスペインへ留学。本場で学んだ人達が帰国後、日本人にも受け容れ易い形でフラメンコを広げて行った。」そうだ。
「第二次世界大戦が終わった後、スペインでは食事をし乍ら、フラメンコを楽しめる『タブラオ』が登場し、此の文化も日本に伝わって来た。」とか。フラメンコと言えば、「俳優の菅原謙二氏の妹・小松原庸子さんは、フラメンコ・ダンサーとして有名だったのよ。」という話を家の母から良く聞かされたが、残念乍ら自分は菅原氏も小松原さんも全く知らない世代。調べてみると、小松原さんは「1958年に単身でスペインに渡り、1969年に帰国後、日本のフラメンコ・ダンサーの第一人者になった。」という方。
で、此方の情報では「日本のフラメンコ人口は6~7万人と言われ、スペインに次いで世界第2位のフラメンコ大国。」と記されている。残念乍ら、「2000年頃をピークに衰退して行ったが、落ち込みも今は留まっている。」とか。兎にも角にも、「日本=フラメンコ大国」というのも、間違いでは無い様だ。