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「『下りなさい。』相撲協会員、口頭でも直接指示 心臓マッサージの女性は看護師」(4月5日、産経新聞)
京都府舞鶴市で4日行われた大相撲春巡業で、挨拶中に突然倒れた市長の救命措置で駆け上がった女性に、日本相撲協会側が土俵を下りる様求めるアナウンスを流した問題で、アナウンス以外にも、女性に向かって土俵を下りる様、協会員が直接指示していた事が5日、判った。土俵に上がった女性の内、少なくとも1人は現役の看護師だったと言う。
関係者によると、多々見良三市長(67歳)は土俵上で挨拶を始めて約1分後、仰向けに倒れた。観客席に居た女性が土俵に上がって、心臓マッサージ。会場に待機していた救急隊員等がAED(自動体外式除細動器)や担架を持って駆け付けたと言う。
此の際、場内アナウンスの他、日本相撲協会の協会員が女性等に「下りなさい。」等と声を掛け、手振りでも下りる様指示。多々見市長が運び出され、女性等も土俵から下りた後、土俵には大量の塩が撒かれたと言う。
協会側はアナウンスに付いて、「人命に関わる状況には不適切な対応で、深く御詫びする。」等と謝罪。塩を撒いた事に付いては、「土俵で骨折や大きな怪我が在った際の通例で、女性が土俵に上がった事とは関係は無い。」と釈明した。
関係者によると、最初に土俵に上がった女性の内1人は、医師でも在る多々見市長が嘗て院長を務めた病院の看護師。「市長が倒れ、居た堪れずに、咄嗟に土俵に上った。」と話しており、上がる際には「上がって良いですか?」と、周囲に声を掛けていたと言う。
多々見市長は搬送後、蜘蛛膜下出血と診断。命に別条無く、約1ヶ月の入院が必要と言う。
巡業実行委員会の河田友宏委員長(78歳)は「女性の行動は勇気が在り、適切な処置だった。アナウンスは態々する事では無く、理解し難い。」。巡業の勧進元(発起人)を務めた四方八洲男さん(78歳)も「仕来りと人命、何方が大事かと言えば人命。大相撲は女性ファンが増えており、議論が必要。」と話した。
スポーツ文化評論家の玉木正之氏は「伝統が本当に正しいか、時代に合っているかを考える必要が在る。抑、相撲関係者が何れだけ伝統の意味を理解しているのか疑問で、恐らく教条主義的に『女性は土俵に上がってはいけない。』としているのではないか。」と指摘した。
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本題に入る前に、1つ突っ込みを入れたい事が。スポーツ文化評論家の玉木氏が今回の件に付いて「恐らく教条主義的に『女性は土俵に上がってはいけない。』としているのではないか。」と発言しているが、個人的には「教条主義の権化の様な御仁が、良く言うよ。」と思ってしまった。
で、今回の件だが、日本相撲協会側の対応に付いては「TPOを弁えていないなあ。」と呆れてしまった。又、同協会が謝罪したのは評価出来るけれど、塩を撒いた理由に付いては“本音”じゃ無い気がする。本音としては「『神道では出血を“穢れ”と見做している事から、生理の在る女性は穢れの対象とし、神聖なる土俵に上げてはならない。』という考えが大前提に在るので、塩を撒く事で穢れた土俵を清めた。」というのが在ったと思うから。
飽く迄も個人的な考えで在り、「此の考え方が、唯一無二的に正しい。」なんて考えてもいない事を理解して戴いた上で読んで欲しいのだが、過去に何度か書いている様に、「男女平等は大事な概念で在り、出来る限り守られるべき物とは思うが、男女の体の作りが同一で無い様に、100%の平等なんて不可能。」という風に考えている。女人禁制の場が存在する一方で、南方を中心に男子禁制の場も在る。女人禁制の場を声高に批判するので在れば、「女性専用車両」や「宝塚歌劇団」、「女性のみを優遇するサーヴィス」等も同様に批判しないとおかしいし、「良い所取りしている。」と言われても仕方無いだろう。
文化や伝統、風習等により、人によっては「男女差別ではないか?」と思われる様な事柄が存在しても、個人的には悪く無いと思っている。玉木氏が主張している様に「伝統が本当に正しいか、時代に合っているかを考える必要が在る。」というのは其の通りだと思うし、変えるべき物は変えるべきだろう。でも、同時に“絶対に変えてはいけない事柄”というのも存在すると思っている。「土俵が、女人禁制で在り続けるべきかどうか?」は難しい問題で、検討すべきとは思うが。
