スポーツ文化を軽んじる姿勢は好きじゃない。又、スポーツを生業にしている人々の労働環境が(一部のスポーツは別にして)、概して良くないのも理解している積りだ。スポーツを愛し、必死で頑張っている人達を応援したい気持ちは持っているし、出来得る限りその環境が良くなって欲しいとは思っている。そういった自分の思いを踏まえた上で、今回の記事は読んで貰いたい。
閉幕したバンクーバー・オリンピック。オリンピック、それも特に冬季オリンピックに関しては余り関心の高くない自分だけれど、それでも何やかんや言って幾つかの競技を夢中で見てしまった。「一つの事柄に必死で取り組んでいる姿というのは、本当に美しいなあ。」と改めて感じた訳だが、競技に参加した全選手には「楽しませてくれて有難う。御疲れ様。」という声を掛けて上げたい。
金メダルの獲得数で言えば、14個のカナダが初めてトップに立った。又、メダル総数で言えば、史上最多の37個を獲得したアメリカがトップ。我が国は残念乍ら金メダルはゼロで、メダル総数5個はイタリアと並んで15位という結果に。自分なんぞは「これだけ獲得出来れば御の字では?」と思ってしまうのだが、人口が日本の約38%という韓国が総メダル数14個(内、金メダル6個)という結果だった事から、「日本はもっとスポーツ強化に費用を投じるべきだ。」という意見を結構見聞する。
冒頭で記した様に、各種スポーツの環境向上に反対の気持ちは無い。唯、「兎に角、どんどん資金援助をすれば良い。」という考え方には疑問を感じている。予算が際限無く在るのならば別だけれど、限られた予算の中では、そういう訳にも行かない。今の様な経済情勢厳しき折には、余計にそうだ。又、闇雲に金銭を投入すれば、それで良いという物でも無いと思う。
オリンピックは、国威発揚の場でも在る。「参加する事に意義が在る。」と建前を口にしつつ、本音の部分では「我が国の選手には、出来る限り多くメダルを獲得して欲しい。」と思っている人は、国を問わず多く居るだろう。斯く言う自分も、その例外では無い。
でも、今回のオリンピックに於いてメダル獲得数で芳しい結果を残せなかったロシア(総メダル数15個。内、金メダルは3個)の様に、大統領が「(スポーツ当局者等は)今直にも責任を取るべきだ!」と辞任を迫ったというニュースを見聞してしまうと、「其処迄入れ揚げてしまう事」に怖さを感じてしまうのだ。
“國母選手に対する猛バッシング”等、些か極端な方向に振れ易い日本人のメンタリティー。スポーツへの強化費用を大幅に増額し、その結果としてメダル獲得数が大きく伸びれば、「良くやった!」と喜ぶ人も多いのだろうが、逆に結果を残せなかった時には「我々の大事な血税をあんなに使わせてやったのに、何をしてるんだ!!」と猛バッシングが起こる可能性を、そのメンタリティーから懸念してしまう。(事業仕分けでスポーツへの助成金削減がニュースで報じられた際、「純粋にスポーツに取り組んでいる選手達が可哀想。こういう鬼の様な判断は許せない!!」といった感じで“天使の発言”をした或る著名人が、今回のオリンピック開催前に「日本のメダルの獲得数、どの位を予想していますか?」と質問された際、「沢山獲って貰わなきゃ困りますよ。大事な血税を出しているのですから。」と、同じ口で“悪魔の発言”をしていたし。)強化費用を大幅に増額する事で、ロシアの様に入れ揚げてしまう雰囲気が我が国に出来上がってしまうとしたら・・・、それはそれで怖い。円谷幸吉選手の悲劇は、二度と起こしてはならない。
今大会、韓国選手団の選手数は26人で、日本選手団の半数以下なのだとか。莫大な強化費用を投じていると言われる韓国なので、「メダル獲得に関するコスト・パフォーマンス」の観点からすると、日本の方が上回っているのかもしれない。しかし「メダルが獲得出来そうな種目及び選手を徹底的にターゲットを絞り込み、それに対してドンと金銭を投入する。」という戦略が韓国に在るのは確かだろう。それに対して我が国の場合は、「どの種目にも、取り敢えず選手を参加させる。」というスタンスが感じられる。どちらが良くて、どちらが悪いというのでは無く、そういう違いが在る事は認識した方が良いだろう。
「日本に於けるスポーツの位置付け」というのを、先ずは国民それぞれが考える必要が在る。「スポーツは楽しく出来れば良い。」という考え方が主流ならば、現状のままで良いだろう。「楽しく行うというのは大前提だけれど、国際大会では或る程度の結果を残して欲しい。」という考えが主流ならば、現状は微妙な線か?某コメンテーターの様に「沢山メダルを獲得してくれなきゃ困ります。」という考えが主流ならば、強化費の大幅増額という事になるのだろうけれど、上記した様にコスト・パフォーマンスも或る程度考慮する必要は在ると考える。
