小学校に入学して間も無く受けた国語の授業。あの独特の匂いがする真新しい教科書を開いた所、その1頁目には真赤な朝日の絵と共に「あさ あさ あかるいあさ」という文章が載っており、それを皆で何度も復唱させられた。それからウン十年経った今でも、この文章は何故か強烈に覚えており、小学校での国語の授業と言えばこの記憶に直結する。この文章で検索してみた所、同じ様な事を書かれている方が結構居られ、何となく嬉しくなったりした。
自分が小学生だったあの頃、授業科目としてはその他に「算数」、「理科」、「社会」、「音楽」、「図画工作」、「体育」、「家庭科」、「道徳」が在っただろうか。今日は「各々の科目に纏る思い出」を記してみたい。
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① 算数
「『昭和の小学生』大百科」という記事でも触れたが、入学時に渡された(購入させられた)「さんすうせっと」が最も記憶に残っている。様々なグッズが入っていたものの、授業では「時計」しか使わなかった様に思う。それも、ほんの1、2回だったのではなかろうか。子供心に「勿体無いなあ。」と思った物。
後は算盤。計算道具として用いるよりも、廊下でこの上に乗って遊んでいた事の方が多かったっけ。
② 理科
鮒と蛙の解剖に尽きる。気持ち悪さからざわめく生徒達を尻目に、何とか進行させようとしていた先生の姿が印象に残っている。
③ 社会
只管覚えさせられた地図記号。地理が苦手になった根本には、どうもこの時の記憶が大きく影響している様に感じる。
④ 音楽
足踏みのオルガン。先生が弾く音楽に合わせて「春の小川」(歌))や「めだかの学校」(歌)等を歌ったのが懐かしい。
⑤ 図画工作
図画工作は大の苦手だった。小学校5年の時だったろうか、ちぎり絵の製作が課題として出されたのだが、どうしても上手く出来なかった為、仲の良かった同級生に全て代行して貰った事が在る。何時もは最低点ばかりだった自分が唯一高得点を貰ったという、或る意味“苦い思い出”でも在る。
⑥ 体育
鉄棒。運動神経の鈍い自分だが、何故か鉄棒を使った運動は得意だった。逆上がりや蹴上がり、懸垂等、苦手にする同級生を尻目に、厭味な程にスイスイ熟していたあの頃。今の中年腹では、とてもとても・・・。
⑦ 家庭科
裁縫は嫌いだったが、調理の時間は大好きだった。理由は単純明快で、美味しい料理が食べられるから。
⑧ 道徳
教室で見させられた教育テレビの番組「明るいなかま」(動画)や「みんななかよし」(動画)。同世代の人間と当時の話をすると、必ずと言って良い程これ等の番組が登場する。
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自分が小学生だったあの頃、授業科目としてはその他に「算数」、「理科」、「社会」、「音楽」、「図画工作」、「体育」、「家庭科」、「道徳」が在っただろうか。今日は「各々の科目に纏る思い出」を記してみたい。
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① 算数
「『昭和の小学生』大百科」という記事でも触れたが、入学時に渡された(購入させられた)「さんすうせっと」が最も記憶に残っている。様々なグッズが入っていたものの、授業では「時計」しか使わなかった様に思う。それも、ほんの1、2回だったのではなかろうか。子供心に「勿体無いなあ。」と思った物。
後は算盤。計算道具として用いるよりも、廊下でこの上に乗って遊んでいた事の方が多かったっけ。
② 理科
鮒と蛙の解剖に尽きる。気持ち悪さからざわめく生徒達を尻目に、何とか進行させようとしていた先生の姿が印象に残っている。
③ 社会
只管覚えさせられた地図記号。地理が苦手になった根本には、どうもこの時の記憶が大きく影響している様に感じる。
④ 音楽
足踏みのオルガン。先生が弾く音楽に合わせて「春の小川」(歌))や「めだかの学校」(歌)等を歌ったのが懐かしい。
⑤ 図画工作
図画工作は大の苦手だった。小学校5年の時だったろうか、ちぎり絵の製作が課題として出されたのだが、どうしても上手く出来なかった為、仲の良かった同級生に全て代行して貰った事が在る。何時もは最低点ばかりだった自分が唯一高得点を貰ったという、或る意味“苦い思い出”でも在る。
⑥ 体育
鉄棒。運動神経の鈍い自分だが、何故か鉄棒を使った運動は得意だった。逆上がりや蹴上がり、懸垂等、苦手にする同級生を尻目に、厭味な程にスイスイ熟していたあの頃。今の中年腹では、とてもとても・・・。
⑦ 家庭科
裁縫は嫌いだったが、調理の時間は大好きだった。理由は単純明快で、美味しい料理が食べられるから。
⑧ 道徳
教室で見させられた教育テレビの番組「明るいなかま」(動画)や「みんななかよし」(動画)。同世代の人間と当時の話をすると、必ずと言って良い程これ等の番組が登場する。
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最初の教科書、どんなんだったかな?
