昨日の新聞で、富士通の人事担当をしていた城繁幸氏の著作「内側から見た富士通」が取り上げられていた。
仕事の成果を給与や昇進に反映させる「成果主義」。富士通の場合は、「目標管理制度」という名称でこの成果主義を他社に先んじて導入した。社員と直属の上司(課長)が面談で半期毎の仕事の目標を定め、目標の達成度に応じ、5段階に評価する。このやり方は、「富士通型」と呼ばれ、他社のモデルケースともなり、マスメディアも「これぞ実力主義だ!」と誉めそやしていたのを、自分も覚えている。
各社員と課長がすり合わせた目標と評価は、更に上の部長等で構成される各事業部単位の「評価委員会」で最終調整されるという事なのだが、この会議にオブザーバーとして出席した城氏は、実力主義とは程遠い現実を目の当たりにする事となる。
机に積み上げられた目標と評価のデータを一切見る事無く、さりとて部下個々人の業務目標や成果を把握しているとは思えない部長連は、唯ひたすらに「各部署が各々何人分の悪い評価を引き取るかという、原点枠の押し付け合い」をしており、それは、ババの引き合いの様だったと城氏。
その結果、目標を達成しても格下げ評価される社員が続出し、社内には陰鬱な雰囲気が広がったのだとか。現役社員が匿名で、インターネット上に不平不満や社外秘情報を書き連ねる事態迄起こったという。当然、人間関係も冷え切ったギスギスしたものへと変わって行ったのだとか。業績も、2年連続で1千億円を超過する赤字計上と相成った。
この辺の状況は良く理解出来る。と言うのも、自分の勤務先でも同様の制度を採用していたが、同じ様な状況に陥ったからである。「仏作って魂入れず」ではないが、幾ら理想的とも言える制度を作っても、それをきちんと運用&評価出来る体制が構築されていなければ、全く意味を成さない。富士通の場合は、今月から管理職の人事評価を外部委託に変更したという事だが、内部評価であれば、どうしても感情的な”濁った目”で見てしまう部分も有るだろう。又、パイの大きさ(原資)が決まっているし、目標達成している全員を、”必ずしも”見合った評価に出来ないという事情も有るのかもしれない。何処となく、以前の学校で導入されていた”相対評価”を思わせる事だが。
人気テレビ番組「踊る大捜査線」の中で、和久刑事*1が、部下の青島刑事に言った次の言葉が、深く自分の心に刻まれている。
「正しい事をしたければ、偉くなれ。」
成果主義の現状を考えた際、「正しい事」を「正当な評価」と置き換えると、妙に納得出来てしまうのだ。
*1 和久平八郎刑事役をされていたいかりや長介さんは、コメディアンとしても役者としても、非常に大好きな存在だった。コメディアンとしても一流だったが、あの渋い演技に、ショーン・コネリーをオーバーラップさせた事も。もう、あの姿を見られないと思うと、返す返すも残念でならない。
仕事の成果を給与や昇進に反映させる「成果主義」。富士通の場合は、「目標管理制度」という名称でこの成果主義を他社に先んじて導入した。社員と直属の上司(課長)が面談で半期毎の仕事の目標を定め、目標の達成度に応じ、5段階に評価する。このやり方は、「富士通型」と呼ばれ、他社のモデルケースともなり、マスメディアも「これぞ実力主義だ!」と誉めそやしていたのを、自分も覚えている。
各社員と課長がすり合わせた目標と評価は、更に上の部長等で構成される各事業部単位の「評価委員会」で最終調整されるという事なのだが、この会議にオブザーバーとして出席した城氏は、実力主義とは程遠い現実を目の当たりにする事となる。
机に積み上げられた目標と評価のデータを一切見る事無く、さりとて部下個々人の業務目標や成果を把握しているとは思えない部長連は、唯ひたすらに「各部署が各々何人分の悪い評価を引き取るかという、原点枠の押し付け合い」をしており、それは、ババの引き合いの様だったと城氏。
