話題の映画「誰も知らない」を見て来た。第57回カンヌ国際映画祭で、主演の柳楽優弥君が最優秀男優賞を受賞した事で知れ渡った映画だが、それ迄は、作品自体が”誰も知らない”といった存在だったのではなかろうか。
1988年に「西巣鴨子供置き去り事件」というのがあった。或る母親が恋人と暮らす為に、父親の違う4人の幼子をアパートに置き去りにし、その結果、末っ子が死に至った事件なのだが、この4人全員が出生届が提出されおらず、”法律的に”存在しない形だった事もあって、死に到る迄の長期間、彼等の悲惨な状況は表沙汰にならなかった。又、当時は、14歳の長男が殴り殺したのではないかという噂もあった。かなり、特異で悲惨な事件だったので、記憶に強く残っている。
その事件をモチーフにした映画なので、悲惨な内容である事は判ってはいたが、見終わった後に残ったのは想像以上の救いのなさであった。これ迄にも、救いのなさを感じる映画は幾つかあった。しかし、何処かしらに”救いの拠り所”を求める事が出来た。「A.I.」や「ブラザーフッド」にしても、”肉親への愛”というのが唯一の救いだった。
しかし、この映画には全く救いがない。置き去りにした母親は、最後迄子供達の元に戻る事はないし、末っ子が亡くなった後の子供達も、それ迄と何ら変わらないかの様な淡々とした日々を送る。非日常的な異常性に、皆が”麻痺”してしまったかの様な平穏さが存在し続ける。セリフの少なさや、透明感を伴った映像も、救いのなさに拍車をかけている。現実というのは、かくも峻烈足り得るのかと思わずにはいられなかった。
1988年に「西巣鴨子供置き去り事件」というのがあった。或る母親が恋人と暮らす為に、父親の違う4人の幼子をアパートに置き去りにし、その結果、末っ子が死に至った事件なのだが、この4人全員が出生届が提出されおらず、”法律的に”存在しない形だった事もあって、死に到る迄の長期間、彼等の悲惨な状況は表沙汰にならなかった。又、当時は、14歳の長男が殴り殺したのではないかという噂もあった。かなり、特異で悲惨な事件だったので、記憶に強く残っている。
その事件をモチーフにした映画なので、悲惨な内容である事は判ってはいたが、見終わった後に残ったのは想像以上の救いのなさであった。これ迄にも、救いのなさを感じる映画は幾つかあった。しかし、何処かしらに”救いの拠り所”を求める事が出来た。「A.I.」や「ブラザーフッド」にしても、”肉親への愛”というのが唯一の救いだった。
しかし、この映画には全く救いがない。置き去りにした母親は、最後迄子供達の元に戻る事はないし、末っ子が亡くなった後の子供達も、それ迄と何ら変わらないかの様な淡々とした日々を送る。非日常的な異常性に、皆が”麻痺”してしまったかの様な平穏さが存在し続ける。セリフの少なさや、透明感を伴った映像も、救いのなさに拍車をかけている。現実というのは、かくも峻烈足り得るのかと思わずにはいられなかった。
やっぱり、そうですよね。楽しみというと何ですが、やっぱ楽しみです。
見てて辛くなる一本です。
http://www.sun-tv.co.jp/hd/hd-eq100.html
そして、映画は華氏に換算されたとて、きっと現実の方がはるかに、わからないのでしょう。
映画を見ていて、事実に近いほど、私は泣けないかもしれません。うむむ・・。TBありがとうございます。
レヴュー、とてもよみやすくて羨ましいです!
私のblogにトラックバック、いただいたようですね。
わざわざ、どうも・・・。 ^・^
救い、のない映画ですか。
大人の世界に存在しないような気がします。
唯一の救いはコンビニの店員さんですかね。
確かに見ていてツライ映画でしたが、現実はもっとすさまじいものでした。
はじめまして。もんもんです。
トラックバック、どうもです。
アタシなんか、映画の感想すら書いてないのに....。
映画観て、巣鴨事件についてネットで調べてみました。
自分自身と事件の長男は同じぐらいの年で、巣鴨と自宅は自転車でも行ける距離の近さ。
身近にそんなことがあったとは知らなかった。
映画を観て、しゃっくりをあげて涙を流していた人もいたけど
あたしは、心に重い物がグッと乗っかった気持ちでした。
どちらかというと、悲しい気持ちよりも、心を揺さぶられて
気持ちの整理ができなかった放心状態だったかなぁ。。
僕の見た後の感想は、なんとなく重たい感じです。
けっして感動ではなかったですね。子供の目線で見た
現実の辛さ、その辛さに子供達が押しつぶされずに
ニコニコ笑っているのが、逆に痛々しく感じました。