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「出でよ未来のSF作家 20年振りハヤカワコンテスト」(8月25日付け東京新聞【朝刊】)
月刊誌「S‐Fマガジン」等で知られる早川書房が20年振りに、SF小説を対象にした公募新人賞「ハヤカワ・SFコンテスト」を復活させる。SF人気の低迷で中止していたが、最近の注目度の高まりで息を吹き返した。
1961年に始まり、故小松左京さん、眉村卓さん等を輩出した伝統在る賞だが、作品の集まりが悪くなった事等から、1992年の第18回が最後になっていた。
SFは直木賞を始め各種の文学賞で評価を得る作品が続く等、再び脚光を浴びつつ在る。同社の担当者は「活躍している作家に影響を受けた、新しい世代が更に出て来る筈。復活にはベストなタイミング。」と話す。
SFの公募新人賞は現在、東京創元社が主催する「創元SF短編賞」だけ。歴史在る賞の復活で、ジャンルの底支えが期待される。
コンテストは中・長編が対象で、賞金100万円。評論家の東浩紀さん等が選考委員を務める。詳細は25日発売の「S‐Fマガジン」10月号等で発表される。
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小学生の頃、一寸離れた公営図書館に自転車で行き、本を読み漁るのを常としていた。専ら読んでいたジャンルは今と同じくミステリーだったが、其の次に読んでいたのはSF小説。SF小説と言っても大人向けの物では無く、所謂「ジュヴナイルSF小説」で、あかね書房やら三省堂やら盛光社やらと、其れこそ手当たり次第に読んでいた。「夕ばえ作戦」や「時をかける少女」等、日本の作家が手掛けた作品も面白かったが、海外の作家の作品にも面白い物が少なく無く、1960年代~1970年代に掛けては、SF小説全盛期だったと言える。
1960年代~1970年代、21世紀は「22~41年先の未来」。今ならば「近未来」といった程度の未来だけれど、当時は「途轍も無く先の未来」という感じだった。「空を飛ぶ車で会社通勤。」、「宇宙旅行が一般化し、宇宙ステーションに滞在する。」、「不老不死の薬が作り出される。」等々、様々な“夢”が予想されていたっけ。
今の様に「情報過多」では無かった時代だからこそ、SF小説に描かれた“夢”、そして其の逆の“悪夢”に、多くの読者が魅了されたのかもしれない。「100年先」という時代でも、或る程度“見えてしまう”現代だと、「近未来にどうこう。」と書いた所で、多くの読者を魅了するSF小説を書くのは、生半可な事では無い様に思う。
でも、「100年先」では無く、「1,000年先」の話ならば、流石に予想は付かない。リアリティーが皆無だと感情移入は難しいだろうけれど、SF小説はリアリティーが薄ければ薄い程、読者を惹き付ける面も有している。「1,000年先」、否、「もっと先の未来」を描く事で、面白いSF小説は生み出せるだろうし、手練れの作家ならば極めて近い未来を描いても、傑作は生み出せると信じている。
雫石鉄也様を始めとして、我が国にはSF小説を愛して止まない人達は決して少なく無い。今回の「ハヤカワ・SFコンテスト」復活が起爆剤となり、多くの傑作が生み出され、そしてSF小説ブームの再来となる事を望みたい。
応募することを考えております。
同感です。
・・・手練れの作家ならば極めて近い未来を描いても、傑作は生み出せると信じている。
私の感覚からすれば、たぶんそれはもはやSFではなく、近未来風の味付けをされた現代小説ですね。
小説のジャンルでSFだけが好調で、SF風の味付けをすれば小説が売れた時代がありました。20数年前、SFが面白くなくなってしまった(特に日本のSFが!)大きな原因のひとつは、「F」に重点が置かれすぎた結果、文芸手法は磨かれたかもしれませんが、「S」をコアとする稀有壮大なホラ話が消えてしまったことにあるように思います。
現代小説で描ける内容を、あえてSFにする必要がどこにある? 今もそんな思いで「本物」を探していますが、ほとんど出会えません。
雫石様が御自身のブログで紹介されている作品を楽しみにしており、「今回の文学賞に応募されてはどうなのかなあ?」と思っておりました。ですので、応募されるという事を知り、嬉しいです。
SF小説に再び注目が集まっているのは喜ばしい事ですが、近年人気を集めているSF小説というのが、昔自分がドキドキし乍ら読んでいた類いとは少々肌合いが違うのは、痛し痒しな面が在りました。時代と共に変わって行くというのは文学も例外では無いし、昔のスタイルが最高とも言わないけれど、何処かに昔の“香り”を残したSF小説が、新たに上梓&人気を集めてくれないかなあと思ったりしております。
雫石鉄也様へのレスに「SF小説に再び注目が集まっているのは喜ばしい事ですが、近年人気を集めているSF小説というのが、昔自分がドキドキし乍ら読んでいた類いとは少々肌合いが違うのは、痛し痒しな面が在りました。時代と共に変わって行くというのは文学も例外では無いし、昔のスタイルが最高とも言わないけれど、何処かに昔の“香り”を残したSF小説が、新たに上梓&人気を集めてくれないかなあと思ったりしております。」と書かせて貰いました。自分が近年人気を集めている小説に対し、「肌合いが違う。」と感じた最大要因は、悠々遊様が書かれている「近未来風の味付けをされた現代小説」だからなのだと思います。上手く表現出来なかったのですが、悠々遊様の書き込みを拝読し、「我が意を得たり。」という思い。
そういうスタイルが在っても良いとは思うけれど、矢張り「SF」の「S」を前面に打ち出し、荒唐無稽さや壮大さを感じてしまう作品を、新たに読みたい。