1月31日付けの夕刊フジに、「大学生の学年は○年生?○回生?」という記事が載っていた。同紙が“大学の学年の数え方”に付いてアンケートを行った所、都道府県別では次の傾向が見られたそうだ。
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「都道府県別・大学の学年 どう数える?」
○年生:北海道/青森県/岩手県/秋田県/宮城県/山形県/福島県/新潟県/茨城県/栃木県/群馬県/埼玉県/千葉県/東京都/神奈川県/長野県/山梨県/静岡県/富山県/石川県/岐阜県/福井県/愛知県/三重県/岡山県/広島県/島根県/山口県/徳島県/福岡県/佐賀県/大分県/熊本県/宮崎県/鹿児島県/沖縄県
○回生:滋賀県/奈良県/和歌山県/京都府/大阪府/兵庫県/香川県/愛媛県/高知県/長崎県
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全国の60.7%が「○年生」と数え、「○回生」と数えるのは36.5%だったとか。元記事にも書かれていた様に、イメージ的には「関東:○年生、関西:○回生」というのが自分にも在ったけれど、「『○回生』という数え方、関西以外では四国も多い。」というのは意外な事実だった。
又、「四国では徳島県だけが、『○年生』という数え方をする傾向が強い。」、「近畿地方では三重県だけが、『○年生』という数え方をする傾向が強い。」、「九州では長崎県だけが、『○回生』という数え方をする傾向が強い。」というのも、非常に興味深い。どういう理由からなんだろうか?
因みに自分の場合、大学では「○年生」という数え方をしていた。
しかし当地は県内でも関西の影響が強い地域ですが、今現在の人口は県庁所在地周辺が県内では7割ぐらいいますから、当地は質問される母数の数のうちにも入っていないでしょう。
昔から県庁所在地周囲は東京や名古屋への意識がありましたが、当地は関西一辺倒でした。そのためか大学の年の言い方も「○回生」が優勢でした。
中学の時は先生は県内の国立出が大多数でしたが、高校になると関西の大学を出た人がかなり多くなりました。実数はともかく、そういう人たちは関西帰りを人生最大の自慢のように語るため、多く見えていたのかも。その大学群より偏差値の高い東京の大学を出た人たちよりもやけに大きな顔をしていました。まあ東京の大学出たちも時々自慢気でしたが。ただ、生徒たちは内心「じゃあなんでこんな田舎公立高校の教員やってるの」と小ばかにしてるところがあった。私が高校行ってた頃は高度成長期の名残気分があって、「公務員になるような奴=バカ」という感覚が兼業農家で建設業であるとか、繊維産業の工場、伝統産業の家庭内手工業の一人親方やってるようなPTAが殆どで、学校の先生を敬遠する空気もありましたから、子供もそういう考えを知らず知らず受け継いだわけでした・・・。稼業継ぐのに学問は不要、と大学進学を阻まれる例も多かった。伝統校・進学校と言いながら大学に行く人はまだ半分だったかも。むしろその高校が「地域の大学」「地域の最高学府」みたいに言われる時代の空気も残っていました。
(そういう地域だったので、伝統産業、繊維業の衰退とともに人口も減りました)
そんなすれた地域の少年は無理やり京都の大学に入り、紆余曲折あって入ったサークルで大きな顔をする文学部の7回生の「おじさん」(実際の7回生の歳より2~3歳ぐらい上だった)に誘われ、19歳で大衆酒場に・・・。そのおじさんは学生運動にはまって留年留年という当時それなりにいたパターンではなく、酒にはまって、でした(まあこれもそれなりにいた)。私は幸い4回生で終わりました。
おっと話が大脱線、どうもすいません。
高校と大学との間にある、学閥意識の違いでもあるのでは。最近では、公私混同とも言わなくなりましたが、公の中の大学、つまり、古い文化とは、閉鎖性でもあり、大衆主導の文化に対する、齟齬も生じているのでは無いでしょうか。つまり、オタ的な鎖国、学閥の権威主義を振りかざしても、ステイクホルダーたる世間からは認められないと。
物心が付いて以降、移り住んだのは「○年生」という数え方が主流の地域許りという事も在り、「○回生」という呼称には馴染みが無いのですが、「○回生」という呼称を見聞すると、どうしても思い浮かべてしまう事が。年代がバレてしまうけれど、「嗚呼!!花の応援団」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%97%9A%E5%91%BC!!%E8%8A%B1%E3%81%AE%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3)の世界です。学ラン姿の彼等に、「○回生」というイメージが重なってしまいます。
時代によって、職業に対するイメージって様変わりする。バブル期の頃で言えば、証券会社は結構人気が在り、自分の知り合いでも何人が入りましたが、10数年内に全員が転職していたりします。
「大学の古い文化として“○回生”と言う。」、「高校と大学との間に在る学閥意識の違い。」、そういうのは在るかもしれませんね。
唯、其れにして一番不思議なのは、四国という或る意味“閉ざされた空間”の中で、徳島県だけが“○年生”という数え方が主流という点。他の3県とは異なる文化というのが、若しかしたら影響しているのかなあと思ったりも。
徳島県が「回生」ではなく「年生」と呼ぶのは意外でした。地理的にも近畿に近く、近畿地方と周辺各地の気象予報で、四国では唯一徳島県の予報も表示されるので、準近畿みたいなところだと思っていたので。
上でAK様宛てに書かせて貰ったのですが、自分が「○回生」という呼称を初めて知ったのは、「嗚呼!!花の応援団」ででした。「どういう意味?」と首を捻り、そして其れが「○年生」と同じ意味なのを知り、「へー。」と思った物です。
「近畿地方と周辺各地の気象予報で、四国では唯一徳島県の予報も表示される。」というのは、全く知りませんでした。そういう意味では仰る様に“準近畿”的な感じで在り、余計に「○回生」という呼称を使われる傾向が強そうなのに・・・本当に不思議ですね。