それと強化費を増額した場合だが、「その増額分が、“本当に”選手強化に充てられるのか?」をしっかりチェックしなければいけないだろう。訳の判らない組織をバンバン作り上げ、天下りした役員の高額な給料に沢山費やされたり、必要性の無い箱物を建設し捲る事で、一部の政治家や建設会社の懐を潤わせる事がメインになってしまっては意味が無いからだ。何しろこの国は過去に、その手の事ばかりして来たのだから・・・。
閉幕したバンクーバー・オリンピック。オリンピック、それも特に冬季オリンピックに関しては余り関心の高くない自分だけれど、それでも何やかんや言って幾つかの競技を夢中で見てしまった。「一つの事柄に必死で取り組んでいる姿というのは、本当に美しいなあ。」と改めて感じた訳だが、競技に参加した全選手には「楽しませてくれて有難う。御疲れ様。」という声を掛けて上げたい。
金メダルの獲得数で言えば、14個のカナダが初めてトップに立った。又、メダル総数で言えば、史上最多の37個を獲得したアメリカがトップ。我が国は残念乍ら金メダルはゼロで、メダル総数5個はイタリアと並んで15位という結果に。自分なんぞは「これだけ獲得出来れば御の字では?」と思ってしまうのだが、人口が日本の約38%という韓国が総メダル数14個(内、金メダル6個)という結果だった事から、「日本はもっとスポーツ強化に費用を投じるべきだ。」という意見を結構見聞する。
冒頭で記した様に、各種スポーツの環境向上に反対の気持ちは無い。唯、「兎に角、どんどん資金援助をすれば良い。」という考え方には疑問を感じている。予算が際限無く在るのならば別だけれど、限られた予算の中では、そういう訳にも行かない。今の様な経済情勢厳しき折には、余計にそうだ。又、闇雲に金銭を投入すれば、それで良いという物でも無いと思う。
オリンピックは、国威発揚の場でも在る。「参加する事に意義が在る。」と建前を口にしつつ、本音の部分では「我が国の選手には、出来る限り多くメダルを獲得して欲しい。」と思っている人は、国を問わず多く居るだろう。斯く言う自分も、その例外では無い。
でも、今回のオリンピックに於いてメダル獲得数で芳しい結果を残せなかったロシア(総メダル数15個。内、金メダルは3個)の様に、大統領が「(スポーツ当局者等は)今直にも責任を取るべきだ!」と辞任を迫ったというニュースを見聞してしまうと、「其処迄入れ揚げてしまう事」に怖さを感じてしまうのだ。
“國母選手に対する猛バッシング”等、些か極端な方向に振れ易い日本人のメンタリティー。スポーツへの強化費用を大幅に増額し、その結果としてメダル獲得数が大きく伸びれば、「良くやった!」と喜ぶ人も多いのだろうが、逆に結果を残せなかった時には「我々の大事な血税をあんなに使わせてやったのに、何をしてるんだ!!」と猛バッシングが起こる可能性を、そのメンタリティーから懸念してしまう。(事業仕分けでスポーツへの助成金削減がニュースで報じられた際、「純粋にスポーツに取り組んでいる選手達が可哀想。こういう鬼の様な判断は許せない!!」といった感じで“天使の発言”をした或る著名人が、今回のオリンピック開催前に「日本のメダルの獲得数、どの位を予想していますか?」と質問された際、「沢山獲って貰わなきゃ困りますよ。大事な血税を出しているのですから。」と、同じ口で“悪魔の発言”をしていたし。)強化費用を大幅に増額する事で、ロシアの様に入れ揚げてしまう雰囲気が我が国に出来上がってしまうとしたら・・・、それはそれで怖い。円谷幸吉選手の悲劇は、二度と起こしてはならない。
今大会、韓国選手団の選手数は26人で、日本選手団の半数以下なのだとか。莫大な強化費用を投じていると言われる韓国なので、「メダル獲得に関するコスト・パフォーマンス」の観点からすると、日本の方が上回っているのかもしれない。しかし「メダルが獲得出来そうな種目及び選手を徹底的にターゲットを絞り込み、それに対してドンと金銭を投入する。」という戦略が韓国に在るのは確かだろう。それに対して我が国の場合は、「どの種目にも、取り敢えず選手を参加させる。」というスタンスが感じられる。どちらが良くて、どちらが悪いというのでは無く、そういう違いが在る事は認識した方が良いだろう。
