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縮みゆく日本の将来への不安からなのだろう、「昭和」と言うとテレビでも高度成長期の右肩上がりの空気だけ好んで取り上げられるようになった。こんなに昭和の人たちは頑張ってきたんだ、元気を出してもうひと頑張りしようよ―そこまではいいとして、何かにつけ「クールジャパン」のキャッチフレーズを掲げて、日本が世界のトップランナーである点ばかりが強調される。これこそボクたちが戦前戦中に教え込まれた姿なのだ。
疲弊した国ではよくそんな現象が起きるもの。今の日本人にボクが生きてきた「昭和」を正確に伝えなければマズイことになるんじゃないか―今、真剣にそう考え始めている。
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「信長の棺」等、魅力的な歴史小説を次々と生み出して来た加藤廣氏は1930年生まれ。太平洋戦争が勃発した年は11歳で、終戦の年には15歳、早稲田中学の生徒だった。戦前に生まれ、多感な時期に戦中&戦後を潜り抜けて来た彼が、冒頭で記した様な“過度に日本を美化する様な風潮”に違和感を覚え、実際に戦前&戦中の日本を見て来た1人の国民として、身の回りで起きていた出来事を記したのが、今回読了した「昭和からの伝言」。
小学校4年の時、仲が良かった秀才の親友が、父親の転勤で引っ越す事になった。加藤氏の文才を高く評価し、そして自分の将来の夢を具体的に話してくれた彼は、非常に大人びていた子だったのだが、其の引っ越しによって彼の人生は大きく変わる事になる。引っ越し先は広島で、彼は原爆によって亡くなるからだ。別れの際、加藤氏と彼との間で交わされた会話が何とも切ないし、戦争の不毛さを痛感させられる。
「或る日、町会長と隣組長以下数人の御偉いさんが家に乗り込んで来て、幼い加藤氏や母親等を前に、『此の国家存亡の危機に、家庭と雖も敵性語を使うのは不見識で在る。」と、母親を『ママ』と呼ぶ事を禁じた。彼等が帰った後、『何故、ママをママと呼んではいけないの。そんな事、戦争と関係無いじゃん。』と泣いて抗議した。」や「黒焦げになった焼死体が川岸に積み重なっている中、『自分の足に合う良い靴がないか。』と、死体の靴を引っ張って歩いていたという、戦争下での異常な心理状態。」等、実際に“時代の空気”に触れていた者としてのリアルな記述に引き込まれる。
以前読んだ小説「昭和の犬」の中に、「肉は高いのですき焼きに、山で取って来た松茸を沢山入れて量増しする。」という記述が在った。昭和30年代の頃と思われるが、「昔は、松茸なんて幾らでも食べられた。一寸した山に行けば沢山取れたので、高価でも何でも無かったから。」という話を祖父母からも聞いた事が在る。時代が変われば食べ物の価値も変わるという事だが、「昭和からの伝言」の中にも、其れを思わせる記述が在る。
“物価の優等生”とも呼ばれる卵は、長きに亘って“低価格な食べ物の代表格”として知られる。そんな卵も戦前&戦中は高価な食べ物の1つで、病気にでもならない限り、中々食せる物では無かったそうだ。
一方、今は高価な食べ物となっている中トロや大トロは、当時、貧乏な子供達の大好物。「醤油が染みる。」という事で鮪の赤身は尊重されていたが、「醤油に馴染まない。」という理由から中トロや大トロは全く売れず、魚屋で捨てられたりしていたのだとか。売られていても只同然だったというのだから、信じられない話だ。
そんな自画自賛テレビ番組がもてはやされるのは、裏を返せば一億総自信喪失の時代なのかもしれませんね。
あの頃は良かった・・・は嫌な出来事は忘れ去り、郷愁と共に美化された事象だけが語られるからでしょう。
いつまでも続く登り坂などあり得ないし、いつかは峠を越えて下り坂に入る、それを現実として受け入れる冷静さがなければ、この国は本当にダメになるのではないかと思います。
私の幼少期、卵やバナナはまだ高級食材だったような気がします。
病気見舞いに使う果物の盛り籠にもバナナが入っていたような記憶が。
「自虐史観は許せない!」と主張し、事在る毎に「渡部昇一氏はこう言っていた。」とか「呉智英氏はああ言っていた。」と口にする親戚が居ます。人がどう言っていたというのを矢鱈口にする一方で、自分自身の考えというのが見受けられない人物では在るのですが、彼の主張する“自虐史観の否定”とは、「日本にとって好都合な事は嘘で在っても全て事実で在り、逆に不都合な事は事実で在ろうとも全て捏造。」というスタンス。此れでは、単なる身勝手に過ぎません。そういう人達にとっては、日本の美点を過剰に取り上げ、寄せ詰めた外国人達に「日本は、何て凄い国なんだ!」と絶賛させる番組は、心地良い限りの事でしょう。
仮令気持ちが良い事では無くても、事実で在れば事実として確り受け止める。そういう“真の大人”が増えなければ、其の国は傾く一方でしょうね。
本格的な寿司店と回転寿司の違いは在るにせよ、子供の頃には滅多に食せなかった寿司が、今や学校帰りの子供達がスナック感覚で食せる物となった事に、隔世の感を覚えます。とは言え、江戸の時代、寿司は手軽に食せるファースト・フードだったのですから、元の形に戻ったとも言えるのですが。