リビアのムアンマル・アル=カッザーフィー大佐が潜伏先で拘束される際に負傷し、其れが原因で死亡したと報じられた。恐らく反カッザーフィー派としては最初から「生け捕り」では無く、「見付け次第射殺」という選択肢しか無かったのではないだろうか。約42年間、リビアを支配して来た人間の死。アドルフ・ヒトラー総統やベニート・ムッソリーニ総統、ニコラエ・チャウシェスク大統領、フェルディナンド・マルコス 大統領、サッダーム・フセイン大統領等々、独裁者の最期は概して哀れだ。
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「落合監督、球団社長との『握手拒否』、『俺流』にネットで賛否両論」(10月19日、J-CASTニュース)
セ・リーグで2連覇を果たした中日ドラゴンズの落合博満監督が、坂井克彦・球団社長との握手を拒否した、とインターネット上で話題になっている。
落合監督と坂井社長とは、監督の電撃解任を巡り確執が指摘されている。「握手拒否」した落合監督に対し、「俺流を貫き、かっけ~(格好良い)。」という称賛の声の一方、「大人気無い。」と批判も出ている。
2011年10月18日夜、横浜スタジアムで対横浜ベイスターズ戦を終えリーグ優勝を決めた中日の落合監督は、胴上げで6度宙に舞った。セ・リーグ連覇は球団史上初の快挙だ。試合の様子はNHKのBS1で放送される等した。
試合後、ベンチからロッカーへ引き上げ様とする落合監督に坂井社長が右手を伸ばして握手を求めたが、落合監督が応じなかった、として18日夜の内にネットで話題になり始めた。
特に、其の様子を伝える4枚の連続カラー写真を添付した2ちゃんねるの情報は、多くの個人ブログ等に転載された。ツイッターでも多くの反応が在った。
4枚の連続写真は何れも、ユニホーム姿の落合監督が、右手側に居る2人の背広姿の男性の横を通り抜けている所だ。
【1枚目】落合監督の解任に最後迄慎重だったとされる白井文吾オーナーと右手でがっちり握手をしている。顔は合わせておらず、落合監督は歩き乍らやや前方下向きに視線を向けている。
【2枚目】白井オーナーの直ぐ後ろに居る、白髪で眼鏡姿の坂井社長が、右手を落合監督に差し伸べている。
【3枚目】落合監督は、視線は前方下に向けた儘、坂井社長の右手に触れそうな位置に在った自身の右手を「ひょい」と背中側上方に持ち上げた格好になっている。
【4枚目】通り過ぎる落合監督に引き続き握手を求めるかの様に、坂井社長が右手を伸ばした儘体をやや右(落合監督の背中の方)に向けている。
連続写真を見ると、確かに「オーナーとは握手したが、社長との握手は拒否。」したように見える。
坂井社長は、9月22日に発表された落合監督の電撃解任を主導した。2004年以来2010年迄にリーグ制覇3回や、2位乍らもクライマックスシリーズを勝ち上がって日本シリーズで優勝した年も在るという好成績を残し乍らの解任だった。
坂井社長を巡っては、9月6日の対巨人戦で中日が敗れた後、「関係者通路で坂井社長がガッツ・ポーズをした。」と複数のスポーツ紙が報じており、2人の確執は公然の物となっている。
こうした事情が在るからか、「落合監督の握手拒否」を巡り、ネット上では「握手拒否かっけ~。」、「落合は漢(おとこ)や!」、「納得の対応。」と肯定的な反応や、「(握手拒否程度で)良く耐えたな落合。」と同情的な声が相次いだ。
一方、「器が小さいな。」、「意外と陰湿。」、「大人気無い。」と批判的な指摘も少なからず在った。
ネットの書き込みや呟きには、中日ファンだけで無く、巨人ファンを名乗る人等、「場外」からも可成りの参戦が在る様だ。
実際に「握手拒否」は在ったのか。中日ドラゴンズの球団広報部に聞いてみた。
加茂浩将・広報部長は「此の取材が在る迄知らなかった。話題になっていなかった。」と話した。
連続写真に付いては、落合監督が一貫して下を向いて歩き乍ら対応している事から、「坂井社長が握手を求めて来た事に気が付いていなかった可能性も在るのではないか。」との見方を示した。
白井オーナーとの握手に付いても、「特に誰とは気付かず、手が伸びて来たので歩き乍ら応じたのかもしれない。」と話した。白井オーナーだと気付いていれば、ちゃんと顔を合わせて握手し、背中を軽く叩き合ったりしたのではないか、と言う。「何れにせよ、今後調査をする云々という話では無いでしょう。」。
10月末で契約が切れる落合監督は、11月以降のクライマックスシーズン等へ向け、1日単位での契約を結ぶ予定だ。
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誰しも「馬が合わない。」という人が居ると思うが、自分が新入社員の際に“教育係”として付いた先輩は、正に馬が合わない人だった。自分の言動に対しては、基本的に「否定的なスタンス」を取る彼。彼の下で働いた数年間は虐められ続けた思い出しか無く、時には理不尽な理由により「人格否定」をされた事も。「殺してやりたい!」と思った事も何度か在った程。
そんな彼が異動する事になり、壮行会が行われる事になったが、自分は幹事どころか、会への出席も拒否した。「散々虐められた相手の壮行会に出席して、『大変御世話になりました。』なんて絶対に言いたくない!」という思いしか無かったから。
其れからウン十年が過ぎ去った今、当時の事を思うと「大人気無さ」を感じる自分が居る。自分自身が後輩を教育する際、「彼の人の様な事は絶対にしない。」という強い思いを持ってして来たけれど、教育する機会が増す毎に、「彼の人は辛抱強く、色々教えてくれたなあ。自分だったら、痺れを切らしてしまうのに。」等と、当時は見えなかった(感じなかった)様々な事に気付かされた。
理不尽な理由により人格否定をされた事等、今でも許せない点が無い訳では無い。でも社会人としての常識に欠け、自意識過剰で生意気だった自分を、何とか1人前にしてくれたのは、間違い無く其の先輩だった。
「世話になったというのに、壮行会に欠席するというのは大人気無かったなあ。」と痛切に“今”は思う。しかし、だからと言って、“当時”の判断が100%誤りだったとも思わない。「多大な恩」を受けたのは事実だが、同時に「理不尽で虐めとしか思えない仕打ち」を受けたのも事実だから。
今回のニュースを見聞し、「落合監督も大人気無いなあ。」と思う気持ちも在るが、其れ以上に「落合監督の気持ちは、良く判るなあ。」という思いが在る。必死で闘っているのに“味方”の筈の人間、其れも球団社長という立場の人間がチームの負けを大喜びしていたというのは、陰湿な虐めとも言えるから。「嘸や悔しかったろうな。」と、落合監督に同情してしまう。嘗ての自分の様に、大人気無い行動だったのは事実だろうけれど・・・。