「日本に於けるスポーツの位置付け」というのを、先ずは国民それぞれが考える必要が在る。「スポーツは楽しく出来れば良い。」という考え方が主流ならば、現状のままで良いだろう。「楽しく行うというのは大前提だけれど、国際大会では或る程度の結果を残して欲しい。」という考えが主流ならば、現状は微妙な線か?某コメンテーターの様に「沢山メダルを獲得してくれなきゃ困ります。」という考えが主流ならば、強化費の大幅増額という事になるのだろうけれど、上記した様にコスト・パフォーマンスも或る程度考慮する必要は在ると考える。
それと強化費を増額した場合だが、「その増額分が、“本当に”選手強化に充てられるのか?」をしっかりチェックしなければいけないだろう。訳の判らない組織をバンバン作り上げ、天下りした役員の高額な給料に沢山費やされたり、必要性の無い箱物を建設し捲る事で、一部の政治家や建設会社の懐を潤わせる事がメインになってしまっては意味が無いからだ。何しろこの国は過去に、その手の事ばかりして来たのだから・・・。
真に野球を普及させたいので在れば、プロもアマも一つになって、ベターな方策を打ち出せば良いのに、結局は既得権益の死守&縄張り争いにプロ&アマ共に汲々としている。野球の世界だけでは無く、そういった事柄は他の分野にも言えますね。
選挙に出馬すると、何とかの一つ覚えの様に「スポーツを通じて、健全な子供を育成したい!」と口にする(元)スポーツ選手達。で、実際に政治家になったら、殆ど何もしていない連中ばかり。要は「政治家になる事がゴール。」で在って、「政治家になって何かをしたい。」というのが無いからだと思うのですが、政治家になったからは一命を賭してでも有益な事を成し遂げて貰いたい。まあ、これは他の政治家にも言えますけれど。
ただこのスノボーの場合、日本の場合、五輪選手を選出するのが「スキー連盟」だったり、「日本人が国際大会で上位進出したからメダル確実」と喧伝された「大会」にはショーン・ホワイトのような有力選手は出ていないなど問題が多いです。だいたいスキーヤーだったから分かるんだけど、連盟の幹部になるような連中ってスノボー大嫌いなんですよ(笑)。スキーとスノボー両方やる人は増えてるけど、仲悪いから。
日本のIOC委員がアルペンスキーヤーで、元冬季オリンピック選手議員は2人もいて(今、夏季五輪選手だった人いるのかな?小野清子(体操)ってまだ議員やってるのかな)、何してるの?と思いますけど、結局利権と縄張り確保のためだけなのかなと思います(苦笑)。役員のほうが選手団でVIP扱い。で議員てのはスゴロクの上がりなのかなとしか思えないですね。だから今度の参議院も出る人いるんでしょうね。選手のときの栄冠がゴールではないのでしょうね。
「自分が好きなのだから、他者がどう言おうが構わない。」と思いつつ、自身が愛する対象がマイナー視されるのは凄く哀しい事なのは、自分も経験しておりますので良く判ります。
スキーは今迄に一度しかした事が無いのですが、バブル期のスキー人口は凄かったですね。「異常に待たされる。」、「飲食物が異常に高い。」等、初心者にとっては敬遠したくなる要素が少なくなかったのが残念でした。
で、spa supernova様の書き込み、非常に勉強になりました。体型的に合う競技と、そうじゃない競技っていうのは在ると思いますね。「フィギュアスケートは、アジア系の人の体型に合う。」と、なかにし礼氏も語っておられたし。
あと昔のスキーブーム。あれは過剰なブームでした。はるばる車で行って、リフトに乗るのに2時間、しかも初心者がもたつくとリフト係りに怒鳴られる。飯は不味い、不衛生。そりゃブームもしぼみますよ。
テニスブームも・・おっと脱線やめときます。
冬の競技の場合は練習環境が限られること、器具の問題、体格の問題が出やすいです。
練習環境はご存知のとおりと思いますが、一方で富山県の中小企業がスピードスケートの代表を出したりしている。富山県は最近スケートが盛んで、フィギュアも元代表をコーチに迎えている施設があるそうです。戦前にはスケート代表を出していた歴史もあるようですが、戦後はスピードは北海道・長野、フィギュアはホントに昔は富裕層が多い東京・神奈川・兵庫、伊藤みどり以降は名古屋など、というイメージでしたね。今後富山に注目です。
またスノーボードだと意外と屋内施設が多いこともあり、愛媛から代表が出ましたね。
しかし広いリンクが必要なスピードスケート、広大なコースが必要なアルペンは限られてきますし、スキー、ソリは器具が良ければナンボの面がある。しかし器具自慢だけでは町内大会レベルです。体格が鍵になります。アルペンだと体格難でなかなか日本人の活躍は難しいです。テレビ中継、ご覧になっていない方がほとんどと思いますが、マグロかイルカみたいなのが降りてくると思ってください。185センチ95キロみたいな連中です。女子も175センチ80キロとか^^;。なので日本人が上位にいける可能性があるのは細かくやる回転競技です。
