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「遺族激怒!人を轢き殺してブログで『車が台無し』の26歳無職女」(12月18日、zakzak)
今年9月、愛知県の県道交差点で自転車を押して渡っていた女性(87歳)が、無職女性(26歳)の運転する軽自動車に撥ねられ、全身を強く打って死亡した。運転していた女性は先月、名古屋地裁で禁錮1年4月、執行猶予3年の判決を受けたが、その後、自身のブログに書き込んだコメントが遺族の怒りを買っている。
≪おばあさんを轢き殺してしまいまして・・・。夜だったんですよね、あたしは久しぶりに車が返ってきて、友達の家に遊びに行ったワケです。帰りに対向車線が結構渋滞していた様で(車でかけてたジンの『雷音』(動画)を熱唱してたので見てなかった)渋滞していた車の間からおばあさんが出てきたのです。即死です。せっかくの車が台無しです。もう、免許取り消しです。ちくしょー!!≫
事故を起こした無職女性は判決が出た当日の先月17日、自身のブログにこう書き記した。女性はこの夏、事故で軽自動車を大破させ、2日前に修理から戻って来たばかりだったと言う。記述は以下の様に続く。
≪残念なのが、事故を起こした時はめちゃくちゃ反省していたのに、3ヵ月も経った今となっては、ぶっちゃけ反省の色も無いのです。いつか原付の免許でも取りに行こう。今度は轢かれる側になろう≫
この内容に遺族は怒り心頭。亡くなった女性の息子は「反省が全く無い。改めて連絡を取って、真意を確認したい。」と語気を強める。
「加害者の女性は、釈放された際と百ヶ日法要の時に1度ずつ、両親に連れられて訪れました。しかし『済みません。』以外に反省の言葉は無く、法要では最後列でずっと派手な爪を弄っていました。私の娘も非常に不愉快だったと言っています。その挙句がこれでは、執行猶予は無意味だったとしか言いようが在りません。」
無職女性は元々派手な金髪だったが、弔問の際は流石に黒髪にしていた様だ。ブログにはキラキラのネイルアートに彩られた左手の写真付きでこう書かれている。
≪こんな手で遺族の所へ行って来ました。誰も見てないからね、こんな細かい所。髪の毛が黒くなっただけでも良しとしましょう≫
夕刊フジはこの女性に連絡を取った。女性は当初、「あれは誰かが勝手に書いた。」と言っていたが、その後「あのブログは口から出任せで書いた。(書いた)理由なんて覚えていないし、第一、ブログはもう閉鎖したんだから関係ないでしょ。」と自らが書いた事を認めた。だが、亡くなった女性や遺族への配慮に付いて質すと「別にぃ・・・。」と答えるのみだった。
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自分の身内が車で轢き殺されたとしたら、加害者を一生許す事は出来ないと思う。ましてや今回の様な加害者の“暴言”に触れたら、相手に対して殺意を持たない程、自分は人間が出来ていない。御遺族の怒りは痛い程判るし、もし今回の加害者が自分の身内だったとしたら、ぶん殴ってしまう気持ちを止められない事だろう。
被害者が近しい人間ならば、加害者も反省の気持ちを長く持ち得るだろうが、そうれ無ければ反省の気持ちも時の経過と共に、残念乍ら減じて行ってしまう面は在るとは思う。遺族の立場としては遣り切れない事だけれど、そういう現実が在るのは否定しない。唯、反省の気持ちが万が一減じて行ったとしても、それを加害者の立場で公言するとなると、話は全く別。
この加害者がブログをどう捉えているのかは知る由も無いが、ブログは自分の“御友達”だけが見られる物では無く、世界中の誰もが目に出来る存在なのだ。当然、御遺族の目に触れる可能性も在る訳で、そういった場所で“暴言”を吐く神経が信じられない。否、もしかしたら彼女には“暴言”とすら感じていないのかもしれない。「“正直な気持ち”を書いただけ。」と思っているのかもしれないが、もしそうだったら社会性が欠如していると言わざるを得ない。
他者との距離感を掴めない、否、掴もうとすら考えない。「もし自分が相手の立場だったら・・・。」という想像すら働かせられない。そんな社会性が欠如した人間が増えている様に感じる。これは若者だけの話では無く、老若男女を問わずだ。政治家の失言&暴言の中には、問題提起の為に敢えて失言&暴言を装った物も無いでは無いが、その殆どは単に社会性の欠如から発せられた物の様に思うし。
「遺族激怒!人を轢き殺してブログで『車が台無し』の26歳無職女」(12月18日、zakzak)
今年9月、愛知県の県道交差点で自転車を押して渡っていた女性(87歳)が、無職女性(26歳)の運転する軽自動車に撥ねられ、全身を強く打って死亡した。運転していた女性は先月、名古屋地裁で禁錮1年4月、執行猶予3年の判決を受けたが、その後、自身のブログに書き込んだコメントが遺族の怒りを買っている。
≪おばあさんを轢き殺してしまいまして・・・。夜だったんですよね、あたしは久しぶりに車が返ってきて、友達の家に遊びに行ったワケです。帰りに対向車線が結構渋滞していた様で(車でかけてたジンの『雷音』(動画)を熱唱してたので見てなかった)渋滞していた車の間からおばあさんが出てきたのです。即死です。せっかくの車が台無しです。もう、免許取り消しです。ちくしょー!!≫