唯、今回の様に人命が関わっている場合には、女人禁制がどうのこうのなんて話じゃ無い。人命の重要さを上回る文化や伝統、風習等なんか無いのだから。
されども、相撲という、国技の人気を支えているのも、メディアであり、力士が、テレビ出演などをして個性を発揮するのは良い事だと思います。今の報道というのは、LGBTと利害を共有する、メディアの関係者からの批判であり、相撲という「実」のある事業の妨害をしてはならない、と思います。批判する側も少々杜撰に思えてなりませんでした。
京都府で行われた巡業場所での出来事というのもあって、特に関心をもってニュースを見ています。
土俵に大量の塩がまかれた件に関して、相撲協会側の説明になるほどそうかと思ったものの、本場所のテレビ中継では休場せざるを得ないほどのけがを負った取組後で、そんな大量の塩がまかれたという事を、見聞きしたことはありませんね。
そういうことが本場所で行われていたなら、マスコミも今回この件でこんな風に批判的な取り上げ方はしないと思うし・・・。
また、相撲が神事かどうかについては、相撲協会の親方衆が誇りを持ってそう思っているのは確かでしょうが、ある評論家によると、現在の大相撲は江戸時代の娯楽としての勧進相撲がルーツであり、神事とは無関係と言っていますね。
逆に神事であるなら、神事を執り行う相撲協会は宗教法人であるべきで、公益財団法人というのは何か不思議な気がします。
「歴史的遺物」と称される物でも、時代の移り変わりによって其の価値観が変わったりする場合も在り、何でも彼んでも後生大事に守る必要が無い事も在る。「伝統」も同様で、必ずしも守る必要が無くなる物も在れば、守らなければならない物も。妙な権威付けの為だけに「伝統でござい!」というので在れば、多くの人達から見放されて行くでしょうね。
今回のケースは仰る様に「特例」として認められるべき物で在り、杓子定規な対応をした日本相撲協会は、もう少し柔軟な頭を持つべきでしょう。でも、本当に守らなければいけない伝統は、原則として確り守る。そういう柔軟な使い分けが、同協会には求められている気がします。
何度か記した事が在るのですが、自分が子供だった頃は、寿司と言えば滅多に食せない高級な食事でした。でも、今は回転寿司というスタイルが定着し、寿司自体が高級な食事という感じでは無くなった。隔世の感が在る訳ですけれど、時代をもっと遡って江戸時代だと、寿司は屋台で気軽に食べる食事、今でいえばファスト・フードだった訳で、時代の変遷によって捉え方が大きく変わる典型とも言える。
大相撲も同様で、昔はもっとラフな感じだったと聞きますが、妙な権威付けに用いられている様な感じが昨今はしており、そういう意味では鼻白む所も。
なにかというと金科玉条のように「伝統伝統」という人がいますが、伝統には悪しき伝統と、良き伝統があります。良き伝統は守らなければなりませんが、悪しき伝統はどんどん廃止すべきです。相撲の女性蔑視は悪しき伝統の典型でしょう。
さすがに女性は参政権がないという人はいませんが、相撲の土俵はなぜダメなんでしょう。
もしエリザベス女王が来日して、女王杯を優勝力士に土俵であげるといったら、女王でも相撲協会は断るのでしょうか。
それに相撲は国技と法令で定められたものではありません。みんなが勝手にいうてるだけです。こんな女性蔑視の団体に税制が優遇される公益法人はそぐいません。
土俵が神聖だというのなら、野球のマウンドは神聖ではないのでしょうか。野球ではごく普通に女性が始球式をやってます。相撲がそんなにエライのかと思うのであります。
上で隆様や悠々遊様宛てに書かせて貰った事ですが、「日本相撲協会が大相撲という物を、妙な権威付けに利用している。」様な気がずっとしていて、個人的には嫌な思いを持っています。ですので、「相撲がそんなにエライのかと思うのであります。」という雫石鉄也様の御主張には、「其の通り!」と共感。
そういう権威付けが大好きな組織ですから、若しエリザベス女王が「土俵に上がりたい。」と言ったら、尤もらしい理由を付けた上で、了承しそうな気がしますね。
又、「女が土俵に上がって良いのか?」と叫んだ人間が居たという件、若し事実ならば自分も「馬鹿じゃないの?」と思ってしまう。目の前で起こっている重大事を認識出来ず、杓子定規に“決まり事”を振り回すというのは、馬鹿以外の何者でも無いと思うからです。
極左とか極右と呼ばれる人達に、こういう手合いが多かったりするので、個人的にはどうしても彼等の主張に共感出来ない所。