フィギュアスケート、フリースタイルエアリアルは体操競技同様に東洋人の体格に分があるようです(北米のFスケート、体操のナショナルチームは東アジア系が多いです、体操だとロシア系も多い)。
ちなみに韓国はいわゆるレクリエーション、部活動でスポーツをやる人が極端に少なく、そして国際レベルで競技を行うのはごく限られたスポーツエリートだけだ、と前に夏季五輪の際にNHKのラジオ深夜便でソウルからのレポートの人が言っていました。変な話、お勉強ガリ勉社会で、勉強もせず運動ばっかりやってるわけですから成功しなかったら大変です。ある面、日本の一部の強豪高の高校球児などに似てるのかも。あるいは旧ソ連システムとか。ロシアはちょうど現在の現役選手が子供時代だったころにソ連崩壊、その後の混乱で指導者、元メダリストといったスポーツエリートが北米や西欧に行ってしまったのです。混乱が落ち着いて、経済が沸騰した2005年ぐらいからレクリエーション熱が盛んになったそうですが、それまでは厳しかったそうです。指導者も一部、それぐらいの時期に帰ってきたそうですが、まだ充分ではない。成果が出るのは4年後かその後でしょうね。
具体的な数字は判らないので断言は出来ないのですが、確かに夏のスポーツよりは冬のスポーツの方が概して金銭的なバックアップは少ないイメージは在りますね。スポンサーとなる企業の側からすると、露出度の高さ等から宣伝効果が高くないと考えているのかも。
必死で頑張っている選手達の姿を目にすると、「練習環境を含めて、もっと良くして上げたいなあ。」とは思うし、てくっぺ様の御考えも凄く理解は出来るんです。
唯、日本の企業文化を考えると、バックアップの依存度を余り高く期待してしまうのも難しい気がするんです。そういうのを解消する為に、政治家達は「ロト6」等を導入した筈なのですが、果たしてそれが純粋に活かされているのか気になります。「訳の判らない組織やら役職者やらに優先的に金銭が費やされてはいないか?肝心な選手達の為に、本当に費やされているのだろうか?」という疑問が、個人的には在るんですよね。
経費が高いんでしょうか?
誰も夏並みに出してあげないじゃないですか。
で、国も出せない。
たぶん、スキーもスケートも日本は廃れたというのが大きいとは思いますが。
選手がこの環境ではかわいそうだと思ってるわけですよ。
全く同感です。随行スタッフの中には明らかに物見遊山な者も少なからず居た様ですし、中には「(高価な)公式スーツさえ貰えれば、後はどうでも良い。」といった発言をオフレコでしていた者も居たと報じられていました。こんな連中に費やすのでは無く、真に競技者達の練習環境改善に費やして貰いたいもの。
与野党を問わず、スポーツ文化向上を口にする政治家は少なくない。しかし彼等の中で、真剣にそれを考えている者がどれだけ居るのか?各競技組織のトップに君臨し、長期的なヴィジョンも糞も無く、鶴の一声で予算の分捕りを行い、それで自身の懐も肥やす。そんな遣り方が、本当にスポーツ文化向上に繋がるとは思えない。
今夏の参院選でも何人か元スポーツ選手が候補として出馬する様ですが、「スポーツを通じて、健全な子供を育てたい。」といった何とかの一つ覚えの様な“政策を装った空言”を吐くのは止めて貰いたい。具体的に何をしたいのかを、「5W1H」を明確にした上で主張出来ないので在れば、出馬するのはどうかと思います。
今のオリンピックは中途半端なんですね。実質その競技で生活している人がほとんどではないですか。
企業に所属している人で、メダルを取るほどの選手が、他の社員とまったく同じ仕事をしているでしょうか。残業し出張し会議し上司の冠婚葬祭につきあっているでしょうか。企画会議と競技会がバッティングしたらどっちを優先するでしょうか。
実質、企業の広告塔として存在しているか、経営者の個人的な好意で競技を続けているのでしょう。
そのような選手をアマチュアといえるのでしょうか。
今のオリンピックは中途半端なんですね。ブランデージ時代のように完全にアマチュアの大会にして、それで生活している人は完全に除外。厳格に資格検査をして、100パーセント趣味でスポーツやっている選手しか参加させない。
あるいはなんでもあり。無条件にどんな選手でもOK。もちろんプロ大歓迎。
どっちかにすべきですね。
日本は団における役員の比率が高いとも
聞いたことがあり升。
あくまで競技するのは選手ですから
その部分の費用ははできるだけ少なくしていただいて(全部行くなと言うわけではない)
プレーする選手の強化の為に
経費を補助してあげてほしいところです。