「小惑星探査機『はやぶさ2』が、約6年の旅を経て地球に帰還し、小惑星『リュウグウ』の砂を持ち帰って来た。」と書いてしまうと、正確さに欠けるかも知れない。「2014年12月3日に打ち上げられたはやぶさ2が、12月6日(3日前)に地球に”着陸”した。」と勘違いする方も居られ様から。「はやぶさ2はリュウグウで砂を採取し、其れが入ったカプセルを12月5日に機体から分離した。そして、分離されたカプセルが12月6日、オーストラリアのウーメラ立入制限区域に着陸した。はやぶさ2は現在も飛行し続けており、更なるミッションに挑む。」というのが、(自分の勘違いで無ければ)正確な書き方だと思う。
今回の計画に莫大な費用が費やされている事に対し、「何の役にも立たない事に、意味の無い大金を費やすな!」という批判も見受けられる。蓮舫議員の「事業仕分けでスパコン開発批判」が大きく取り上げられた際に書いた事だが、「例えば、本来は1千億円で済む開発なのに、妙な天下り組織や利権を生み出す事“にも”費用が費やされ、最終的に1千数百億円が必要となった。」なんていうのが、日本では良く在る事。だから、「貴重な血税が少しでも費やされるならば、“誰が見ても無駄と思われる費用”は削らなければならない。」と思っている。
で、今回の計画に関しても、そういった“誰が見ても無駄と思われる費用”は削られるべきだが、計画自体に莫大な費用が費やされる事に付いては、個人的に“将来への投資と人類の夢”という点から「在り。」と考えている。
「はやぶさ2が、約6年の時を経て地球に帰還した。(くどい様だが、地球に着陸した訳では無い。)」事に対し、日本の技術力の高さを誇らしく感じた。他国の人も恐らくは、「日本の技術力って高いな。」と改めて感じた事だろう。でも、自分もそうだけれど、少なからずの日本人には、他に“独特な感情”が在ったのではないか?「過酷な状況の中で約6年も。はやぶさ2は良く頑張った。本当に“健気”だ。」といった様な、機械に対してというのでは無く、人間に対する様な感情は、恐らく日本人ならではの物ではないだろうか。
「ロボットというと、外国人は概して“単なる機械”という感覚だが、『鉄腕アトム』や『鉄人28号』、『マジンガーZ』等が生み出されて来た我が国では、ロボットに対して“仲間”や“友達”といった感覚が在る。」と以前書いたけれど、そういう独特な感覚がはやぶさ2に対し、「良く頑張った。」とか「本当に健気だ。」と感じさせるのだろう。
「アニミズム」という概念が存在するのは日本だけでは無いので、海外でも非生命体を擬人化するというのは在るでしょうね。特に日本の漫画やアニメは海外でも愛されているので、「ロボット=仲間や友人」と捉える海外の若い人達も存在する事でしょう。唯、機械を擬人化するという感覚は、日本で結構強そう。
「芸術は、無駄と思われる物から生まれる。」と言いますし、技術に関しても同様。何でも彼んでも“効率化”を通してしまうのは、世の中から潤いを無くしてしまう事にも繋がるし、自分もそういう考え方には否定的です。でも、日本で良く見られる「錦の御旗を掲げさえすれば、何でも通る。」という風潮はどうかと思うし、何よりも“理不尽な権益や利権”を好んで作り出す此の国の政治家や官僚の存在が、どうしても許せない自分です。
無機物も含め擬人化して感情を投影する、というのが日本人は得意なのかなあ(笑)。
他の国でもありそうな気はしますが。
「真理の探究」関係は好奇心は満たしても、それで(直接)お腹が満たされることはまずありません。
基礎研究分野や宇宙関連はとかく「無駄飯食い」との批判を受けやすいですね(苦笑)。
でも実はこうした研究事業をすることによって、経済社会に新たな知見が得られたり、技術革新が進み、画期的な商品が生み出されてきた実例がいくらでもあるといいます。
宇宙服の研究から軽くて丈夫、断熱効果に優れた新素材が開発され、現在の衣料や建築関係に活かされているのは有名な話です。
機器の省電力化や高寿命バッテリーなども、宇宙空間で簡単に電力補給や機器の交換ができない環境から技術革新が進んだ分野ですね。
戦争や軍需産業によって科学技術が向上するより、よほど平和的でもあると個人的には思いますけどねえ。
夢や好奇心を満たすだけでなく、こういう経済効果があることを、もっとアピールすればいいと思うのですが、科学者や技術者はそういうのが苦手な人種なのかなあ(笑)。