忘れちゃいました。^±^
理科は好きで得意でしたね。他の科目は普通の成績でしたが、理科だけはだれにも負けませんでした。
名門私学へ進学した、学年1の秀才に、理科だけは雫石くんにはかなわない、といわれたことがありますね。
あと、作文が、好き、というより、書き出すと止まらなくなり、やたら長い作文を書いていましたね。
私が通っていた学校では道徳の時間は多分なかったのかな。。。でも時々NHKの「働くおじさん」のビデオを授業で流していたのは覚えています。
tak様の所は道徳の時間が無かったんですね。うろ覚えですが、1週間に1時間はこの授業が在ったと記憶しています。道徳の教科書なる物も在ったやに記憶していますが、専らNHKの番組を見ていたし、その時間は先生にとって“休憩時間”で在った様にも思います。
「はたらくおじさん」(http://www.youtube.com/watch?v=19ymZ5T-QO8)、自分も社会の時間に何度か見た記憶が在ります。
家庭科はダメでしたねー。スカートを作っても、なぜか寸法が合わずに履けないまま(苦笑) クラブ活動で生け花部に入りましたが、先生に「あらー、あなたのいけばなはジャングルね!」とバッサリ。
体育も最初は水泳もでき、跳び箱も1番に6段が飛べ、ハードルや短距離走も1着か2着・・・だったのですが、水泳は一度おぼれてから全く泳げず、跳び箱は頭から転げ落ちてから最高3段までしか飛べなくなり、ハードルもつっかかって頭から転んでからは、どんなに勢いよく走りだしてもハードルの手前で減速してしまうという始末。結局、中学生の頃には、卓球とマラソンしか得意なものがなくなりました(泣)
子供のころの思い出って、不思議といつまでも覚えているものですよね。やっぱり最初の印象なのでしょうか。それとも・・・私の場合、ボケの始まりか・・・。ちょっと恐ろしいです(笑)
コンパスや三角定規のセットで750円ですか。結構するんですね。当時もそうですが、購入させられたものの、結局は余り使用しなかった学校でのグッズってそこそこ在った様に思います。又、当時は家で作って用意した物、例えば雑巾なんかがそうですが、今は100均で買って持って行ったりするのですから、時代は変わったもの。
以前にも書いたのですが、自分は中学1年の時の英語の成績は最悪でした。英語の教師が大嫌いだった為、反抗的に全く勉強せず、答案用紙もほぼ白紙状態で提出。「反抗しているつもりで、結局は自分自身が損しているだけ。」というのに当時は恥ずかし乍ら気付いていませんでした。でも、2年になった時に「これじゃあ、結局は自分が負けているだけじゃないか。」と思い、必死で勉強して好きな科目になったのですが、1年の時の同級生には「英語が大嫌いなXX(giants-55)」というイメージが強烈に出来上がった訳で、社会人となって自分がずっと英語を使わなければいけない業務に就いた事を知ると、「あんな酷い成績だった人間が、良くそんな業務が出来るなあ。」と苦笑されます。
成績の悪い答案用紙を捨てた事も在りましたが、点数を“改竄”して親に見せた事も。例えば「30点」を「80点」に書き換える等、とんでもない馬鹿な事をしていたものです。
幼稚園には通っていたけれど、義務教育の第一歩というのは、子供心に非常に緊張したもの。独特な紙の匂いがする真っ新な許可書を渡され、最初に受けた授業が国語だったと記憶しています。其れだけに「あさ あさ あかるいあさ」で始まる文章は、未だに忘れられない。「うみがひかる」の後は確か、「やまがひかる かわがひかる おはよう おはよう さあいこう みんな なかよく さあいこう」でしたね。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
ないちゃいそうです