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「オウム真理教特別手配犯の平田容疑者が出頭、逮捕」(1月1日、朝日新聞)
東京の目黒公証役場事務長拉致事件で、警察庁から特別手配されていたオウム真理教元幹部の平田信容疑者(46歳)と名乗る男が12月31日深夜、警視庁丸の内署に出頭した。警視庁は1日未明、男を指紋から平田容疑者と確認、逮捕監禁致死容疑で逮捕した。調べに対し「時が経って、気持ちに一区切り付いたので出頭した。」と供述。一方、「車を運転しただけだ。」と容疑の一部を否認していると言う。
警察当局は特別手配容疑者の中でも最重要人物と見て追って来たが、平田容疑者は1995年5月の指名手配以来、逃走していた。平田容疑者の逮捕により、尚逃走を続けている特別手配容疑者は高橋克也(53歳)、菊地直子(40歳)=共に殺人等の疑いで手配。=の2容疑者だけとなった。平田容疑者は2人の事に付いては話していないと言う。
警視庁によると、平田容疑者は1995年2月、目黒公証役場事務長・仮谷清志さん(当時68歳)が東京・品川で拉致された際、現場で見張り役をし、他の信徒等が仮谷さんをレンタカーのワゴン車に押し込めた後、近くに在った乗用車で逃走。薬物を投与されて死亡した仮谷さんの遺体を山梨県上九一色村(当時)の教団施設で焼却した事件にも係わったとされる。
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今日の午前3時頃、床に就く前にニュース・サイトを覗いた所、平田容疑者出頭の速報を目にし、吃驚してしまった。指名手配以降、約16年7ヶ月も逃走していた彼が、よもや出頭するなんて思ってもいなかったので。
何故、彼は出頭したのか?彼自身は「時が経って、気持ちに一区切り付いたので出頭した。」と理由を供述している様だが、恐らくは別の理由だろう。自分が思うに、「麻原彰晃死刑囚の死刑執行引き延ばし作戦」ではなかろうか。
昨年の11月21日、オウム真理教を巡る刑事裁判が全て終結した。「地下鉄サリン事件」発生から、16年という長い月日を経ての事。麻原死刑囚に関しては2006年9月に死刑が確定しているが、「1つの事件の裁判が進行している間は、其の事件で既に死刑が確定している者で在っても、裁判が全て終結する迄は死刑を執行しない。」という“慣例”が我が国には在り、其の為か麻原死刑囚は“生かされ続け”ている。
しかしオウム真理教を巡る刑事裁判が全て終結した事で、麻原死刑囚の死刑執行は時間の問題と見られていた。ところが逃走していた平田容疑者が逮捕された事で、彼に関する裁判が始まる事になる。詰まり「オウム真理教を巡る刑事裁判が、再び開始になる。」訳で、そうなると此の裁判が終わる迄は麻原死刑囚を始めとし、関連事件で死刑が確定した連中の死刑執行が“慣例”にて延期される可能性が出て来た訳だ。開始される裁判が終結するには、恐らく「年単位」の時間が費やされるだろう。
特別手配された人間、其れも3人もが、殆ど足取りを残さないで逃走していたというのは、どう考えても“組織の援護”が在ったとしか思えない。「オウム真理教を巡る刑事裁判が全て終結したので、麻原死刑囚の死刑執行を引き延ばす為に、平田容疑者が出頭した。」という事で在るならば、平田容疑者の裁判が終わる頃には、高橋容疑者か菊地容疑者が“2番手”として出頭するのではないだろうか。そして“2番手”の裁判が終わる頃、残った“3番手”が出頭という「死刑執行引き延ばし作戦」なら言語道断。
昨年、死刑は全く執行されなかった。「死刑執行ゼロ」は1992年以来で、19年振りの事。「1年3ヶ月ぶりの死刑執行」等、過去に何度か記事にしているが、「自分は死刑制度に反対なので、死刑は執行しない。」という法務大臣は、「職務怠慢」の廉で即刻首にすべきだと思っている。否、抑そんな人物を法務大臣の職に据えてはいけないだろう。
「何でもかんでも死刑執行しろ!」と言っている訳では無い。中には冤罪が疑われるケースも在るだろうから、そういうケースは死刑執行を見送り続ける(再審を開始する。)というのは間違っていない。しかし「どんな場合でも、死刑囚の死刑は執行しない。」というのは、単なるサボタージュで在る。法律で「死刑制度」が認められているのだから、きちんと裁判を行った上で死刑が確定したのなら、速やかに死刑は執行されなければおかしい。「死刑制度反対」という思想や信条を持つのは勝手だが、其れならば「死刑執行を命じるのも職務の1つ」で在る法務大臣を受けては駄目だ。