その結果、目標を達成しても格下げ評価される社員が続出し、社内には陰鬱な雰囲気が広がったのだとか。現役社員が匿名で、インターネット上に不平不満や社外秘情報を書き連ねる事態迄起こったという。当然、人間関係も冷え切ったギスギスしたものへと変わって行ったのだとか。業績も、2年連続で1千億円を超過する赤字計上と相成った。
この辺の状況は良く理解出来る。と言うのも、自分の勤務先でも同様の制度を採用していたが、同じ様な状況に陥ったからである。「仏作って魂入れず」ではないが、幾ら理想的とも言える制度を作っても、それをきちんと運用&評価出来る体制が構築されていなければ、全く意味を成さない。富士通の場合は、今月から管理職の人事評価を外部委託に変更したという事だが、内部評価であれば、どうしても感情的な”濁った目”で見てしまう部分も有るだろう。又、パイの大きさ(原資)が決まっているし、目標達成している全員を、”必ずしも”見合った評価に出来ないという事情も有るのかもしれない。何処となく、以前の学校で導入されていた”相対評価”を思わせる事だが。
人気テレビ番組「踊る大捜査線」の中で、和久刑事*1が、部下の青島刑事に言った次の言葉が、深く自分の心に刻まれている。
「正しい事をしたければ、偉くなれ。」
成果主義の現状を考えた際、「正しい事」を「正当な評価」と置き換えると、妙に納得出来てしまうのだ。
*1 和久平八郎刑事役をされていたいかりや長介さんは、コメディアンとしても役者としても、非常に大好きな存在だった。コメディアンとしても一流だったが、あの渋い演技に、ショーン・コネリーをオーバーラップさせた事も。もう、あの姿を見られないと思うと、返す返すも残念でならない。
不明瞭だと意味がないですよね。
偉くはなりたくないですが
上司の評価をしたいです。
成果主義が受け入れられた背景には、がんばってる自分を認めてほしいという思い、いや認めてもらえるはずだという思いがあったのだと思います。結局きちんと運用できないまま、今まで以上に恣意的な評価システムになってしまったのではないでしょうか。
このままではとうてい偉くなれそうもない(評価悪し)ので、変えようがないのです。とほほ。
まだ私の周りでは、声が大きい人、アクションが派手な人に日が当たっているようです。
実績が伴っていればいいですが、中身が無くて声が大きい人、アクションが派手な人っていますからね。。。
富士通の成果主義、僕も以前に聞いた記憶があります。
ただ、僕が聞いたのは既に「富士通の成果主義が
破綻した」という話でした。
確か、目標達成のために、長期的な高い目標を
掲げなくなり、ヒット商品が出なくなったとか、
個々が自分の目標達成に追われ、チームワークが
乱れたなどの理由だったと思います。
でもこの話だと、もっと根本的なところに理由が
あったような感じですね。
自分の仕事がキチンと評価される、しかも一番
わかりやすい「給与」という形で還元される、
というのは会社員にとって理想ですよね。
でも、この「評価」というものを公正に、明確に行う、
そして、評価される側の社員も納得がいく内容である、
というのは難しいのでしょうね。
成果主義という概念はヒューマンリソースマネージメントの領域でも良く出てくるのですが、必ずしも賃金連動を示すわけではないと高橋伸夫は「虚妄の成果主義」で述べています。
これは、日本の企業では成果の報酬は役職であったり、次の面白い仕事であり、賃金ではない。
ということのようです。
また成果主義の場合、自分が上位にマークされているかということよりは、評価の納得性が高いかどうかが有効に機能するかどうかの分かれ目のようです。
私の地方支店にいた時に見たものは、管理職がパワーゲームで枠を奪い合っているものであり、とても納得性の高いものではありませんでした。
もちろん業績もぜんぜんさっぱりでしたね。
バカばっかでした。
人は、評価され、仕事に敬意を払われることで成長し、成果を出すのだ というマネージメントの基礎がまったくわからない人たちが多かったんでしょうね。
年取るとともに感じますね~。
TBありがとうございました。