事故を起こした無職女性は判決が出た当日の先月17日、自身のブログにこう書き記した。女性はこの夏、事故で軽自動車を大破させ、2日前に修理から戻って来たばかりだったと言う。記述は以下の様に続く。
≪残念なのが、事故を起こした時はめちゃくちゃ反省していたのに、3ヵ月も経った今となっては、ぶっちゃけ反省の色も無いのです。いつか原付の免許でも取りに行こう。今度は轢かれる側になろう≫
この内容に遺族は怒り心頭。亡くなった女性の息子は「反省が全く無い。改めて連絡を取って、真意を確認したい。」と語気を強める。
「加害者の女性は、釈放された際と百ヶ日法要の時に1度ずつ、両親に連れられて訪れました。しかし『済みません。』以外に反省の言葉は無く、法要では最後列でずっと派手な爪を弄っていました。私の娘も非常に不愉快だったと言っています。その挙句がこれでは、執行猶予は無意味だったとしか言いようが在りません。」
無職女性は元々派手な金髪だったが、弔問の際は流石に黒髪にしていた様だ。ブログにはキラキラのネイルアートに彩られた左手の写真付きでこう書かれている。
≪こんな手で遺族の所へ行って来ました。誰も見てないからね、こんな細かい所。髪の毛が黒くなっただけでも良しとしましょう≫
夕刊フジはこの女性に連絡を取った。女性は当初、「あれは誰かが勝手に書いた。」と言っていたが、その後「あのブログは口から出任せで書いた。(書いた)理由なんて覚えていないし、第一、ブログはもう閉鎖したんだから関係ないでしょ。」と自らが書いた事を認めた。だが、亡くなった女性や遺族への配慮に付いて質すと「別にぃ・・・。」と答えるのみだった。
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自分の身内が車で轢き殺されたとしたら、加害者を一生許す事は出来ないと思う。ましてや今回の様な加害者の“暴言”に触れたら、相手に対して殺意を持たない程、自分は人間が出来ていない。御遺族の怒りは痛い程判るし、もし今回の加害者が自分の身内だったとしたら、ぶん殴ってしまう気持ちを止められない事だろう。
被害者が近しい人間ならば、加害者も反省の気持ちを長く持ち得るだろうが、そうれ無ければ反省の気持ちも時の経過と共に、残念乍ら減じて行ってしまう面は在るとは思う。遺族の立場としては遣り切れない事だけれど、そういう現実が在るのは否定しない。唯、反省の気持ちが万が一減じて行ったとしても、それを加害者の立場で公言するとなると、話は全く別。
この加害者がブログをどう捉えているのかは知る由も無いが、ブログは自分の“御友達”だけが見られる物では無く、世界中の誰もが目に出来る存在なのだ。当然、御遺族の目に触れる可能性も在る訳で、そういった場所で“暴言”を吐く神経が信じられない。否、もしかしたら彼女には“暴言”とすら感じていないのかもしれない。「“正直な気持ち”を書いただけ。」と思っているのかもしれないが、もしそうだったら社会性が欠如していると言わざるを得ない。
他者との距離感を掴めない、否、掴もうとすら考えない。「もし自分が相手の立場だったら・・・。」という想像すら働かせられない。そんな社会性が欠如した人間が増えている様に感じる。これは若者だけの話では無く、老若男女を問わずだ。政治家の失言&暴言の中には、問題提起の為に敢えて失言&暴言を装った物も無いでは無いが、その殆どは単に社会性の欠如から発せられた物の様に思うし。

最近は事件を起こした人間のブログやmixiの内容が、ニュース等で取り上げられるケースが少なくないですね。公開されている物ですから(今回の様な“悪質な内容”の場合は特に。)、マスメディアで取り上げられてしまうのは致し方無いにしても、普通に記していた内容迄もが「こいつはこんな事を書いてまっせ!」と報じられてしまうのも、個人的には気の毒な気もしています。自分もそうですが、ネット上では程度の差こそ在りすれ、自分を装っている部分は在ると思うし。
それとやはり事件を起こした者の、卒業アルバムの写真や卒業文集の内容を、面白おかしく取り上げるマスメディアの手法というのも疑問。諸権利の問題も含め、少々遣り過ぎな気がしています。
未だに「女」で通ってる例の結婚詐欺師とか。
あの事件もブログがからんでましたよね(あの場合は「いい子ちゃんぶってたんですが)。
それにしてもブログに関する事件の多いこと。
それもこれもインターネットに関する法律がまだ甘いからなのでしょうね。
でもこれはブログから出た「物的証拠」になったのでしょう。執行猶予取り消しにも充分なりうるのでは?
「ブログは不特定多数が目に出来る存在。」というのを、先ずは念頭に置かないとまずいでしょうね。親しい間では与太話で済むレベルで在ったとしても(今回のケースは別です。)、ブログで書くとその論理は通用しない。自戒しなければいけない事です。
今後も何卒宜しく御願い致します。
そこからはじめないかぎりいつでもまきこまれる