麻原死刑囚達の死刑執行が、此れ以上引き延ばしされない事を祈る。
インターネット上の書き込みを見ていると、「此の人の頭の中には、『売国』及び『愛国』という区分けしか存在していないのではないか?」と思ってしまうケースがしばしば見受けられます。自身と寸分違わない思考ならば「愛国」で、少しでも異なれば「売国」という判断。「中庸」という概念すら持ち得ていない思考には、正直寒々しさを感じてしまいます。
「死刑制度」に関しても「賛成」や「反対」の他に、「何とも言えない。」という思考等、色々在って良い。自分は「死刑制度賛成派」だけれど、でも「何でもかんでも死刑にすれば良い。」という訳では無いし。ですからAK様が懸念されている点は、自分も同感です。
「死刑は、単なる復讐刑に過ぎない。」という意見が在りますが、自分は此の意見を否定しません。法律を少しでも齧った人間としては不適切な考えだろうけれど、あんなにも多くの人達を、自身の利益の為だけに死傷させた麻原死刑囚が、自身の罪を逃れんが為に「精神的な異常」を“装って”いる(としか思えない)のは卑怯千万と言わざるを得ないし、非常に憤りを感じます。もしも自身の身内が犠牲となっていたら、自分も麻原死刑囚達を八つ裂きにしたいという思いを抑えられない。
ちょうど元日0時のニュースで聞いた物ですから、非常に感慨深いニュースでした。
死刑と冤罪といえば、私の地元であった冤罪事件も「軽度の知的障碍者で素行不良の者と知的障碍者」の二人が犯人とされていたのですが無罪となったのです。その判決の同時期にも隣の県で似たような判決が出て、その時期に壮年期だった法曹関係者(団塊世代あたりの世代)にはショックだったでしょうね。その時期中高生だった今30代~40前半の方は過激といいますか揺り戻しで死刑大賛成のような方もネット上では見受けられますが物事、何でもきっかけがあります。それを無視してなんでも乱暴に言ってみえては、大正世代や戦中派の二の舞になってしまうので、何事も注意が必要ですね。
まあ個人的な感情では麻原こと松本は八つ裂きでもよい、いやもっと残酷でもよいと感じていますが。
「絶対的に誤りの無い、科学的な裏付け。」と多くが信じていたで在ろう“嘗てのDNA鑑定”が、実は「誤認定の可能性が低くは無いものだった。」というのを知り、意外さを感じた人は少なくなかったでしょうね。「科学が進歩するスピードが、其れだけ急。」とも言える訳ですが、そういった誤認定の可能性が在る以上は、当該する死刑囚の死刑執行を止めざるを得ないというのは判ります。
唯、「単に死刑制度に反対だから。」という理由だけで、全ての死刑執行を止めてしまうとなると、其れはサボタージュ以外の何物でも無いと思うのです。
「大阪地検特捜部主任検事証拠改竄事件」の露見により、我々は「国家権力が冤罪を作り上げる可能性が在る事。」を“現実の物として”思い知らされた。冤罪の可能性が少しでも在るのならば、刑罰の執行を一時止めてでも、きちんと検証しなければいけない。でも明々白々に罪が認められる場合には、しっかりと罪を償わされなければいけないと思っています。
「死刑」というのが「人の命を奪う行為」で在る以上、其の存在に対して様々な意見が在るのは当然だと思っています。自分自身は「死刑制度肯定派」だけれど、「死刑制度否定派」が存在する事を否定する気は全く無いし。唯、法務大臣という職を受ける以上は、冤罪の可能性が考えられない場合は、然るべき手順に則った上で、粛々と死刑執行をすべきだと考えています。
但し「『法務大臣が命じなくては、死刑が執行されないという制度。』を考え直しても良いのではないでしょうか。」という点に関しては、正直判断が難しいです。独裁国家、そして嘗て特高警察が跋扈していた我が国等、権力者の“匙加減”で無辜の民が死刑に処せられる可能性が在る場合も在り得ますし、其処迄の状態では無いにせよ、人間が行う事には「100%間違い無し。」という事は先ず在り得ない訳で、「死刑執行に到る過程には、其れ形のステップを設けておいた方がベター。」と思ったりもするからです。仮に「法務大臣の許可」を無くしたとしても、其れに変わる何等かのステップは必要な気がするし、でもそうなると“新たなサボタージュ”が生まれそうな気がしたりと、悩ましい問題です。
死刑制度に対する考えは、個人の自由ですが、死刑執行を命ずるのも法務大臣の仕事ですから、おっしゃるとおり、職務怠慢です。
法務大臣が命じなくては死刑が執行されないという、制度を考え直して方がいいのではないでしょうか。